135話 宇垣との対立
広田と会ったのは人目につかない料亭の一室だった。
その後二人で外国、特に欧州情勢と中国問題などに話題は移る。
「ヨーロッパの情勢をどう読んでいますか?」
「ヒットラー政権の軍拡政策はヨーロッパの不安要素になるでしょう」
「それなのに、ドイツと防共協定を結んだ?」
「表向きは英国をアジア、およびヨーロッパで封じ込めようとする思惑が一致したことになっています。が、防共協定には互助するとは書かれてないのです。どちらかの国が攻撃されても、支援する義務はないと言うことです。」
その意味することは明らかだ。協定と言っても同盟関係を結んだと言うことではない。仮にヨーロッパが戦争状態になっても日本はドイツを助けるとは限らないことだった。
「日本が戦争に加わる可能性は少ないと言うことですね」正平は確認するように言うと、広田は頷いた。
正平はヨーロッパで戦争が起これば、第二の世界大戦になると考えている。
(大戦となれば4,5年は続く持久戦になるだろう。国力の全てを注ぎ込み、勝っても負けても、損害、消耗は甚大なものになる。そんな大戦に日本が巻き込まれるのは絶対に避けなければならない)それが正平の世界観だった。
そして、広田もそれは共通している。
「中国問題はどうしますか?」
「軍部が出してきた『帝国外交方針』では北支を漢民族に任せるべきと書かれております。私もそれに賛成です」
石原莞爾たちの作戦指導課は「日本は東アジアの指導国にならなければならない」と考えていたが、そのためには支那との友好関係が必要とも言っていた。
一見するとこれまでの陸軍の強硬姿勢からは、矛盾しているように見えるが、石原たちは現実の支那情勢から見て、北支の独立は困難と考えていた。そのために、漢民族の苦境をよく認識し、統一運動を支援するほうが得策と判断したのだ。
これは永田鉄山の『北支分離政策』との方向転換を意味している。広田はこの方針転換に賛成だった。
「私も石原のまとめた方針には同じ意見です」正平も同意する。
「それなら内モンゴルに展開する関東軍をどうにかしないとなりませんね」
広田とはその後も突っ込んだ話し合いになった。
会話は弾んで時の経つのも忘れるほどだったが、広田には官邸に仕事があり、正平にもこれから会う人物がいた。
やむなく「今日は為になりました。今後もお話をしたい」広田の言葉に、正平も深く頷いて会談は終了する。
正平は思わぬ広田との長い会談で頭を休めるためと、次の来客を待つために控室を借りることにした。
簡単な仕切りがあり、その隅に座り、じっくりと考えを纏めようとする。
「広田さんの考えと俺の考えは似ている。
そこでさっきの会話を反芻しながら、取るべき対策と後にするものとを考えようとした。
そこに部屋に入ってきた者がいる。
「どうにも統制派の連中は気に食わんな」大きな声ではないが、宇垣の独特の声ですぐ分かった。
仕切りで正平がいることに気付かなかったのか、構わずもう一人の人物と語りだした。
そして普段より声を落として、小声になった。
「・・・」
その時、正平は少しまどろみを感じていて、宇垣への挨拶を逸していた。
そして小声になったことで二人の会話に耳を傍立てることになる。
不思議なことに人は、他人の内緒話にはつい、つられるようだ。正平も同じだった。
「それにしても塚田は・・」
その言葉にはっとして、それ以上黙って聞くことはまずいと感じて、「えへん」と咳ばらいをする。
それで宇垣も部屋に正平の居ることに気付いてくれた。
すこし、気まずい間があったが、互いに何食わぬ顔で挨拶をして会談に移ることにした。
この会談を持ちかけたのは宇垣からだった。
「政局について話し合おう」
宇垣の連れてきた客は石井でやはり宇垣の側近で、今回の会談を用意したのも彼だ。
三人で時局のこと、広田内閣の評価が話題になる。
「広田は統制派の言いなりだ」宇垣はつい不満を口にした。
今さっき会っていたばかりの広田への不満であるが、何も言わず、宇垣の言葉の続きを待つ。
「このまま、統制派に牛耳られ何もできないままでは日本が危うい」
宇垣の心配もよく分かることだった。
「石原や統制派の軍人たちはドイツやソ連の様な国家統制を考えている。
反対派の意見を封じ込め、自分たちの考えだけを推し進めようとしている。
彼らの考えが正しければそれでよいが、もし間違えていても反対がおらず修正できないことになる。
どんな国家でも誤った道を進もうとしていたら、反対意見が出て軌道修正するものだ。
今の日本では反対意見を言えなくなってしまった。それでは危うい」
「宇垣さんの意見に賛成です」
「それなら、広田内閣を倒すべきではないのか」
「いや、それはまずいです。広田首相は懸命に軍部の要求を抑えようとしており、支援する方がよいです」
ここで正平と宇垣の意見が食い違った。
二人の意見が食い違って、平行線のまま過ぎようとした時に、「アメリカ人を妻にするから・・・」と宇垣が思わず口に仕掛けた。
それを正平は最後まで聞かずに反論した。
「私の妻がどうだと言うんです!」顔色まで変わるほどの強い口調だった。
それには宇垣もしまったと思ったようで謝ろうとしたが、傍で聞いていた石井が口を挟む。
「だって、本当じゃないですか。誰もが外人を嫁にしたと思ってますよ」
「なにを!」正平は怒鳴った。
何とか宇垣を説得して、広田内閣への協力をさせようとしていたが、逆に反発しあうだけになった。
そこに妻を侮辱するような発言。会談は喧嘩別れに終わった。




