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旭日に顔を上げよ  作者: 寿和丸
13章 激化する派閥争い
118/257

118話 林陸相

34年1月、荒木は酒を飲み過ぎて寝てしまい風邪をひき、それをこじらせて肺炎になり、これを理由に大臣を辞任する。

ただ、荒木は斎藤内閣の下で高橋蔵相などから、軍事費増強を撥ねつけられており、陸軍内部での批判を受けていたのも大きな辞任理由だ。

荒木は真崎を後任の大臣に強く押したが、閑院宮から強くい反対される。真崎は独断専行が強く、親王の反感を買っていたのが大きな理由だった。

これより前の話になるが、真崎は陸軍大将に進級している。本来参謀次官は中将職とされており、大将は次官職に就かないことになっていた。この時、真崎は大将になっても次官職に留まると強情をはり、閑院宮を怒らせてもいたのだ。閑院の逆鱗を買って真崎は参謀本部を離れることになり、替わりに参謀次官には宇垣系の植田健吉がなっている。南次郎や金谷範三達の働きかけが功を奏した形だ。


そして陸軍大臣には林銑十郎教育総監が就いた。この林の大臣就任にも南たちが裏で動いている。

従来、林は石川県出身で、前々から真崎とは個人的に親しく、その関係で教育総監になっていた。

荒木や真崎に近い人物と思われていたのだが、この頃には二人と気が合わなくなって林が二人と疎遠になっていた。これに気づいた南たちが、大臣に擁立したのだ。

また永田も元老西園寺の側近の原田熊雄に「荒木、真崎、林の三人は陸軍も首脳者として統率の取れる人である。荒木は配下が多く取り巻きによって誤解されることもある。林には特定の部下はいないが、他人の話をよく分かるひとだ。真崎には部下はいない」と評している。

誰が陸相にふさわしいとは言ってないが、暗に林を推すあたり、永田の巧みさがある。


林が陸相になると、すぐ永田を軍務局長に据え、二人の協力関係がここから始まる。なお林の後釜の教育総監には真崎が就いた。

4月になって、林の実弟が汚職事件で訴追される。これに責任を感じた林が辞職を口にするが永田は強く慰留する。

「今の陸軍で大臣を務まる人は林さんしかいません。貴方が辞職してどうするのです」

その上で、西園寺側近の原田にも「今の状況は荒木、真崎、柳川、そして秦憲兵長官迄加わり、林陸相を追い出そうとしているのです。彼らはこれを機にまた自分たちのやりたい放題のことをやろうとしています」

更には植田参謀次官と相談し、閑院参謀総長、斎藤首相などを動かし、林を留任させることに成功する。


斎藤内閣から岡田内閣になっても林と永田の信頼は揺るがず、いよいよ永田の本領が発揮されだす。

9月になって林は人事を断行して、皇道派の柳川陸軍次官、秦憲兵司令官、山下軍事課長を更迭する。参謀次長には宇垣派の杉山元がなった。

更に35年3月には皇道派の松浦人事局長を追い出し、小畑を陸大校長にして、陸軍中央から遠ざけてしまう。

どれも永田が考え出したことだ。

林は荒木や真崎などの皇道派と手を切る形になり、基盤の無い林にとり、永田達の統制派に頼らざる立場となる。

また永田も真崎達の皇道派と対抗していくには林陸相の権限と立場が必要で、手を握るしかなかった。

これに南たち宇垣派が閑院宮を介して林を支援する形になって、皇道派・統制派・宇垣派の三つ巴の勢力争いになって来る。


永田は着々と陸軍に勢力を張ってゆき、そしていよいよ、8月の人事で真崎教育総監の更迭を考える。

陸軍において、陸相と参謀総長、教育総監は「三長官」と言われ、陸軍人事に関与できる。林と永田の3月人事案は真崎によって修正された。

このことで陸軍を掌握するには真崎を切るしかないと考えた。

更に参謀総長の閑院宮は真崎を毛嫌いしており、林陸相は三長官会議において、真崎に強く辞任を迫った。

だが、真崎はこれを断固拒否する。

「教育総監の更迭は統帥権に関わることだ。三長官会議で図ることではない」

すぐさま林は単独で天皇に面会し、真崎を罷免させ、渡辺城太郎を教育総監に任じると上奏した。

しかし真崎もこれにも怯まず、ついには軍事参議官会議に開かれることになった。


ここで真崎は「余の罷免は不当であり、これは全て永田の策謀によるものだ」と林と裏にいる永田を非難する。

さらに書類を持ち出して「これは『三月事件』の折に永田が製作した計画書だ。永田が様々な裏工作をしていることは明白だ」

この永田の三月事件の計画書は事件が未遂に終わり、小磯が書類を償却することになっていたのだが、その一部を軍務局長室の金庫に置き忘れたままにした。これを、後任の山岡重厚に見つかり、真崎の手に渡っていたのだ。

そんな証拠を突き付けられ、一転して、林と永田は窮地となるが、ここで渡辺が助け舟を出す。

「これだけで永田が策動していると言えないでしょう」

渡辺の一言で林は会議を切り抜けられ、真崎の罷免は正式に決まった。


更に林は8月の定期異動で、皇道派の秦信二憲兵長官を予備役に、鈴木卒道作戦課長、土橋勇逸軍事課高級課員を更迭した。

また、南たちが推していた小磯国明の航空本部長は見送られ、南自身も関東軍司令官として中央から離されていた。

宇垣派も中央復帰はままならなくなった。


永田が三月事件にどれほど関与したのかどうかは正確には不明だ。だが、真崎は残された計画書を信じ、皇道派も永田の策謀を疑いだすことになった。

真崎の罷免は裏で永田が動いていると信じた皇道派の恨みは募り、次の悲劇を生むことになる。




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