160話 ラジオ声明3
犯人は周囲の警戒に当たっていた兵隊で、近づいて来た正平を衝動的に襲ったもので、背後に関係者はないと分かった。
彼は「河本の裁判」が陸軍を貶めると考えており、正平に憎しみを感じていた。
「このまま、塚田が陸相をしていては陸軍が崩壊する」と供述もしている。
彼は志願兵で、若い時に士官学校を目指していたのだが、入学できなかった。それだけに陸軍への思いは強く、正平が10年前の事件をほじくり返すことが許せなかったのだ。
正平は改めて人々の認識を変えることの難しさを感じる。
(事実だけを知らせるだけでは人の考えはなかなか変わらないものだ。武力を押し付けてでも従わせようとする考えが、何故悪なのか説明しないとだめだ)
その思いを次のラジオの声明でぶつけた。
「先日、私は襲撃され傷を負った。その際に国民から心配される声が多く届き、有難く思う。
犯人は若い兵士で、私が張作霖爆殺を関東軍が行ったことを明らかにしたのが、日本軍の恥をさらすと考えた。私を許せないと、だから襲撃したのだと言っている。
この考えは明らかに気に食わない奴なら殺してしまって構わないとするものですだ。そこらにいるチンピラやくざと同じ考えだ。自分と違う考えの者には、話しをして説明し納得させるのが道理のある大人だ。この暴漢は体だけ大きくなって、頭が成長しなかった者だと言える。
過去にも同様な事件があった。
水戸の近くの村の坊主が若者を集め、自分たちが貧しいのは、政治家や金持ちの所為だと教え込んだ。そして若者たちに政治家や金持ちを暗殺させようと仕込んだのだ。殺生を禁ずる坊主ともあろうものが、人を殺めようとするなど言語同然の考えです。
世の中に貧富の差があるのは事実だ。だが、その理由を他人の所為にするのは子供の考えというものだ。自分が貧乏なら一生懸命働き、金を得ようとするのが大人の考えだろう。この坊主も頭が子供のまま大きくなった奴である。
そして、田舎の坊主の目で見る社会と国を背負って立つ者の目で見る社会は違う。田舎坊主は自分の事だけ見ればよいが、政治家は日本全体を見ないといけない。私は国民を豊かにすると口にしたが、実行するのは大変難しいことである。一人二人なら金持ちにもできるのですが、全国民を一度に金持ちにするのは不可能に近い。私の回りだけを豊かにしても何にもならないし、何より不公平なことです。
この坊主の考えはまことに幼稚だった。
浜口首相が東京駅で襲撃される事件もあった。犯人は「首相が統帥権を干犯するのは許せない」と供述した。だが、「統帥権とは何ぞや?」と問い詰めると返事が出来なかった。犯人は乏しい知識で物事を判断し、周囲の言ったことを真に受けてしまった。
統帥権は憲法学者でも議論が分かれるほどの理解するのは難しいものです。世間のこともよく知らない者が、いたずらに統帥権を口にして、暴力に及ぶのは滑稽しかない。こんな単純な考えの持ち主が銃器を持つのは『気違いに刃物』でもある。
この犯人も頭が発達せず、図体だけ大きくなった奴と言える。
更に昨年の2月のクーデター騒動も世間知らずの者達が起こしたものだ。彼らは貧しい農民に同情して蜂起したと言っているが、農民を豊かにする方策は何一つ考えてなかった。どうすれば農民を豊かにできるのか、彼らの頭にはなかった。ただ、政治家要人を殺せばよいと考えただけだ。
本当に農民のことを思うのなら、農民のために働こうと考えるだろう。畑を耕し、田に水を引くことをどうして手伝おうとしないのか。そんな者達が、世の中を変えるなど笑止千万だ。
「意見の違う者なら殺してしまえ!」それが226事件を起こした者達の考えだった。そして頭の中身は子供だった。
人を殺して何が生まれるか?武力に頼るのは混乱しか生まない。
戦国の世は人と人とが殺し合う時代だった。鉄砲などの銃器が開発されたが、そのほかに何が生まれた?世の中を良くする物は何一つ生まれなかった。
何より他人を信じることができない世になってしまい、すさんで荒れ果てた心が支配した。
今のわが国には選挙がある。政治のやり方がおかしいと思うなら、選挙で変えればよい。
国民の意思を示すのが選挙であり、政治家はその意思に沿って政策を実行すればよいのです。
時の政権の政策が良ければ支持し、悪ければ拒否を示すことができる。
私は選挙で国民の審判を問わずに首相に任命された。
だが、必ず国民からの審判を選挙で仰ぐつもりです。
まだいつ選挙を行うかなぞ考えてないが、必ず選挙をして、私の政策が良いか悪いか国民に問います。
そして、私の政策に不満だと言う声が多ければ、何時でも首相の席から降ります。
それが民主主義であり、暴力を否定するものです」
今回の正平のラジオ声明はいつになく口調が強く、断定的だった。やはり遭難して間もなく、傷も癒え切らない状態だったので、気分が高ぶっていたのだろう。
犯人を幼稚な奴と決めつけ、チンピラやくざ、坊主などと汚い言葉も飛び出している。
国民の反響にも戸惑いの声も見受けられた。ただ意外なほど、強い共感や激励の数が圧倒的に多かった。
(言葉が荒く、口調も激しく早口だった。それでも俺を支持する声が多い)
それが正平の自信になっていく。




