169話 満州国の事情
31年の柳条湖事件より、満州事変にまで事態が拡大し、日本は満州を占領下においた。
満州事変は関東軍の参謀であった板垣征四郎や石原莞爾が企てたものであり、彼らは当初、満州を日本領土に編入しようと目論んでいた。
彼らにとって、関東軍の行動は当時の国際法に著しく抵触はしないと考えていた。
「アメリカだって、中米ニカラグアに軍事介入しているではないか」
「アメリカだってやっているのだから、日本も同じようなことを満州で行っても文句言われない」
そんな考えで始めたのだが、国際的な批判の高まりを見て、その判断が間違っていたと知る。
アメリカがやっても非難を受けないのは、アメリカが世界唯一の強大国だからであり、日本が中国を侵攻すれば非難されるのだ。
国際秩序、ルールがあるとはいえ、国際関係も子供の世界と似たような所がある。
「ガキ大将にはいじめっ子は逆らえない。」「ジャイアンの言うことが正しくて、のび太は従うしかない」
石原は国際関係を見誤った。ただ直ぐに、満州国の樹立に舵を切った。
まず北京にいた清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を元首に担ぎ出した。
32年3月に満州国は建国宣言し、満州民族と漢民族、蒙古民族からなる「満州人」による民族自決の国民国家であるとした。建国理念として日本人・漢人・朝鮮人・満州人・蒙古人による5族協和と王道楽土を掲げた。
でも実際には、満州国は関東軍と満州鉄道の強い影響下にあり、日本とは不可分の独立国家の位置づけだった。
これをリットン調査団は問題視して満州国の独立の疑念を報告した。これにより国際連盟の多くの国は、満州は中華民国の主権を持つべきと判断した。
日本は国際連盟を脱退し、松岡の「十字架上の日本」という名言が飛び出したのもこの時だった。
その後、日本の外交上の努力により、友好国だったドイツ、イタリア、タイ王国などが満州国を承認するようになり、スペイン、エルサルバドル、ポーランド、コスタリカなども満州国を認めるようになった。
イギリスやアメリカ、フランスなどは国交を承認しなかったが、これらの国の大企業などは支店を構えるなど進出するようになっており、当時の日本国内ではほとんど見かけなかったコーラが売り出され、飲まれてもいた。
少しずつだが、国際認知されていく状態だった。
「満州語を公共語にして、満州文字を普及させろ!」正平が命じた。
「それはなぜですか?」
「いまだに、主要国は満州国を承認しない。中華民国はともかく、イギリスやフランスは満州に利権がない。満州民族の独自色を出させて、満州が独自な国であることを強く印象付けるんだ」
「でも、それだと、満州民族が独自性を強く意識しだすと、日本の支配に反発するようになって、反旗を翻すことになりませんか?」
「構わないだろう。満州民族の意識が高まれば高まるほど、愛国心が芽生える。そうなれば、国境を接する支那やソ連とはもめごとが多くなる。それは日本にとって都合が良い。ソ連が中華民国と手を握ろうとするなら、満州を更に強くして、ソ連の脅威に備えるんだ」
満州民族は清朝を打ち立て、漢民族を支配していた。その支配期間が長くなり、次第に漢民族と同化することになった。
満州から支那の各地に移り住む者も現れ、現地に溶け込み、また逆に山東半島などから満州に入る漢民族もいた。清朝が崩壊した時には、満州には漢民族やモンゴル人などが混在していた。満州語の話せる者は過半数もおらず、満州文字よりも漢字が通用していた。
正平が公共語として満州語を広め、満州文字を普及させようとした狙いは、満州民族の自立意識だ。
「満州を日本に取り込むのは、現地の人間が多すぎて難しい」正平はそう判断している。
歴史を見ても、他民族を支配した国家が長く繁栄したことは少ない。必ず、被支配民族が反乱を起こし、国が滅んでいる。ローマ帝国やモンゴル帝国など歴史上稀に見る広大な領地と繁栄した文化を育てた。だが、やはり最後まで帝国を維持できなかったし、何より本来の民族の特色が失われてしまった。
今のイタリアはローマ帝国の血が流れているとは言え、文化伝統は途絶えている。モンゴル人もしかりだ。往時の栄光ほどではなくても、本来の民族の持っていた特性を失ってしまったのではないか。ローマ人や蒙古は世界の覇者としての誇りを失った。
その原因に他民族を抱え過ぎて自壊したと正平は見ている。
(日本は天皇を中心に長く国を維持してきた。長い時間をかけて、育んできた伝統や風習など今後も守り、日本の良さを後世に伝えておかなければならない。満州や朝鮮、台湾を支配下に置くということは、現地の異民族を日本国内に入れることになる。その時、日本人は独自色を保ち、誇り高く生きていけるのか。ローマや蒙古と同じ轍を踏む)正平はそのように考えていた。
「少なくても満州は人が多すぎる。満州国として独立させておいたほうが良い。それには満州人に誇りを持たせ、独立心を煽ればよい。
満州語が公共語となれば、満州人自覚も芽生え、主要国に独立を認めさせやすくなる。何よりも言葉が違えば、満州人と漢人とは意思が通じにくくなる
もし満州が日本に敵対するようなことがあっても、言葉が通じない民族同士なら、満州と支那とでは共同戦線を張れなくなるくなる。」
正平は役人たちを前に説明した。




