Ep①双子の姉
扉の向こうで、宮殿の廊下を誰かが急いで走ってくる音が聞こえた。
その音の主をノエルはよく知っている。
窓の外を眺めていると、後ろで勢いよく扉が開いた。
ゆったりとした動作で振り向くと美しい少女が息を切らしながら立っていた。
「やあ、やっと来たね」
音の主は走ってきたためか、顔が少し紅潮している。
「お待たせしました!ヴィシニウス卿!」
まだ、背中で息をしながらこちらに向かってくる教え子に対して「やれやれ」といった表情を向けた。
教え子はこの宮殿の王女、ローズである。
父親はこの国の国王にして、ノエルの古い友人でもあるウィリアム。母は元公爵令嬢フローラ。
ノエルはかつて隣国アナムスよりここラスコット王国に遊学していたことから現皇帝陛下と友人となった。
その魔術の高さを買われ、帰国後の今も月に一度ローズの家庭教師としてこのラスコット宮殿にやってくる。
「さあ、席について」
「は、はい」と少しどぎまぎしながら腰掛ける教え子を見ると、フローラの若いころによく似てきたなと感じる。
ついつい若くかわいらしかった頃の彼女が目の前にいるような錯覚をしてしまいそうになる。
数年前まで、いい加減結婚して身を固めろと両親からもさんざん言われてきたが、これまでずっとのらりくらりと交わしてきた。
ノエルの本当の思いはこの20年近くずっと心にしまってきたのだ。
まだ少し汗ばんでいる皇女の前に魔導書を置いた。
「じゃあ、始めようか」
今日使う魔法は風の魔法だ。
「では、この羽を浮かせてみて」
一通りの説明を終え、ローズの左手にフクロウの羽をのせた。
何本かの羽が燃えて犠牲になったところで訓練は終わった。
「では、今日の訓練はここまでにしようか」
「先生、私、魔法の才能ないのでしょうか……」
ローズは泣きそうになって言った。
「才能よりも努力だよ」と声をかける。
そう言いながらノエルの胸はざわついている。
その目に浮かぶ涙をこの手でそっと拭ってやりたい気持ちか湧き上がってきたのだ。
しかし、その感情は心にとどめておかなければならないとノエルは痛いほどよく知っている。
「ところで先生、今度私たち双子の成人パーティーがあるのです。来ていただけますよね?」
「ああ、そうだったね。是非参加させていただくよ」
彼女が生まれた日を忘れるわけがない。
「…あの、一つお聞きしても良いでしょうか?」
「?何だい?」
「あの、先生は恋人はいらっしゃらないのですか?」
まっすぐにこちらを見て話す彼女から思わず目を離した。
そして出来るだけ冷静を装って柔和な笑みを湛えながら答えた。
「はは、変人と名高い僕に近寄る女性は少なくてね」
冗談めかして言うと、ノエルはローズに背を向けて扉に向かった。
「では、舞踏会では私と踊ってくださいませんか?!」
扉に手をかけたノエルがゆっくりと振り返る。
ローズの言葉が聞こえなかったかのように丁寧に礼だけをして出て行ってしまった。
フクロウが恨めしそうにローズを見ていた。
部屋に一人残されたローズは、しょんぼりしてまた椅子に腰かけた。
いつもこうだ。
先生は私のことを子ども扱いして、ちっとも真剣に取り合ってくれない。
思わず大きなため息がでた。
「ねえ、どうしたら振り向いてくれるのかしら?聞いていたでしょ?ロビン」
ローズが声をかけた。
音もなく後ろから現れたのは護衛騎士のロビンだ。
両親の友人ショーン侯爵の息子だ。
「さあ、ヴィシニウス卿の考えは僕にも…」
答えにくそうにロビンは答えた。
「そうよね・・・」
確かに宮廷内ではノエルを変人、変り者と呼ぶ声もある。
つかみどころがなく、それでいてすべて見透かしているような視線
白銀の髪の隙間から覗くそれらをローズは思い出す。
「ところで、あなたもパーティーには参加するのでしょう?」
「はい、今回は侯爵子息として参加いたします」
「まあ!じゃあリリーをダンスに誘えるじゃない!」
「そ、それは、どど、どうでしょう?」
ロビンはかすかに頬を赤らめて動揺している。
こんなに分かりやすいのに、双子の妹リリーは一向に彼の気持ちに気づいていないのだから彼も気の毒なことだ。
「今日はリリーについていなくてもいいの?」
「今はハッシュ様と訓練ですので」
私たち双子には主にハッシュ卿とロビンの二人が護衛についている。
その剣術の師ハッシュ卿にリリーは夢中だ。彼女は言葉にこそ出さないが、その挙動不審さで周囲はとっくに気づいていた。
だが本人だけは隠せていると思っているらしい。
ふと、ロビンも自分と同じぐらい切ない気持ちなのだろうかと、ローズは彼の赤くなった耳を見ていた。




