目撃
赤木圭一は、図書館が好きだった。
自分が住んでいる区立の図書館はもちろん、通っている中学校付近の図書館や国立、都立の図書館も知っていて、目的に応じて利用していた。
異変が起きるまでは、碰上大学の図書館も時々通っていた。今は、国立国会図書館の分館に学校をさぼって行く。学校をさぼっていることは、両親には内緒である。
一応進学校で、余りに休むと学校から家へ連絡が来てしまう。その辺りの加減には気を遣っていて、今のところ上手くいっている。国立国会図書館は閉架式ということであるが……というのは、十五歳にならないと利用できず、赤木は実際に見たことがない……分館の方は開架式で、本棚にちゃんと本が並び、手にとって読むこともできる。目的もなく面白そうな本を探したい時、調べたいことがあっても、何から取りかかればよいかわからない時などには、便利だった。
今日も赤木は、分館で本の背表紙を眺めながら、本棚を巡っていた。図書館がある一帯は、大きな公園の外れで、近くにあるのは博物館や美術館など、都会としては静かな所であった。
また、図書館も石造りの古い堅牢な建物で、外の音を遮断していた。
赤木は、目に付いた面白そうな本を本棚から取り出して、閲覧室で読み始めた。平日でもそれなりに席が埋まっていた。
「圭一くん」
本から目を上げると、ひょろっとした若い男が微笑んでいた。男は赤木の隣に腰を下ろした。そのまま、話を始める様子もなく、赤木を見つめている。赤木は本を閉じて、席を立った。
「お昼御飯を一緒に食べようかと思って」
閲覧室を出ると、男は言った。赤木が時計を見ると、もう昼を大分過ぎている。本を棚に戻して、二人外へ出た。
外は秋晴れで、涼しい風が吹いていた。楓や桜の葉が太陽の光を受けて赤や黄色に染まり、地面にも散り敷かれて華やかな模様を作っていた。
遠くに修学旅行らしい制服を着た団体や、白い幟を立てた白装束の団体が、賑やかに集まっているのが見えた。
「何も変わらない」
公園の中で立ち止まり、赤木は呟いた。若い男も立ち止まる。
「兄さんはもういないのに、どうして世の中は、何も変わっていないのだろう」
「変わっていない訳ではないよ」
若い男は赤木を誘導して、近くのベンチに座らせ、自分も隣に腰を下ろした。
お揃いのブレザーを着た中学生ぐらいの団体が、二人の前を通りかかった。甲高い声が辺りに響く。女の子たちが騒ぎ始めた。団体は一層騒がしくなった。
「あっ、あの男の子、凄く美形よ!」
「えっ、どこどこ?」
「ほら、あそこのベンチに座っている子よ」
「本当だ」
「きゃあ、素敵」
団体の列が乱れ、女の子の塊がはみ出してきた。若い男は漸く騒ぎの原因に気付き、慌てて赤木を連れて逃げ出した。赤木は大人しく、手を引かれるままになっている。
幸い、引率の先生が声を張り上げて注意したので、女の子たちはそれ以上追いかけてこなかった。
振り返って追っ手がないとわかると、若い男は赤木の手を離して立ち止まった。息を切らしている。
「ふうっ。腹減ったなあ。圭一くん、取り敢えず腹ごしらえしない?」
「はい。すみません、風祭さん。色々と御迷惑をおかけして」
「なんだい、改まって。迷惑ではないよ。で、何食べる?」
風祭は、返事を待たずに顔を上げ、木立の方を見やった。赤木は風祭の顔を見ている。
「どうかしたの」
「いや。何でもない、と思う」
会議室には、資料がうずたかく積まれている。資料のほとんどは冊子として綴じられているが、中にはスライドやビデオテープ、写真も混じっている。
山積みの資料の間には、スライドを映し出す機械などと一緒に、三人の人間が埋もれていた。それぞれ資料を読み耽っているか、機材をいじってビデオを上映するか、難しい顔をして考え込むことを繰り返していた。
「ほとんど意味がないやん。警察は何をしとったんや」
