177話 軍都建設
まだ肌寒い3月初旬に、相模台に日本を代表する経済界のトップが集まり、「軍都計画」を説明されていた。
「ここに地上10階地下3階の敷地面積50万㎡の日本最大のビルを建てて、陸海空三軍が入り、2万人が働くことになります」担当者の説明に聞き入りながら経営者トップたちはその規模の大きさに目を見開いていた。
「これは予てから、塚田首相の近辺で考えられていたことなのだろう。」
「それでなくては、これほど早く、建設工事に取り掛かれないはずだ」
「そうですね、基本設計だけでもこれほどの規模なら1年はかかる。それなのにすでに始まっているのですから、プランは前から持っていたのでしょう」
実際には、陸軍がこれまで行っていた工事であったが、経営者たちは塚田内閣から始まったと勘違いしていた。
そう思われたのも無理はない。ここにきて『軍都計画』は一気に進み、着実に具体化、実地されるようになっていた。
まず空軍創立に続いて国防省を創設する話が現実を帯びてきた。軍事関係者が口を開けば国防省創設を語りだしたのだ。
国防省の創設は空軍創立のように正平から先に言い出したことではない。海相との対談で国防省構想を匂わしたが、陸軍や海軍内部から声が出るように仕向けた。これには勉強会のメンバーの水野と岡田が働きかけたのは言うまでもない。
「空軍を創るとなれば、陸海空三軍の統率をもっと緊密にしていかなくてはならない。国防省を創設するのが一番良い」
この声が出るようになって、正平は天皇に「空軍を新たに創立し、陸海空の三軍とします。その際に三軍を統括するために国防省を創設します」と奏上した。天皇はあえて疑問を口にせず、内意を受けることになった。
これで、軍関係者が色めき立った。
「国防省を作らなければ時代に乗り遅れる。いつまでも陸軍、海軍と言い合うのはふるい」国防省創設に先鞭をつけたのは俺だと言わんばかりに国防省創設言い始めた。
ただ、日本は陸軍と海軍が激しくいがみ合っているのも事実だ。国防省ができて陸軍と海軍が一緒になることへの不満は十分考えられた。
それを解消するために正平が出してきたのが『軍都』計画だった。
基より陸軍が相模台に陸軍の最大拠点を作ろうとしていた計画はあった。正平はこれを更に大規模にして構想を明かした。
陸軍だけでなく海軍を巻き込み、警察庁や消防庁まで入れて防災国防都市にする案を提示したのだ。
相模台が陸軍市ヶ谷司令部、海軍横須賀司令部と等距離で近いことも都合が良かった。更には水と電気の供給のために作られようとしていた相模ダムもまた陸軍と海軍の共同で進められていた。
『軍都計画』に陸と海のどちらからも反対意見は出るはずもなかった。
これを正平は更に盛り込んだ。
「日本最大の巨大ビルを作り、ここに陸海空三軍の総合指令部を作る。世界の情報が瞬時に入るように最新鋭の通信機器を設け、作戦や戦略を何時でも組みなおせる体制にする」
軍人の殆どは機械好きで、新しいものがすきだ。これが新しい兵器や軍事施設となればなおさらだ。
「大きな建物を見たい。日本一の建物に入ってみたい」『軍都計画』に夢を追わない軍人はいない。
陸軍、海軍、空軍の総司令部の入る巨大建物に夢中になる。
いつしか、空軍創立も国防省創設も受け入れられていた。
明治41年(08年)には生糸を輸出するために横浜と八王子を結ぶ横浜線が開通し、相模台にもいくつかの駅が作られていた。軍都の計画が持ち上がった頃には駅前には住宅商店が出来てはいた。ただ、都市計画とは無縁であり、小規模で雑然とした街並みだけだった。正平はほぼ手つかずのこの周辺に人口100万規模の都市にするつもりだ。
軍都には軍事物資の製造工場も近くに作られる。建設土木の機械工場、それに自動車会社や飛行機会社などを呼び込めば、働く従業員だけでも10万人になる。これに家族や商店主、公務員なども住まわせれば100万都市はすぐになる。
区画整備された道路や広い公園、上下水道、電気やガスなども予め地下に敷設して、地震などの災害にも強い都市づくりが可能だ。
「車専用道路を軍都から東に伸ばし新宿市ヶ谷陸軍司令部、南に伸ばし横浜横須賀海軍司令部とつなげる。また近くに空軍基地を設ける。そうすれば、既存の軍事基地と何時でも頻繁にアクセスできる」
先の車専用道路計画でも、真っ先に軍都に繋がる道を作ることが決まっている。
更には別棟だが、警察消防の入るビルや総合病院も近くに建設されるし、首相官邸や各省庁の支所も置かれる予定だ。
「関東大震災で首都が壊滅状態になり、行政・経済全てが大混乱した。政府の建物に被害はなく、行政組織の人的な損害は少なかった。行政機能は維持できていた。しかし、交通網や情報網が分断され為に、行政機関は地震の被害状況を把握できず、救済活動に支障がおきた。首都の情報や交通の混乱により政府の行政機能までマヒしたのだ。
この点を考えて、大震災に襲われても首都機能の維持は保つことが重要だ。巨大な東京の道路や鉄道、電気・ガス・水道など全て、地震に耐えさせるのは不可能に近い。
今から作ろうとする軍都なら、あらかじめ地震に強い、交通網やインフラ設備を備えておくことはできる。そこに首相官邸などの政府中枢機関を用意しておけば、万一の時には移り住み政府機能は維持できる」
もう一つ良い点が、『軍都』の建設費は陸軍や海軍からの予算が回ることだ。
軍都建設で当然軍事予算は増える。しかし軍都の建設は事実上、公共建設と言っても良く、多数の労働者や建設機械が導入される。これは海外への派兵などと違って、純粋に国内で人や金が動く事でもあった。国内の失業者は減り、景気を刺激することになる。
しかも、相模台の土地は安く、国が買い上げても巨額なことにならない。
事実、東京と横浜、大阪と神戸の間に車専用道路の建設も始まろうとしているが、こちらの方は土地収用の段階で早くも暗礁に乗り上げそうだった。計画の段階で分かっていることで、東京と大阪の中心地や繁華街から外れたルートを作るしかない。それでも土地収用だけにお金が費やされ、建設費に回らないのは確かだった。
失業と景気対策と言う意味では軍都建設や軍都周辺の交通網を整備する方がはるかに効果的だった。
蔵相もこの効果を認めていた。
「これで、失業者は5万人、景気への効果は0・5%押し上げますよ」にんまりと賀谷が言う。
広田内閣での軍事費膨張はほぼ財政健全化を放棄したようなものだった。塚田内閣になって、もう一度健全化に取り組もうとしていたが、拡大した軍事費予算を基に戻すのは正平の力では無理だった。
「無理やり軍事費を押さえれば、軍人の反感を買い再びクーデターが起こりかねない。それなら、軍事費に使うと言う名目で公共投資に回せばよい」
それには『軍都計画』はうってつけだった。
正平と賀谷は「軍都にお金を使うのは公共投資になる。軍人たちは軍事費の総額には眼を向けるが、個々の投資には一々気を回さない。軍都の建設と言う項目なら、目くじらを立てまい」と考えたのだ。
この目論見は当たった。軍都建設費は昨年から大幅に増え、今年度でも大きな割合となるが、どこからも批判がなく今年度の予算は国会をすんなり通った。




