168話 ソ連との交渉
「ロシア人は破るために約束する」そんな諺がある。ロシア人との交渉が難しいと言うことだ。
その代表的な難交渉の相手だったのがスターリンだと言えよう。
ソ連はレーニンが死去した後、ヨシフ=スターリンによって実質的に支配されていた。
ルーズベルト、スターリンと並ぶ指導者であり、20世紀の中盤、世界はこの三人によって踊らされた。
この三人は国益を前面に押し出すタイプであり、特にスターリンはその感が強い。
各国はスターリンによりいいようにあしらわれ、利用されたのだ。日本も例外ではない。
20年代日本において、ソ連との交渉役は後藤新平だった。
彼は伊藤博文の系譜を踏む長州閥の人物で、台湾総統や東京市長として辣腕を振るった。
台湾の民生を向上するためアヘンを取り締まり、大震災で壊滅的な被害を受けた東京に大胆な都市計画を持ち込んだ。
行政手腕は折り紙付きであるが、スターリンには何度も煮え湯を飲まされ、思うような外交が出来なかった。
後藤が病死し、その後を継いだのが松岡洋右だった。外務省役人として、ソ連を含めた各国との交渉に携わった。
33年の国際連盟において日本は各国から満州事変の責任を追及され、堪能な英語力を駆使して日本の立場を主張した。
この時の「十字架上の日本」と言う言葉は有名で、帰国後英雄扱いの歓迎を受けた。だが、日本は国際連盟の脱退を余儀なくされ、無念に思ったのか、外交官を辞め後満鉄総裁になり、外交から一線を退いた。正平が内閣を率いるようになり、佐藤外相がソ連との交渉役に彼を任命したのだ。
37年7月にソ連は中華民国と中ソ不可侵条約を結んだ。中華民国は日本と友好関係を進めながら、日本を仮想敵国としていた。一方のソ連も日本を警戒し、中華民国を支援することで、日本の北進に備える狙いがあった。
8月官邸に松岡を呼び、外相とで今後の方針を考えることになった。
「支那がソ連と結んだのは分かるが、ソ連がこれほどまでに日本を警戒しているのか?」正平は松岡に聞いた。
「ソ連はシベリア出兵のことを今でも忘れていませんよ。後藤さんがソ連の日本への警戒を払拭できなかったのも、それが要因です」
「それで、支那を支援すると言うのか?」今度は佐藤が聞く。
「支那が日本と揉めてくれるなら、ソ連は日本を警戒する必要はありませんからな」
「それなら、我が国もヨーロッパ、特にドイツに接近してソ連を挟む様にしないとならないな。ソ連も欧州での騒ぎになれば、日本に警戒などしなくなる」
「ええ、それがいいと思います。それで三国防共協定を結んだのでしょう?」
「だが、あれは実効性がほとんどない。ドイツもソ連とはことを構えたくなくて、刺激はなるべく避けたがっている」
「やはり、イギリスとの交渉が重要ですね。ソ連にはイギリスを強く意識させないと、日本との友好協定には乗ってきませんかな」佐藤が言う。
「イギリスを引き込まないとソ連との交渉はできない」
「ええ、私もそれでよいと思いますが、どうして、首相はソ連との交渉に慎重なのですか?」
「外交というものは信頼関係で成り立つと思っている。そして信頼できるかどうかは相手の人間性によると私は考えている。」
「スターリンが信頼できないと思われているのですか?」
「スターリンの言動を見ると、『捨て犬』、『太った豚』とよく言葉にしている。国民を『捨て犬』、『太った豚』と呼んでいるのだ。私はこういう人物を信頼できない」
それが正平の持論だ。
ドイツ、イギリスに接近を図りながら、ソ連の出方を伺う。会談ではその方針で一致した。
正平はルーズベルト、ヒットラーそしてスターリンには強い警戒心を持っている。
それに比べれば今も交渉が難航している蒋介石の方に信用が置ける。
支那とは日本が北支から撤退したことで一触触発の危機は退いた。だが蒋介石は日本に対峙する覚悟は捨ててない。
塘沽協定を守る姿勢は示しながらも、満州を奪還することは諦めてないのだ。
「ソ連との条約提携はその表れだ。ソ連から武器を供給してもらい、日本に備えようとしている」
正平が北支から撤退し、張作霖爆殺の犯人を公表したのは、蒋介石に軟化を促す狙いもあった。
だが、なかなか蒋介石とは和解できない。
その理由には西安事件での周恩来との約束もあるだろうと正平は思っている。
周恩来と「共産党と戦わない、日本と戦う」と強制的に約束させられ、それを貫こうとしているのだ。
「約束を守る者なら、敵であっても信頼できる。だが約束のできない者を味方に付ければ最悪のことになる」
「世界を動かしている3人を誰も信用できそうにない。ならばどうする?」
当面の問題は支那であるが、アメリカ、ソ連、そしてドイツなどが絡み合い、世界は激動化している。
「大戦の終結後、世界は混乱から平和の時代になった。だが、ドイツは過剰な負担をさせられ、世界を恨んでいる。国力を取り戻そうとすれば、必ず周辺国とぶつかるはずだ。再び戦争になるかは分からないが、備えはしとくべきだ」
正平はそのように認識しながら、外国との交渉を考えていた。




