第11話『炎の血族』②
第11話
「はじめー!!」
ネモが片手を振り上げる。合図が鳴った。
だが――両者、動かない。
張り詰めた空気だけが、広間を満たしている。
トバリは、無表情で構えたまま。
アサヒは、笑みで腕を組んだまま。
ただ、向かい合っている。
その様子を見てヨルが焦る。
「お、おいトバリや!三分しか無いのじゃぞ!だいじょ………」
――次の瞬間。
トバリの姿が、消える。
「――っ」
ただ、アサヒの横に“いた”。
その疾さに全く見合わない、無音。
衣の端が、わずかに揺れる。
(当たる――)
そのはずの距離。
だがトバリの手は、空を切る。
「!?」
アサヒは、動いていない。
ただ、そこに立っているだけだ。こちらを見てすら居ない。
(……外した?)
ヨルの喉が、鳴る。
違う。
外れたのではない。
“届いていない”。ほんの、微かに。
「トバリ!それは父様の炎魔法、カゲロウじゃ!」
「おいヨル!ネタバラシが早いじゃろが!」
「ずるいぞ父様!魔法は使わないんじゃなかったのか!」
アサヒは振り返らない。動かない。ただ口を開く。
「たわけ!反撃をしないと言っただけで、魔法を使わないとは言っておらん!」
親子喧嘩の合間に、トバリの足が地を滑る。
次の瞬間には、背後。
そのまた次には、斜め後ろ。
――どれもアサヒの視界に、残らない。
風だけが、遅れて通る。
衣擦れすら、ほとんどない。
それでも。
当たらない。
アサヒは、一歩も動いていない。
(完全な幻覚ではなく……微かに。ほんの微かに存在を"ズラ"しているな)
すべて、当たらない。
まるで最初から、
そこには“何もなかった”かのように。
トバリの動きが、わずかに変わる。
低く、沈む。
呼吸が、消える。
気配が、消える。
『いけるな?トバリ』
『それが命令とあらば』
姫の命令。それは絶対だ。
――殺すな、とは言われていないな。
「殺陣」
その名の通り、殺すため。
歴史の長さだけ、研ぎ澄まされ続けてきた型であり、朧忍の基礎技。
ネモが、小さく息を呑む。
ヨルの笑みが、消えた。
(……今のは)
一瞬。
空気が、冷えていく。
肺まで凍りつきそうな、悪寒。
次の瞬間、
トバリは、真正面にいた。
一切の予備動作なく、踏み込む。
同時に影が、滑り込む。指先が、喉元へ。
――速い、ですらない。
そこに現れた、としか言いようがない。
だが、それでも。
アサヒの首元をかすめたはずの手は、
何も触れず、空を裂いた。
風だけが、わずかに揺れる。
「届かんな」
そう笑った刹那。アサヒの後ろから、尋常ならざる殺気。
咄嗟に、振り向く。
そこにも、トバリ。
(なに……!)
トバリは右手を振りぬく。
上半身を反らし、寸前で躱す。
目の前には、振り抜かれた右手。まだあるはずなのに。
(殺意が下から……?)
正面、背後。
そして更に……下からの殺意。
「……届く」
短い言葉と共に、トバリがアサヒの影から現れる。
「舐めるなよっ!!!」
そのとき、アサヒの体表から伝わる熱で、空気が焼けついた。即座に、トバリは距離をとる。
(奴の構え……この間合い……)
アサヒの瞳が、細まる。
それでも。
体は、動かない。
ただ、立っているだけだ。
「す、凄い……」
ネモが感嘆の表情を浮かべる。そしてヨルも、時間など、勝負など忘れて。
ただ目を奪われてしまっていた。
◆
「――三分じゃ」
声が、落ちた。
広間に、音が戻る。
ネモが、ようやく息を吐いた。
ヨルが、ゆっくりと瞬きをする。
しかし、トバリは"止まらない"。
トバリにとって今はまだ、殺陣の最中。その中で"敵"が隙を見せている。
一撃を加えること。
「姫の命は、絶対だ」
狙い澄ましたトバリの貫手が、アサヒの心臓を――
「と、止まるのじゃトバリ!!」
咄嗟にヨルが叫ぶ。
寸前でトバリは静止し、その場でゆっくりと構えを解いた。
「ば、ばかもの!三分経ったら止まらんか!」
「一撃加えろというのが命令だったはずだ」
「そ、そこは考えい!自分でも考えることでだなぁ……」
「……」
アサヒは、しばらく無言でトバリを見据える。
やがて、ふっと息を吐いた。
「確かに、よい」
まず、一言。
「だが……まだまだ未熟じゃな」
静かに言い切る。
トバリは、何も言わない。
ただ、わずかに視線を落とす。
「だが確かに」
アサヒの口元が、わずかに緩む。
「童と切り捨てるには、あまりにも惜しいな」
ヨルの顔が、一気に明るくなる。
「ほら見よ!父様も認めたではないか!!」
「誰が合格と言った」
「えぇーー!?」
「約束は約束じゃ」
ぴしりと言い放つ。
「約束というのなら、反撃した件はどうなるのじゃ!カゲロウはまだしも、熱の障壁は攻撃じゃろが!」
「あれも守護の魔法じゃ」
「ずるい!!そもそも……」
「わかったわかっておる!稽古には参加させてやる!!」
突然の言葉に、ヨルが固まる。
「ただしお前ももうサボるなよ」
「ほ、本当か!?トバリもおるなら、サボらんようにするのじゃ!」
アサヒはそっぽを向く。
「……面白い小僧だ」
ぼそりと、付け足した。
ヨルが、にやりと笑う。
「素直じゃないのう」
「うるさいわ!!」
そのやり取りの横で。
スグリは、じっとトバリを見つめていた。
先ほどと同じように。
だが今度は、はっきりと。
その瞳に、光を宿して。
「……トバリ様」
小さく、呟く。
トバリは、それに気づかない。
ただ静かに、
次の命令を待つように立っていた。
◆
オワリ城玉座。
誰も居ないのを確認して、アサヒは袖をめくる。
そこには焦げ跡のようなシミが広がっている。
「まさか……闇魔法を使う一族か」
トバリ。明らかに異質。
そもそも初めて会ったとき、あえて飛ばした殺意への反応から異常だったのは間違いない。
だが、魔人の先祖還りによる本能的な性質。
そして血に遺る記憶の混濁も含めれば、ありえる話だと高をくくっていた。
最近は上手く馴染んでおった。
危険性も低いと見てローレルの監視も外し、ユーガオも盗賊調査に行かせたが……
「儂が直々に見定めねばならんようじゃ」
稽古を認めたのも、そのための口実。
もしもトバリが闇を司る魔人の血筋ならば……
「本当に、とんだ拾い物じゃな」




