第二十九話
「まったく……あの脳筋パーティーどもめ!」
ヒイロの部屋を飛び出したミリシアは、雪の降るTokyorkの夜道を歩いていた。道端には相変わらず身を寄せ合って生きる三級市民の姿があった。また同時にそんな彼らを見下ろすかのようにテレカメラにお決まりの『可愛らしい妹があなたを見ています!(Little sister is watching you!)』という文言が表示されている。
「こんなやつを相手にして良い事があるはずないわ! 鉄砲だの何だのと戦うくらいなら訳ないが、戦車やミサイルが出てきたら流石の勇者とて死んでしまうだろうに──はっ、余は何故あやつの事を心配しておるんじゃ!?」
とにかく、と彼女はどうしてか思い浮かんだヒイロの顔を払拭するかのように自宅への道を進む。
「はっくしょん! ……とにかく! 余が欲しいのは金なのじゃ! 下らない同情や人助けなどしている場合ではないのじゃ。たとえあやつらに引き止められたとしても、絶対に手伝ってなどやらぬからな!」
異世界人だったとしても生物である事に違いはないので、くしゃみの一つも出るものだ。
早く暖房のある我が家に帰ろうと、歩みを早めた瞬間。
「あの、すみません」
「だから、余は手伝わんと言っておろうに!」
「ご、ごめんなさい!」
想定外の方向から声がかかったので、ミリシアが相手に目を向けると、そこに立っていたのは見覚えのある女性だった。
もちろんシァンやヒオなどではない。どこかで見たような気がするが、思い出すのに苦労をしていると、
「私のこと、覚えてませんか? 数日前、資産家の金田に娘を殺されてかけていたところをあなた方に助けられた者です」
「金田ぁ? ……お、そう言えば、そんな事もあったのう」
その言葉を聞き、ヒイロと自分が再会した日、彼が母子を助けようとしていた事を思い出した。
「あの時は娘の事ばかりで手一杯でしたが、いつかは恩返しをしたく思っていました。まさかこんなに早くお会い出来るとは思ってもおりませんでした」
「余は別に会いたいとは思っておらんかったが……これは何ぞ?」
困惑と共にミリシアは突き出されたお椀に目を向けた。中には湯気の立つ野菜スープらしきものが注がれているようだった。
「寒そうでしたので、さっき買ったものでよければ、お飲み下さい。くしゃみもされていたでしょう?」
「むう」
女性のセリフにミリシアの困惑がさらに深まった。女性の服装は見るからに貧困に窮している三級市民そのもので、誰かに施しを与えられるような余裕も無さそうである。
「お主、余がスープひとつ飲むのも苦労する人間に見えるのか?」
「いいえ。美しい身なりから拝見するに、きっとあなた様は一級市民の方でしょうね」
「そうだ。そんな余に施しをしたところで、お主に得は無かろう。なのになぜ、こんな一銭にもならん事をしようとするのじゃ?」
「何故こんな事をするのか……ですか?」
ミリシアの問いに、女性は少し考え込む。言われるまで考えたこともなかった、とでと言いたげに。
「恩返しをしたいから、でしょうか。色々と考えましたが、やっぱりこれしか理由はないです」
「だから──余はこの程度のスープなど簡単に手に入る! なのに何故、自分の身を削ってまで他人に施しをするのかと聞いておるのじゃ!」
「私がそうしたいと思ったからです。あなたが一級市民だろうが、どのような立場でも。たとえ私に一切の得がなかったとしても。くしゃみをしている人に、暖かいものを飲ませてあげたいと思う事の何が変でしょうか?」
「……!」
まっすぐな女性の視線に、ミリシアは思わず閉口した。そして目の前に差し出されたスープを再度見る。
そのスープは細切れの野菜が少し入っているだけの、シンプルなものであったが、今の彼女の目にはとても美味しそうに映っていた。
はっ、とこの時ミリシアは以前、ヒイロと何気なく交わした会話のことを思い出した。
『何故そこまでして誰かを助けようとする? お主はもう勇者ではない。むしろ施しを受けるような立場ではないか』
『勇者だから、金があるから。俺はそんな理由で人助けをしようなどと考えた事は一度もない』
『では何故だ? 正義のためとでも言うつもりか?」
『違う。救える命の事を思い浮かべれば、取るべき行動はきまってくる。助けたいと思う仲間や人々の顔を浮かべれば、損得感情など浮かばなくなるものだ』
改めてミリシアは女性の目を見た。悪意が一つもない美しい色をしている。こんな美しい心を持った人間の命を助けてやりたいと、ミリシアは当たり前のように思った。
「お主はひとつ重大な勘違いをしておる。あの日、お主と娘を助けたのは余ではない、ヒイロという男だ。ゆえに、今の余にはこのスープを飲む資格がないのじゃ。つまり──」
ミリシアは女性の手からスープを飲み、一気に飲み干した。
「こうする事で余はお主に借りを一つ作ってしまった事になる。さあて困ったのう、余はどうにかしてこの借りを返さねばならなくなったぞ」
「え?」
「ふむ、この恩に見合った見返りはどのようなものが良いじゃろうなぁ。そうじゃ、面倒で仕方がないがお主を娘と共に、三級市民の立場から救ってやるとしよう。本当に面倒でやる気もないんじゃがのう」
言いながらミリシアは空になったお椀を女性に返す。
「あ、あの」
「それではのう、スープ美味かったぞ」
そう告げた彼女は、自身が来た道を引き返していった。ヒイロが待つアパートの方向へと。
助けてやりたいと思った人間がいる方向へと。
「一体、どうしたんでしょう。あれ、なにかお椀の間に挟まってる……?」
女性が自分の手の違和感に気が付き目を向けると、お椀と女性の手の間に何枚か一万円の紙幣が挟まっていた事に気がつくのであった。




