144話 ラジオ声明1
「今ラジオをお聞きの皆さん。夜の憩いのひと時をお邪魔しますが、私の話に耳を貸してください。
私は去る2月に、首相の大任を拝命した塚田正平です。皆さんに、私の行おうとする政策を説明し、理解して、協力していただきたいのです。」
3月、土曜の夜になって正平の声がラジオから流れた。
「私の政策の基本は富国強兵です。国民を豊かにして、強い軍隊を造る。明治以来の日本政府が続けてきた政策を引き継ぎます。
ですが、開国以来、日本は西洋列強からの侵略から守るために、富国よりも強兵を優先せざるを得なくなっていました。これは止む得ないことで、開国時には日本周辺には、ロシア、イギリス、フランス、アメリカなどの軍船が徘徊し、いつまた日本を攻撃してくるか分からない状態だったのです。ですから日本政府は外国勢力に我が国を攻撃すれば、手ひどく反撃するぞとの姿勢を示さなければならなかったのです。
ところが、ロシアは南下政策を始め、満州や朝鮮半島を領土に納める野心を隠さなくなりました。朝鮮半島がロシアに落ちれば、対馬海峡を挟んで日本はロシアと対峙しなくてはならなくなります。そうなれば日本はロシアの圧力に屈し、属国化するしか生きる道はなくなる瀬戸際に追い込まれたのです。
ここで日本政府の指導者は慎重に行動をして、朝鮮半島北部をロシアが支配するのを認める代わりに、南部は日本の支配権を認めて欲しいとロシアに提案したのです。しかし、これはロシアににべもなく却下されました。日本政府はイギリスと同盟を結び、何とかロシアの圧迫を跳ねのけようとしましたが、ロシアは朝鮮半島に触手を伸ばして来て、やむなく日本はロシアと戦わざるを得なくなったのです。」
「大国ロシアに対し、開国してまだ日も浅い日本は劣勢と見られていました。しかし日本国民は一致団結して、敢然と立ち向かいました」
正平は日露戦争当時、如何に日本政府が慎重に立ち会ったのか分かりやすく説明する。そして日本国民が一致団結して戦って、勝利したことを力説し、日本民族が優秀であると強調した。そしてさりげなく、自分も旅順で勇敢に戦い負傷したことも忘れずに言う。また、日英同盟の利点とロシア国内の政情不安にも触れた。
「そのような、幸運もあって、日本は勝利できたのです。それは時の政府が賢明であり、国民が優秀だったからに他なりません。それ以来日本は朝鮮半島を足掛かりにして大陸進出の道が開けました。日本の富国強兵策は理にかなった政策だったのです。」
正平は日本政府が取って来た富国強兵政策が間違いなかったことを指摘する。
「ただ、今の日本周辺を見回すと、当時と大きく状況が変わりました。日本の周辺に外国の艦船が周回することはありませんし、ロシアのようにあからさまに日本を恫喝する国もないのです。
それは今、欧州がかつてないほどの緊張状態にあるからなのです。先の世界大戦で敗戦国になったドイツはここにきてようやく、国力を復活しつつあります。そしてかつての保持していた国土、国力を取り戻そうとしております。この動きに当然、フランス、イギリス、ソ連は警戒して、そしてアメリカの最大の関心事も欧州の緊張状態にあります。それゆえ今日本の周辺には日本を脅かし侵略を企む国は存在しておらず、近来稀なほど安泰な状態になっているのです。」
正平は日本の安全保障がかつてなく強固になっていると強調した。
「私は、この好機を利用して、いまこそ日本は強国策から、富国策に軸足を移してもよいと判断しました。つまり、闇雲に軍備増強に走るのではなく、今まで顧みられなかった民生部門にも力を入れようと考えているのです。開国以来、日本には鉄道が敷かれ、発電所が設置され電力が供給されました。学校も建設されほとんどの子供が教育を受け、文字の読めない国民はほとんどいなくなりました。電気を使って機械が動き、衣料品、工業製品などたくさんの物が供給され、私たちは安価で良質な物を手に入れられるようになったのです。都市部にはガスや水道が供給され、自動車もちらほら走り、都市の住民は文化的な生活が出来るようになりました。
でも、一歩都市を離れ、農村に踏み入れたらどうでしょう。昔ながらの手足だけに頼った農作業がまかり通り、機械化などには程遠く、農村地帯で車を見かけることはほとんどありません。都市は発展しても、農村はまだまだなのです。
