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桜ヶ池異聞  作者: 在江
第一章 発足
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3/17

確認

 午後一時ちょうどに、千田と若い女が入ってきた。

 日置と竹野が席を外している隙に、弁当の空き箱や湯呑が片付けられ、代りに缶コーヒーが四つ置かれていた。

 竹野は勝手に並べ替え、日置と隣り合って入口正面に座っていたのだが、正面に残った二つの缶の前に千田と女が座り、席を移動するよう注意されることもなかった。

 千田は一旦席についたが、すぐに立ち上がって隣の若い女を紹介した。


 「警視庁の深江(ふかえ)だ。こちらは、竹野くんと日置くんだ」


 深江は席を立ち、民間の営業職みたいに丁寧なお辞儀をした。警視庁、と紹介されたが、制服を着ていなかった。

 髪の毛を短く切り揃え、地味なスーツの彼女は、日置と同じぐらいの年齢に見えた。竹野と日置も立ち上がって会釈した。

 互いの紹介が終わると、千田は席についた。


 「さて、長くなるから座らせてもらう。碰上(ほうじょう)異変についての一般的な話は、もう全員了解済みのようだから、省略する。まず、君達に集まってもらった理由を説明しよう。碰上大学で起こった異変を調査し、解決してもらいたい」


 あまりに簡潔な説明で、暫くの間、竹野も日置も言葉がなかった。千田は二人の様子を眺めている。先に立ち直ったのは、日置である。


 「最初の調査委員会は、どうなりましたか」

 「それを説明する前に、意思確認を行う。日置くんには、事前に概要を知らせた。それなりに覚悟してきてくれた、と思う。竹野くんについては、アメリカから帰国したばかりで、何も知らないに等しい。彼は、どうも私を快く思っていないようだから、話だけでも聞いてもらうために、少々手荒な方法を取った。しかしこれは、強制して解決できるような問題でもない。正直に言えば、是非とも協力してもらいたい。どうだろう、竹野くん」


 一同の視線を集中して浴びて、竹野は沈思する。

 こちらも正直に言えば、妻子を人質にとるようなやり方がまず気に入らなかったし、詳しい説明を聞いた上で、できるかどうか判断したかった。

 確かに、普通のやり方では、千田が竹野と会う機会は作れなかっただろう。それに、日置がさっき言っていたように、どう考えても普通の問題ではない。いわば非常時にあって、千田が非常識な手段を取ったことには、一理ある。

 竹野は口を開いた。


 「いいでしょう。解決は請け合えませんが、調査はしてみましょう」


 驚いたことに、千田は立ち上がって頭を下げた。渡米前には、想像もしなかった態度だった。


 「ありがとう。よろしく頼む」


 千田は一瞬で頭を上げると、椅子に座った。もう、元の千田に戻っていた。


 「では、先ほど日置くんから質問があった、最初の調査委員会について話そう。異変が起こった後、過激派の仕業という線で警察が調べてた。しかし、犯行声明もなく、爆発にしては現場がおかしかった」


 「と、いうのも、爆発が起こったと見られる碰上大学の桜ヶ池に、誰も入ることができなかった。桜ヶ池は、江戸屋敷だった時分の景観を残して草木に囲まれていたのだが、その木々がびっしりと池の辺りを覆って中が見えなくなっていた。もちろん、警察はチェーンソーを使ったり、灯油を撒いて火をつけたり、小型の爆弾を仕掛けることまでしたらしいが、木を削ることはできなかった。それどころか、桜ヶ池周辺の木はその後も成長して、講堂を覆うほどになった」


 「警察も、さすがにおかしいと考えて、二ヶ月目にして、有識者による調査委員会を発足させるよう警察庁を通じて政府に要請した。その時、碰上大学の学長も参加し、私は学長の私的顧問という形で委員会について知ることができた。委員会には、民俗学の関係者や宗教学の専門家なども紛れていた。何回か無駄な会合を持った後、現地を視察することになった。このころには、木は正門近くまで成長していた」


 「委員の中から現地調査を行う部隊として、何人か選抜した。そして彼らが視察に行った結果、誰も帰って来なかった。護衛のために警察の一隊が付き添ったにもかかわらず、その後誰一人、存在を確認されていない。しかも、翌朝には、これまで無事だった大学病院の方まで、木で覆われていた。入院患者は、異変直後からあちこちに転院させていて、一般の犠牲者は出なかったがね」


