137話 塚田首相拝命
これまで小説でありながら、歴史事実からなるべく外れないように心掛けしておりましたが、ここからは私の想像、妄想により書き進めることになります。
つまりこれまでを歴史小説としての前半とするなら、これからは創作妄想小説としての後半になります。
塚田正平自身私の創作した人物であり、勿論実在しておりません。
正平が首相としてどのように日本を導き、太平洋戦争を回避していくのか書き進めたいと思っております。
首相を引き受けた時点で、正平の決意は固まっていた。
「首相として何をやるべきか。至急行うものと長期的な対策するものとに区別してある。まず、足元を固めてから、打って出る」
陸軍官舎に戻ると側近たちが喜色を浮かべて迎えてくれる。
「水野さんがお待ちです」
中に入ると、水野がにやり顔で座っている。
「随分早いな。まだ要請されてから2時間も経ってないぞ」
「地獄耳ですからな。石原たちが騒いでくれたので、宇垣さんの首相の芽はなくなりました。後は近衛さんとあなたしかいないでしょう。近衛さんが受けるかどうかは半々と見ましたが、私はあなたになってもらいたかった」
「まあ、期待に叶うように頑張るよ」
水野達周辺は正平が首相に任命される可能性を考え、行動していた。
「これが、陸軍内部のリストです。丸が我々に協力的、三角が事務官僚で中立的、✖がこちこちの統制派です。」
「よくこれだけしらべたな」その紙をさっと目を通して言う。
「私の情報と、内務省と警察のものとで判断しました」
そんな雑談をしていると、勉強会のメンバーも次々に駆けつけてくる。
正平は日本の現状を憂いている。「日本は都市が発展したが、いまだに地方は貧しい。」それはクーデターに走った若手将校と同じ気持ちでもある。
だが、若手将校や統制派の者が考えるような性急な制度変更はやるべきものではないと考えている。
「制度変更は慎重にやるべきだ。やるとしても失敗に備え、元に戻せる道を用意しとくべき」それが正平の基本だ。
「法律や制度を改正して現実的な政策をするのが一番堅実な道です。もし私が政権を担うことがあれば、堅実なやり方から進める」
彼の勉強会には若手将校などとともに、役人や学者も幅広く参加していたのもそんな事情があった。ただ意識して政治の話を避けたことから、政治改革に意欲を見せていた者達は、飽き足らないと思って勉強会を去り、今残っているものは塚田に共感するものだけだった。
集まってきた面々を一人ずつ確認しながら塚田は今日の会合の趣旨を話し出した
「まず、この会合は政治的な発言はしないことになっているが、今日は例外と思って聞いてくれ。私は今日、首相の重責を拝命した」
その一言に、集まった会員たちは喜びの声を上げた。
「やりました!」「塚田さんなら、当然です」ひとしきり歓声の声が続く。
「そこで、ここにいる皆に協力を頼みたい」
「当然です」「ぜひ、やらせてください」まだ、塚田が具体的なことを言う前に、協力を誓う者までいる。
「ここにいる者たちは私の考えに同調し集まってくれたものばかりだ。今後の私の内閣の頭脳であり目や耳でもある。
226事件以後、統制派が勢いを増すばかりだ。彼らの国家総動員の考え方では、産業界を窒息させてしまう。少数の軍人の考えで経済迄統制できることなど到底、無理なのだ。経済は民間の自由な考えや行動があって成り立ち、少数の考えで統制など出来るものではない。
私はそのことを皆と共通して確認してきた。
今後の政府運営では統制派とぶつかることが多くなると思うが、皆協力してくれ」
「まず、北支に展開する軍隊の暴発を防がなくてはなりませんな」水野は喫緊の問題を上げる。
「ええ、このまま軍事行動が続けば、際限もないほどの軍事費は膨らんでしまいます。もうこれ以上の軍事費の拡大は国会予算が破綻しかねます」馬場も同調する。
「何としてでも、北支から撤兵させないと、重大事件が起こりかねません」
そう言ったのは桜井少佐だ。彼は隊付き将校ながら皇道派とは一線を画し、正平に共感し勉強会に参加していた。現場をよく知るだけに、北支方面による日本と中国政府との緊張関係がいつ紛争に発展するか危惧をしている。
「その通りです。このまま北支に部隊をとどめていては必ず紛争が始まってしまう」
「だが、どのようにして軍部を説得するか?」水野が一番問題になることを指摘する。
このメンバーの誰もが、北支部隊を放置すればいずれ紛争にまで発展すると思っている。ただ、現地の部隊は中央の言うことを聞かなくなっていた。
正平が陸軍中央を上手く抑えたとしても、北支の部隊がそれに従うとは思えないのだ。
このまま会合は3時間以上続いた。
これからの勉強会の方針、各自の役割と分担を決め、自宅に帰った時、疲れが顔に出ていたようだ。
「あなた、疲れていますね」居間で妻のメアリが気遣いをしてくれる。
「ああ、疲れたよ。熱いコーヒーを飲みたいな」
就寝前の語らいが今の正平には休息である。
二人でコーヒーを前にして今日の出来事を簡単に説明した。正平は結婚以来、メアリとは政治や軍事機密以外、努めて話し合うようにしていた。アメリカ人の妻を孤独にさせないよう、夫婦間に秘密を作らないことを結婚以来実行していた。
「今日、首相になることになった」メアリは驚きを見せず、こくりと頷いた。どうやら、側近がすでに首相拝命を伝えていたようだ。
「私はいろいろ厄介なことに巻き込まれると思う。君にも苦労を掛けることになる。心配をかけるね」
「私はいつだって、あなたの味方よ。あなたが行おうとすることはきっと正しいと信じている」
「よろしく頼みます」おどけるように、頭を下げた。
「それなら、体を大事にしないとね。休むのが一番よ」
異国の日本で心細い思いをすることもあるだろうが、いつも満面に笑みをたたえ優しく接してくれる。
「あなたならやれます」正平を信じ切っている。メアリの顔には微笑みが浮かんでいる。そして正平はその顔を誰よりも美しいと思った。
重責に心が折れてしまいそうなのは事実であった。ただ妻の信頼する顔が正平の唯一の支えになっていた。
主人公が首相に任命されたことにしましたが、実際は陸軍大将の林 銑十郎になっています。
彼は政党を軽視する国会運営をしたことで反発され、予算審議が滞ります。そこで政党を懲らしめる狙いで国会を解散させ総選挙に打って出るのですが、野党の議席数を減らすことができず、林内閣には国民の不信感を示された結果となり、わずか3か月の短命に終わっている。
正平の行動は林内閣と正反対のやり方で戦争回避を向けていくことになります。




