106話 政党政治の終焉
この回も前話と関連します。
32年5月15日、三上 卓海軍中尉などが首相官邸や警視庁を襲撃し、犬養首相は殺害される事件が起こる。5・15事件だ。
海軍将校たちは日召と親交があり、井上や団が暗殺された血盟団事件に影響を受けていた。
15日は日曜日で犬養首相は朝から官邸にいた。午後5時半三上卓などが襲撃し、警備をしていた警官を銃撃殺害した。三上は犬養首相を官邸の食堂で発見すると、直ちに拳銃を向け引き金を引いた。しかし、弾丸が装てんしておらず、発射されなかった。犬養は落ち着いて、襲撃隊を和室の客間に案内する。ここで首相は床の間を背にして座り、自分自身の考えや日本の在り方を話そうとした。
三上が立ったまま首相と問答していた時、応接に入って来た山岸宏がいきなり「問答無用」と叫ぶと、黒岩勇が銃撃し、三上も続いた。犬養は崩れ落ち、襲撃者は犬養の生死の確認をすることもなく慌ただしく立ち去る。
この時犬養首相は駆けつけた女中に、「今の若者をもう一度読んで来い、良く話して聞かせる」と気丈にも言ったと言う。襲撃した将校よりもはるかに胆力が備わっていたと言える。残念ながらその深夜に亡くなった。享年77歳。
昨年12月に首相に就任して、わずか半年のことだった。
犬養は政治に長くかかわって来ただけに、支那に知人も多く、満州における支那の主権を認める方向で妥協を図る考えを持っていた。軍部や周辺の圧力で満州事変そのものは黙認する立場にはなるが、独立国家には消極的だったのだ。
「満州の独立国家を推し進めれば、必ず9カ国条約に抵触する」とも手記に残している。
後の外交状況を見ても彼の見通しは間違ってなかった。満州に独立国家に欧米は容認する姿勢を見せない。それどころか日本を非難する姿勢になっていた。
「できるだけ、軍部を押さえ時局を清々と処理する」それが彼の考えだった。
ところが、国内では満州国の独立を承認し、それを支援し発展させていくべきと言う声が圧倒的になっていた。陸軍が各地で開いた宣伝工作や講演により国民は共感していたのだ。
これを踏まえ陸相の荒木貞夫は満州の独立を犬養に迫るようになる。
荒木は政党政治に信頼を置いてない。一章のプロローグでも書いたように、天皇を中心にした政治を目指す“皇軍派”を率いるような人物だ。
犬養の政策に協力的な態度はとるはずはなかったのである。犬養が荒木を陸相に据えた段階でこの事態は想定されていた。
政党政治に協力的な宇垣派の軍人を内閣から排除したことにより、軍部首脳に協力者を得られない状態だった。
そこで、上原勇作陸軍元帥の協力を得ようとするのだが、面会さえも断られている。
また、天皇に上奏して軍部の過激将校30名を免官処分しようともした。
だが、これらの動きは森 恪内閣書記長により、一夕会の小畑敏四郎に知らされていた。
一夕会にとってもこの動きは面白いはずはない。
犬養が襲われた理由でもある。
余談だが、犬養と森恪は外交問題でも対立し、事件の一報を聞いて“してやったり”の表所を浮かべていたと言われる。
また、陸軍首脳は事前に事件の計画をある程度掴んでいたが、放置をしていたとも言われる。
それが政治家の中に軍部への恐怖を生みつけるようになる。
事件後、更に軍人は政党政治に信頼を置かなくなり、政治家は自信を失ってしまった。
こうなったのも、政権奪取のためなら手段を選ばなかった政党政治家の責任は大きい。
統帥権を盾にとり、倒閣運動に走ったのは愚か過ぎていた。
国会が言論から闘争の場になったのは政治家の責任と言えよう。
3月事件、10月事件とクーデター未遂事件があり、血盟団の陰謀の後に、5・15事件が起きたのだ。
この時の政治家はこれらの事件が自らの言動が種を撒いたという自覚があったのだろうか。
彼らは自らの言動で国民からの信頼を自ら裏切ってしまった。それによって軍部を抑えるだけのバックアップを失ったのだ。
このことは次の首相を選ぶときにも左右する。軍部の力を怖れて、政党政治家は国を率いる気概を失くしてしまった。
犬養の死をもって、日本の政党政治は終焉を迎えた。
この事件の報告を正平は桜井から聞いた。
「首相は実に肚の座った人だな。軍人でもこんな切羽詰まった状態で、落ち着くことはできないぞ」
「ええ、立派です。それに比べ、海軍将校達は浮足立っていますね。首相を見るなり引き金を引き、それが不発なんて軍人として慌て過ぎです。」
桜井は警備していた警官が2名死傷しており、将校達の行動には皮肉が混ざる。
「血盟団にしろ、海軍将校にしろ、銃器を簡単に持ち歩けるのは問題だな」
「ええ、私もそう思います。いずれ、刑法を整えないと池にと思います」
桜井とはその後も事件の対応を相談し合った。
正平は犬養首相とは親交は少ない。
どちらかと言えば、犬養首相により陸相を更迭された形だ。
ただ、政党人としての犬養の姿勢は高く評価していた。
犬養は日本に憲法が制定され、国会が出来てから一貫として政党政治をこころざし、少数政党を率いた時でも節を曲げることはなかった。
「銃を向ける者達に向かって、話せば分かる』などと落ち着いて言える人はまずいない。」
正平は改めて老政治家の信念の強さを思い知った。
「襲撃した者の中に、人の考えを聞くだけの度量を持つ者はいなかった。あまりに軽挙妄動だ。
このような考えを持つ者が軍人の中に多くいるようになると国は危うい。そして首相以外の政治家でどれほど軍部と渡り合おうとする者がいるだろうか。」
正平は静かに考えに沈んでいった。