 「その後、もう一度警察の方で捜査をしたものの、結論が出せなかった。私にお鉢が回ってきた。この件以前から学長の為に働いていて、警察の上の方に知り合いも多かったし、何よりも碰上大学で起こった事件だから、碰上大学で解決するしかない、とある筋には言われたよ。丸投げだな」


 千田は缶コーヒーを開けて、一息ついた。他の三人も千田に倣った。千田は缶を握り締めて、正面を向いていた。誰も話しかける者はいない。やがて、話を再開した。


 「私は、学長についてこの件の資料を集めていた時から、普通の感覚では事件を解決できないことを感じていた。それは正式に警察から依頼を受け、捜査の詳細を知るにつれて強まった。これは事件ではなく、異変だ、とね」


 千田は、並んで座っている竹野と日置を改めて見た。


 「三年ほど前に、ある人を通じて、アメリカの政府筋から竹野くんについて身元照会があった。後で、大体の事情を聞いた。日置くんのこともそれで知った。当時、私の回答は、君達の役に立ったかね」

 「ええ、とても」


 竹野が答えた。身元照会での千田の回答次第では、竹野も日置も無事では済まなかっただろう。尤も、当時は千田の力が働いていたことなど、思い及ばなかった。


 竹野の返事を聞いて、千田の表情が和らいだ。今度は深江に視線を落す。


 「深江は、私の姪だ。小さい頃から、多くの人には見えないものを見てきた。警察官になることには反対したのだが……。君たちと協力して、やっていけると思う」


 深江は軽く頭を下げた。

 彼女の性質については、竹野は一目で気付いていた。日置も気付いている筈である。深江がこの場にいたこと、千田が三人の共通点に気付いていて、しかも肯定的に扱っていることも、竹野が異変の調査を引き受ける気になった一因であった。


 竹野も日置も、通常人に見えないものが見える。見えるだけでなく、時には動かすこともできる。日本では、半信半疑で、公には認められていない能力である。


 「ところで、竹野くん。君の御家族についてだが、私の考えでは、暫く君から離しておいた方がいいのではないかと思う」

 「というと、私がここへ泊まり込むのでしょうか」

 「ここと碰上大学の間に、日置くんや深江と同じ場所を、宿泊所として用意している。奥さんはともかく、子供さんはまだ小さいから、この仕事をしている間は近付かない方がいいだろう。念のため」


 竹野は考え込んだ。千田の言うことは、もっともであった。


 「わかりました。ただし、これから一旦家へ帰って妻に簡単に事情を説明したいので、仕事は明日からでよろしいでしょうか」

 「いいだろう。明朝八時半に、ここへ来なさい。身分証明書はこれを使い給え。その他、事務手続きについては、こちらで進めておく」


 千田は背広のポケットからカードを取り出して、竹野と日置に渡した。何処で入手したのか、比較的最近の顔写真を使って作られていた。


 そのまま千田は部屋を出て行き、深江が残った。


 「今日は、このまま御家族の所へ戻られますか」

 「はい」

 「では、お送りします。日置さんも、御一緒にどうぞ」

 「ありがとうございます」


 スーツケースを引き摺りながら、深江の後に続いた。エレベータに乗ると、日置が囁いた。


 「竹野さん、結婚しとったんか。しかも子供まで」

 「お前と騒いでいた時は、独身だった。結婚したのは、その後だ」


 竹野が答えると、日置は納得したように頷いた。


 「そうやろな。あの頃の竹野さんは、結婚できるような顔やなかった」


 何気なく失礼な事を言うのは、隣にいる深江の緊張をほぐそうとしているのか。先ほどから、彼女は無駄口どころか、一言も喋っていない。この先の心配もあるが、今日は初日である。竹野は、無理に話しかけるのは止めた。

 代わりに、日置に矛先を向ける。


 「お前は?」

 「博士課程終わるまでは、考えない」

 「そうか」


 そういえば、出会った頃も、三角関係めいたことに巻き込まれていた。


 昇ったり降りたりを繰り返すうちに、地下の駐車場へ出た。連れて来られた時とは、違う場所のようだった。竹野は、深江に聞いてみた。


 「明日、あの部屋へ行くには、どうしたらよいのですか」

 「受付で、私を呼び出してください。御案内します」


 深江の車のトランクにスーツケースを担ぎ入れて、竹野と日置は後部座席へ乗り込んだ。車が地上へ出ると、もう夕方だった。

 竹野は、家に帰って何と説明するか考えるべく、目を閉じた。

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