134話 広田内閣の政策
クーデターの後、首相の大命を受諾した広田弘毅は「火中の栗を、拾った(広田)」と揶揄され、いつまで持つのかと心配されたが、その政権運営はなかなかの手腕を示していた。
次のような広田内閣の七大国策・十四項目を決定している。
・国防の充実
・教育の刷新改善
・中央・地方を通じる税制の整備
・国民生活の安定
(イ)災害防除対策、(ロ)保護施設の拡大、(ハ)農漁村経済の更生振興及び中小商工業の振興
・産業の統制
(イ)電力の統制強化、(ロ)液体燃料及び鉄鋼の自給、(ハ)繊維資源の確保、(ニ)貿易の助長及び統制、(ホ)航空及び海運事業の振興、(ヘ)邦人の海外発展援助
・対満重要国策の確立、移民政策及び投資の助長等
・行政機構の整備改善
具体的には義務教育期間を6年から8年にまで伸ばし、母子保護法なども制定している。地方財政の調整交付金制度や発電事業の国営化にも着手している。
更には広田自らの発案で、市井の文化人や芸術家を対象にして、文化勲章を制定している。
これは従来の勲章が軍人や官僚、政治家に偏ったのに対し、「国づくりは政治家や軍人だけで行うのではない。国民が優れた文化を担うことにより国は発展する。市井に埋もれている優れた文化人を称えたい」とする広田の考えから生まれた。
これに対し、贈呈する立場になる昭和天皇も異論はなく賛意を示された。しかし最初の勲章の意匠に桜が使われることに難色を見せられる。
「桜では軍人色が強く、また花がすぐ散るのは文化が長く続かない印象を与え面白くない」と言われた。
そこで「常緑の橘ならすぐには散りません」と橘を意匠にすることを提案すると、快諾されたと言われている。
昭和天皇の文化に対する思いが伝わる話だ。
そんな広田と正平は会っている。
「塚田さんが内閣に協力していただいて感謝しています」
「いや、私の方こそ、戦車部隊と飛行部隊に予算を組んでもらい有難く思います」
そんな社交辞令から始まる。
正平は陸軍の近代化、機械化に力を注いでいたが、決して無茶な予算要求はしないようにしていた。
「国民の税金を使わせてもらうのだから、無駄な金は使えない。ネジ一本から吟味して、必要なものだけを購入する」
それからはじき出した戦車と飛行機の改良費用はしっかりとした裏付けのあるものばかりだった。
それが、広田の目に留まり、今日の会合につながったようだ。
「私は何とか陸軍の横車を抑えたいと思っております」
「横車とは穏やかではありませんね。ここは怒らなくてはいけない所ですが、広田さんのお気持ちは分かります」正平は穏やかなまま、答えた。
広田とはこれまで深い面識はない。それでもこのように秘密裏に会話しようとしたのは、重大な思いを話そうとしているからだと思った。
そうであるなら、こちらも正直に話すべきだ。口調は柔らかくなり、首相ではなく「さん」付けで呼んだ。
「これから政局は混乱するかも知れませんが、その時は塚田さんに大臣をしてもらいたいと思っています」広田の思いがけない提案だった。
陸軍大臣の寺内寿一は顔立ちこそ優男の風貌だが、強情な性格があり、他人の意見を聞き入れないことがあった。内閣でもしばしば対立を招き、広田にとっては扱いかねている人物だ。
そんな寺内は、226事件の首謀者と関連の深い皇軍派を追放した。更に石原らの進言に沿って、「追放された連中が陸相になれないようにする」と言って、軍部大臣現役武官制度を復活させた。
広田にとっても皇軍派の復活は望ましいものではないが、政局運営に軍部の影響が増したのは痛しかゆしだった。
「陸軍大臣が現役に限定されれば、大臣の選択が狭まる。極端な話、陸軍の気に入らない組閣なら、潰すことも可能になる」それを怖れていた。
(陸軍から強力な支援者が欲しい。)それが広田の気持ちだった。
彼にすれば、過度な予算要求をしてこない正平には是非とも協力をしてもらいたいばかりか、陸軍を抑えてもらいたい気持ちだ。
「政局が混乱すれば、正平に大臣になって欲しい」その言葉には折あれば、大臣の椅子を差し出してでも、正平の強力な後押しをお願いする気持ちが強く出ている。
そのことは正平もすぐ分かったが、口にして約束できるものではない。
口元を緩め、広田と軽く目を合わせただけにとどめた。
正平にしても広田の手腕を高く評価していた。
「広田首相はなんとか軍事予算を抑えて、民事の安定に予算を使いたいのだろう」
正平は陸軍の統制派が「国家総動員」に傾き、計画経済に重きを置くことに疑問視していた。
「アメリカやイギリスは別に計画経済でなくても世界一の経済大国になっている。民間の力を伸ばせていけば、国家が指導しなくても豊かになれる。これまで計画経済で世界最大の経済国になったことはない。経済を一握りの者達だけの考えで管理できるのか大いに疑問だ。統制派の考えはいずれ行き詰まる。」
正平と広田の考えは非常に近いものがあった。
言葉はなくても、分かり合えた。