日置が冊子を脇に置いて、立ちあがった。
「すみません」
「深江さんを責めとる訳やありません。竹野さんは全部、読み終わったん?」
「ああ。ざっと一通り」
竹野は冊子に目を落したまま、答えた。日置は資料の山を崩さないよう気を付けながら、竹野の側へ来て肩越しに資料を覗き込んだ。深江も、遠慮がちに日置の後に続く。
「この子なんか、お兄さんが過激派に巻き込まれて死んだからって、シンパやて疑われれちゃって。可哀想に、まだ中学生やのにね」
その冊子には、本当にどうやって手に入れたのか不思議なくらい、きちんと正面を向いた顔写真が貼られていた。幼さが多少残っているものの、線の細い、顔立ちの整った少年である。都内の有名私立中学校に通っていて、成績も上々とある。
日置が言った通り、六歳上の兄がいて、碰上大学へ入学した年に、学生同士の乱闘に巻き込まれて死亡している。少年は兄の死以来、学校を休みがちで、代わりに図書館へ通っているようである。少年の行動が事細かに記された報告書が付いていた。最近の報告は一ヶ月前である。
段々、報告の間が開いてきている。竹野は、振り返って深江を見た。
「この赤木圭一という少年には、まだ尾行が付いているのですか」
深江は竹野から冊子を借りてあちこちめくってから、躊躇いがちに答えた。
「これを見る限りでは、終了の指示が出ていないので、恐らくは……」
「税金の無駄遣いや」
日置がぼそっと呟いた。
「そうでもない。碰上異変が起きた時、この子が桜ヶ池の方から逃げてくるのを通行人に目撃されている。警察が調べた限りでは、異変の時から現在まで、桜ヶ池周辺から出てきた人間はこの少年ただ一人だ。警察は、過激派の犯行と考えていたせいだろう、接点を掴もうとして尾行を付けてはいるが、事情聴取はしていない。一度話を聞いてみたいな」
「それもええのやけど、最初の調査委員会の議事録も興味深かったよ。宗教学者は新興宗教の仕業やないか、と言っとるし、それぞれ自分の専門領域の話へ持って行こうとするのはともかくとして、民俗学者が碰上大学の敷地、特に桜ヶ池の歴史を調べた方がいいと主張しとる。これは僕もそう思う。あと、植物学者も入っとって、放射能測定をするべきだ、と言っとったのやけど、あとで調べたのかな。見つけられなかった」
「最近、塀の外から調べた限りでは、自然界のレベルを超える放射性物質は、検出されなかったようです」
「そうそう。千田教授も頑張って調べてはいる。調査委員会が行方不明になった直後に大規模な成長が見られて以来、樹木帯は拡張していないようだ。ここで、千田教授の仮説『碰上異変は、通常考えられない現象により生起した』を検討する。日置と深江さんは、異変後に碰上へ行ってみましたか」
日置が頷き、深江が口を開いた。
「碰上異変の調査に千田教授が関わっていると聞いてから、個人的に碰上付近を回ってみました。外塀に立哨している警察官には、樹木の中から出ているものは見えていないようです」
「と、いうことは現在、碰上大学敷地内において、通常考えられん現象が起きとることはまず間違いない。しかし、原因はどうやろか」
いつの間にか、三人で鼎になって座っていた。竹野は、他を交互に見た。
「原因は、あの中へ入らないとわからないだろう。いずれそうしなければならない。その前に、可能な限りの情報を集めて、仮説を立てておきたい。さっき、日置も言っていたように、碰上大学の敷地の由来をできるだけ詳しく調べる必要がある。大学の図書館にはもう入れないから、国立国会図書館か、尾婆キャンパスの図書館に当ってみたい。どうでしょう、深江さん」
「それなら、碰上大学の卒業生である竹野さんが尾婆へ行かれて、日置さんと私で国立国会図書館へ行けば、効率的であるように思いますが」
深江は少し考える風であったが、控え目に提案した。竹野も日置も異議を唱えなかった。