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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
19章 世界大戦への道
188/257

188話 チェンバレンの宥和政策

37年5月からイギリス首相はチェンバレンになった。彼はバーミンガム市長の息子として生まれ、実業家として成功し、政治家に転身すると若くして、バーミンガム市長、保守党の国会議員なった。彼は保守系の政治家らしく、国益を重視するタイプで、理想主義に走ることはしない。

外交政策において、ドイツが西のイギリスに牙を剥けず、東のソ連に刃を向けるのなら構わない考えだった。いやむしろドイツがソ連と戦い、共産主義を根絶やしにするか、共倒れになってくれるのを望んでいたと言える。そのためにはオーストリアとの合邦、ズデーテンの併合などはヒットラーがいよいよ本気になって、ソ連と戦う姿勢を見せることなので、歓迎したいくらいだった。


チェンバレンなどイギリス保守系の政治家はヒットラーよりも共産主義の広まりを警戒していた。ソ連は革命後から国内が落ち着いてくると、共産主義の宣伝を始めた。その代表がコミンテルン(Communist International)と呼ばれる世界共産党会議への働きかけだった。当初コミンテルンは世界革命を掲げており、各国の共産党の地位は平等であったが、革命が成功したのはソ連だけであり、ソ連が指導的立場になったのだ。コミンテルンはソ連の立場を擁護するものに変って、ソ連政府を賛辞する場となった。35年の第7回大会では反ファシズムを最優先課題に掲げ、多様な勢力との提携を目指す人民戦線を採択した。

人民戦線とは理論武装よりも現実路線への切り替えであり、気づかれることなく大衆を傘下に納め、ファシズムやブルジョワ機関に潜入して、内部からの崩壊をさせるものだった。その攻撃目標を日本、ドイツ、ポーランドに定めた。この戦略のためにイギリス、フランス、アメリカなどとも提携を計るなどとされたのだ。

これをありていに言えば、各国にスパイを送り込み、謀略活動、破壊工作をしますよと宣言したようなものだ。


チェンバレンにとって、ナチスドイツはやたらにドイツ復興を宣伝するが、イギリスに何の影響を与えるものではない。しかし、ソ連の謀略工作には注意を払わねばならないと考えたのだ。この当時の知識人や学生の中に、世界恐慌からの不況に苦しむ自国経済を救うのは共産主義しかないとの考えが広まっていた。

「資本主義は資本家を優遇し人民を抑圧するものだ。不景気になって苦しむのは労働者ばかりで、資本家は恵まれた暮らしをしている。自由主義経済は好況と不況の波が必ずやって来て、庶民を苦しませる。共産主義のような計画経済なら、景気の波をコントロールして、不況になることはない。庶民は不景気から守られる」

この考えがイギリスにも広がり、政府機関の中にも共産主義に同調する役人も見かけるようになっていた。

「各国の共産党はソ連の言いなり、下部組織になっている。油断しているとソ連は何を仕掛けて来るか分からない」それがチェンバレンの気持ちだ。


ドイツにおいてナチスと共産党とは激しく争っていた仲だ。このことをチェンバレンも良く承知しており、放っておいてもヒットラーがソ連打倒に立ち上がるのは目に見えていた。

前のフーバーとの会見でもこのことに一致していた。「ヒットラーとスターリンの狂犬者同士は戦わせておけばいい。イギリスはなるべくこのことに関知しない。ドイツが西に向かうことに関しては何も文句は付けない。」それが3月の時の認識だった。


38年9月12日にヒットラーがズデーテンのドイツ人に蜂起を呼びかけた。再びヨーロッパが戦場になることを怖れたチェンバレンは15日にヒットラーと会い、ドイツ人が過半数を占める地域のドイツ併合を認める。またフランスにも納得させると約束し、この後すぐにフランスを説得している。

22日に再び会談し、チェンバレンは約束通りフランスを納得させたと言うが、したたかなヒットラーは更にズデーテンの全域を要求していきた。しかも期限を28日とし、受け入れられなければチェコスロバキアに宣戦布告すると言い出した。これでヨーロッパ情勢は一気に緊迫して、ドイツとチェコスロバキアは開戦に備えて、軍隊に総動員命令を掛けたし、フランスやイギリスも部分動員をした。ここでチェンバレンは議会演説で戦いの覚悟を宣言した。するとそのすぐ後、ヒットラーからミュンヘンで会談したいと申し出があり、28日の期限を先送りすると言ってきた。


30日に急遽ミュンヘンでドイツ、イギリス、フランス、イタリアの4首脳による会談が行われることとなった。この会談は「ミュンヘン会談」、成立した協定は「ミュンヘン協定」と呼ばれドイツのズデーテンの併合が認められた。これを後に首相になるチャーチルは「ヒットラーに弱腰」と批判した。

ただ、当時のイギリス国民は戦争が回避されたことを素直に喜び、帰国したチェンバレンはロンドン市民から熱狂的に迎えられる。また国王ジョージ6世も帰国直後のチェンバレンをバッキンガム宮殿に招き労っている。

38年のこの時まで、チェンバレンとヒットラーは阿吽あうんの関係とも言える、互いの立場を認め合っていたのだ。


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