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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
13章 激化する派閥争い
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123話 鉄山死す

正平と考えは違っていても、鉄山も世界的な視野で物事を見ることができた人物だった。その鉄山に凶事が遭遇する。

35年8月12日午前9時45分頃、永田鉄山は軍務局長室にて陸軍の綱紀粛正に関して、打ち合わせをしていたところ、相沢三郎が闖入し、軍刀で切りつけられ殺害された。この時相沢は軍刀で切りつけたものの、一撃だけでは命を奪えないと判断し、刀身を直に手で握り、刺している。部屋には武官が二人いたのだが、止めに入ることができず、即死の状態だった。享年51。


相沢は永田より五歳下の陸軍中佐で、歩兵第41連隊付きで、近く台湾赴任する予定だった。父は旧仙台藩士で裁判所書記・公証人で、その長男として福島に生まれ、士官学校卒業し、歩兵連隊付になっている。

相沢は質素倹約をモットーに華美に着飾るのを嫌い、一度下約束は絶対に守る古武士の風格があった。また上官を敬い、部下には情け深く接し、他人に対しても慇懃丁重な態度を崩さず、皇室に尊敬の念を抱いていたと言われる。

彼のその態度は幼い時から植え付けられた。彼の父は仙台藩士であったことから、明治維新で東北の藩が朝敵の汚名を着せられたことに深く残念に思っていた。

「お前は祖先の汚名を雪ぐために、一意専心のご奉公を徹し、常に一死を以って、君国に報じる覚悟を持たなければならない」と教えていた。

成長しても、その教えは守り続けた。嘘を言うことや、駆け引きなどはしなかった。また仙台輪王寺の禅師の教えを受けるため、三年間も禅生活をした。

軍人として模範とも言え、家庭では妻との間に娘が生まれ、厳格だが優しい父親でもあったと言う。

決して危険思想にかぶれてもおらず、その彼がいかにして凶行に及んだのか謎でもある。


彼は隊付き将校であるが、皇道派の隊付き青年将校に加わってはいなかい。皇道派の青年将校のように、国家改造を議論し、政府や軍部上層部を批判もしなかった。

だが、10月事件や5・15事件の関係者には同情を寄せいていた。

「彼らは国のことを憂い、非道な政治家を誅しようとしただけではないのか」

「そんなことを言うな。お前にも災いが及ぶぞ」

「私は他人に利用されることも、頼ることもしない。だが、信じたことならば、たとえ一人でも実行する」と意に介さなかった。

これを見ても彼が曲がったことを嫌い、正義を貫こうとしたことが分かる。そして不正を見逃すことができなかった。


皇道派の青年将校と深い付き合いはなかったが、彼らの心情は理解していた。

「青年将校達の『国家改造論』はまことに日本のことを考えてのことだ。農民の置かれている惨状を知り、立ち上がろうとしている。

それを上の者達は只押さえつけようとしているだけだ。」

士官学校事件においても、磯部浅一、村中孝次たちの無罪を信じた。

「彼らがあんなに国のことを思っていたのに、免官にするとは上の者達のやることはなってない」

これは相沢一人が思っていたことではなかった。多くの隊付き将校が感じていたことだ。

「このままでは若い将校達が暴走しかねない。前途ある者達が捨て石になってでも、亡国の者達を誅すると考えている。若者たちを見過ごし犠牲にしてはならない」


相沢は真崎が教育総監を罷免された時に出回った怪文書を読み、「真相」知ったと確信する。

「真崎長官の罷免は統帥権の干犯ではないか。天皇陛下だけが持つ統帥権を明らかに、林陸相は犯している」

また林陸相の裏には永田がいることも知った。

「林陸相は永田にロボットのように操られている。元凶の永田を殺さなければ、悪は取り除けない。

若い者達が行動に出る前に、俺一人で永田に天誅を与える」そう決心するのに時間はかからなかった。


相沢は剣道4段の腕前だ。腕には相当な自信を持っている。

永田の居る事務室に入ると、すぐさま軍刀を抜き、切りかかる。

部屋には永田の部下が二人いたが、一人を切り捨て、もう一人は逃げだした。

一歩踏み込んで、永田に向かって切りつけると「まさか、自分が」永田は驚愕の顔をしている。

ただ、軍刀では深く切りつけることができず、とっさに素手で抜き身を掴むと、一気に刺し付いた。

その時に刀身を掴んで左の掌から出血するが意に介さない。しっかり死んだのを確認し、そのまま退出した。


事件を受けて、陸軍の首脳部は林陸相、橋本虎之助陸軍次官、橋本群実務課長が退任し、替わりに川島義之陸相、古荘幹郎陸軍次官、今井清軍務局長、村上啓作軍務課長の布陣となった。

また、36年1月から軍法会議が開かれるが、後半の焦点は真崎教育総監の更迭に関し、林陸相の行動が統帥権干犯に当たるのか、永田がそれを敢えて行わせたのかが焦点になる。この裁判は5月の第14回裁判で終了となり、7日に死刑が言い渡される。


相沢は軍人として模範的であり、家庭では善き父親であったと言えよう。

正義漢も人一倍強く、一人でも信念を貫く、強い精神力を持っていた。

利己心でないのは明白で、全て国の為、仲間を思う気持ちから、単独行動にでた。

ここまでにもいくつもの暗殺事件や未遂事件を書いてきたが、暗殺者の中で相沢ほど高潔と思える人物はない。

彼にとり当時の乏しい情報網や閉ざされた軍内部では正確なことを知るすべはなかった。

もし彼が本当の永田の姿を知っていたなら、凶行に走らなかったのではないだろうか。

それだけに怪文書に踊らされたことが残念です。


鉄山は日本陸軍において、世界的な視野を持っていた稀有な人物と言える。彼ほど、「国家総動員」を唱えた者はいない。

ただ、彼はあくまでも軍人の眼でしか国を見ることができなかったように思える。彼には経済や外交によって問題を解決する意思が少なかったとも言えるだろう。

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