そして、都市部さえも下水道は普及しておらず、道路はほとんど舗装もされてないのが実情です。雨が降れば水たまりができ、車は立ち往生し、歩行にも不便になります。東京と大阪は日本の大都市ですが、ここを結ぶ道も全く舗装されておらず、車で移動するのに何日も要する有様です。道路に関して、日本は東海道中膝栗毛の弥次喜多がお伊勢参りしたころと変わりないのです。
日本は西洋列強と比べ、軍事面では互角になりましたが、民生面では著しく立ち遅れているのが現状なのです。」
更に現状の日本は生活レベルが西洋諸国に比べ立ち遅れていると強調した。
「アメリカで発生した世界恐慌により、日本も大不況に陥りました。都市部にも失業者が増え、浮浪者も多く出現した。そして農村ではこの惨状はもっとひどく、家族が生き残るために娘を売らなければならなくなった農家もいたのです。都市に比べ、地方はまだまだ貧しく、生活は苦しいのです。」
都市部と地方の格差を説明する。
「去年起きた226事件はこの農村の実情を憂いた兵隊が起こしたものです。農民の生活難に同情した兵士が、国の政策を変えようとしたのです。しかし、彼らはどうすれば農家を豊かにできるか考えていませんでした。ただ、日本を変えることしか頭になく、日本の指導者を殺せばよいと考えたのです。そんなことで日本は良くなりませんし、農村は貧乏から抜け出せないことが分かってなかったのです。
殺された高橋蔵相はかつて、日本が金融恐慌、世界恐慌に苦しんだ時に、苦境から抜け出させた功労者です。金融恐慌の時、高橋蔵相は金繰りに困っていた市中の銀行に融資し、銀行窓口に札束を山積みさせ、押し寄せた預金者に銀行におかねが十分あると分からせたのです。更に世界恐慌にも金利政策を打ち出すことにより、日本は世界の国々よりも不況から早く脱出できたのです。それだけ高橋蔵相は有能でした。
斎藤実内相、渡辺錠太郎陸軍教育総監も極めて経験豊富で有能な方でした。若い将校達はこのような立派な人を殺害したのです。更には鈴木侍従長にも重傷を負わせた。国のために懸命に働いて来られた方々を、若手将校達は何も考えず襲ってしまった。
有能な人がいなくなれば、日本はより困難になることを思いめぐらさなかった。」
このときまで226事件は国民に詳細なことは知らされてなく、正平は事件の背景や影響を話した。
「若手将校の暴挙は浅はかで短慮でした。ただ彼らが憂慮した都市と地方の格差問題は是非とも解決しなければならない。
日本の農村や漁村をこのままの状況にしておいてはいけないのです。農村や漁村が貧しいままでは社会の不安は高まり、治安が悪化します。私は何とかして農産や漁村も都市部の豊かさに近づけたいと思っています。」
正平は都市と地方の格差問題を解決する重要性を訴える。
「さっきも、言いましたように今、日本を侵略しようと考える外国勢力はありません。今、多少軍事増強から民生向上に力を入れても、油断にはならないと考えております。私は農村を豊かにするためには都市と農村を近づけることが必要と考えている。つまり、都市と農村が近くなれば、都市の安い電気製品や衣料品が農村に行き渡るし、農村や漁村からは新鮮で美味しい野菜や魚が都市の住民の口に入るのです。
そのためには道を広くして、車が通れるようにすればよいのです。今まで、歩いて行くしかなかった道も、乗合自動車バスを使えば短時間で移動できます。運ぶのに時間がかかりすぎて野菜や魚が腐ることも少なくなります。道が良くなり、車が通るようになれば誰でもが簡単に町と村を往き来できるのです。そうなれば農村の生活は豊かになっていきます。」
正平は農村や漁村を豊かにする必要性を説明し、その解決策を示していた。
「私は道造りを政策の一番手に考えています。勿論、この政策は簡単なことではありません。日本の津々浦々の村や港に道を作るのは大変なことです。効果が表れるのは時間がかかり、今すぐ農村や漁村を豊かに出来ません。ですが、今、この時期に国民を豊かにする政策を始めないと、いつまでたっても国民は豊かにならないのです。」
「私の政策については今後も皆さんに定期的に説明していきます。皆さんも私に対してご意見があれば政府の広報室に投書してください。必ず目を通し、いくつかは番組でも紹介し、答えていきます。今後も私の考えをラジオで皆さんにお伝えして理解していただきたいと思う。次のラジオ放送をご期待ください。皆さんの幸せな生活が過ごされることを願っています。」




