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桜ヶ池異聞  作者: 在江
第一章 発足
2/17

帰国

 飛行機が滑走路に降り、旋回して停止した。


 竹野(たかの)は、飛行機から空港に入ったところで、大きく伸びをした。


 ガラス越しに、乗ってきた飛行機を眺める。しばらく国外へ出ることはないだろう、と思うと、飛行機さえも名残惜しく感じられた。


 古ぼけたスーツケースを受け取って、出口へ向かう。

 妻子は一足先に帰国させている。出迎えはいらない、と言っておいたので、今頃は家で待っているだろう。


 「竹野くん」


 聞き覚えのある男の声がした。竹野は声のした方へ顔を向けた。

 白髪をきれいに撫でつけた、体つきのよい男が、スーツ姿で立っていた。後ろに、目付きの悪い男を従えている。


 「お久しぶりです」


 竹野が日本で医学を修めた際の、指導教授であった。卒業して以来、連絡も取っていない。


 「四年ぶりだな。体つきもアメリカ並みになって帰ってきたようだね」

 「教授もお変わりなくて何よりです」

 「今は、教授を休職中なんだ。碰上異変(ほうじょういへん)のことは、あちらで話題に上らなかったかな」

 「ああ、去年の秋のことですね。ずっと向こうにいたものですから、あまり聞いていないんです。学生運動か何かですか」


 千田(ちだ)は苦笑した。


 「いや。その辺りは一時期より落ち着いてきたよ。X大の招聘を受けたのは、異変のせいかと思っていたが。折角だから、食事でも一緒にどうかね」


 竹野はいらだちを感じた。相変わらず、考えが読めない男だった。彼の元で働きたくないからこそ、医師の資格を取った後、アメリカへ留学したのだ。家には妻子が待つ。長旅の疲れも取りたい。

 それに、後ろに立っている目付きの悪い男も、気に入らなかった。


 「折角ですが、これから予定がありますので、また今度ということに……」

 「奥さんとお子さんは、我々の保護下にある」


 竹野は千田を睨みつけた。その後ろにいた目付きの悪い男が、すっと動いて竹野の側に立った。滑らかな動きだった。

 千田の表情は変わらない。笑顔を竹野に向けている。しかし、目は笑っていない。


 「誤解してもらっては、困る。奥さんは、我々の保護下にあることを知らない。娘さんは、まだ一歳になるかならないか位だったな。わかる筈もなかろう。ひとまず、大人しく一緒についてきてくれないかね」


 「……わかりました」


 竹野は、どうにか声を、歯の間から搾り出した。千田は笑顔のまま、頷いた。


 「後で、奥さんに連絡を取らせてあげるよ。さあ、来たまえ」



 黒塗りの車には、運転手がいた。竹野の隣には目付きの悪い男が乗った。


 「出したまえ」


 千田が運転手に命令する。車が滑るように動き出した。口を開く者はいない。

 空港から高速で都内に入り、やがて一般道路に下りた。千田が言う。


 「少し遠回りするよ。懐かしいだろう」


 近くには、竹野の出身大学である碰上大学がある。

 千田への怒りと、妻子を心配する気持ちがなければ、確かに懐かしい景色かもしれなかった。車は坂を登り、大学の方へ近付いて行く。


 「なんだ、あれは」


 竹野の口から、声が漏れた。


 もともと、都会にある割りには敷地が広く、樹齢を重ねた大木を多く擁する大学ではあった。建物の外壁にレンガを使っていることもあって、四季折々の樹木の色との対比が美しいと言われ、建造物と木々は一体のものとして周囲に認識されていた。


 しかし、大学の上空一帯をまるでジャングルのように覆い尽くすほど樹木があったという記憶は、竹野にはなかった。

 日本の気候において、竹野が日本を離れた三、四年でこれほど成長する木は、通常あり得ない。

 ジャングルと化したような木々の上にも周囲にも、鳥などの生き物の気配が全く感じられなかった。


 そればかりではない。生き物の気配は感じられないにもかかわらず、重なり合う木々の奥からは、何かおぞましいものが湧いているようだった。


 車は塀沿いに、大学の正面へ向かっている。外塀に沿い、十数メートルおきに、制服を着た警官が立っていた。

 正門は、完全に封鎖されていた。恐らく、大学の開学以来初めて見る景色である。

 竹野が最も奇妙に感じたのは、警察が大学を封鎖しているというのに、抗議する学生の人影が見当たらなかったことであった。独特の字体で書かれた立看板一つない。


 これは、相当異常な事態だ、と竹野は思った。


 「見えたかね」


 千田の声で、竹野は我に返った。車は既に大学を離れて走行している。このまま一般道路を走って都心へ向かうらしい。竹野は返事をしなかったが、千田は気にした様子もなく、言葉を継ぎもしなかった。

 竹野はシートに背を凭せ掛けて、目を閉じた。母校の余りの変容に、千田への苛立ちが消え去っていた。



 車が行きついた先は、警察の建物であった。


 地下の駐車場で車を降りた後、千田と目付きの悪い男に挟まれて、エレベータに乗った。それから廊下を何回か曲がり、エレベータを昇ったり降りたりして乗り継いだ。


 要所要所で千田が身分証明書を係官に見せていた。係官たちは一様に、竹野が引く古ぼけたスーツケースに胡散臭そうな視線を向けたものの、千田が空港から直行したのだと説明すると、納得して一行を通した。


 竹野には、今自分が地上何階或いは地下何階を歩いているのか、わからなかった。どの通路も、白色の間接照明で柔らかい光に照らされており、床には地味な色合いのリノリウムか時々カーペットが敷き詰められているほか、特徴もない。

 何度目かのエレベータを降り、身分証明書の提示と係官とのやりとりが終わると、千田は、数歩進んで廊下の壁と同じ色のドアを開けた。


 「入り給え」


 言われるまま、竹野はドアをくぐった。

 視聴覚機器を揃えた会議室のようであった。前方に、造り付けの白板と、半分下がったスクリーンがあった。

 机は、演壇を囲むようにコの字型に配置してある。後方に、ポットと湯呑が用意してあったが、一人の男が早くもお茶を飲み干していた。


 「お、お前」

 「ああ、よかった。先に食べてしまおうかと思っとった」


 お茶を飲んでいた男は、この場の雰囲気にそぐわない明るい声を出した。竹野は振り向いた。


 「何で、こいつがここにいるんだ」


 千田は、笑顔で答えた。


 「あちらでの活躍は聞いているよ。午後から説明を始める。まずは昼御飯でも食べて、旧交を温めてくれたまえ。トイレは、入口を出て正面にあるから」


 ドアが閉まった。竹野は古ぼけたスーツケースと共に、男と二人で部屋に残された。男は新たに湯呑を用意し、二人分の茶を淹れて、ポットの陰に積んであった弁当と一緒にテーブルに並べた。


 「久し振りやな、竹野さん。まあ座って、御飯でも食べよ」


 竹野はしげしげと男を眺めた。アメリカ滞在中、ある事件をきっかけに知り合った男だった。

 当時の彼は京都の大学生で、夏休みを利用して渡米したと聞いている。その後、互いに連絡を取ることもなく、数年ぶりの再会であった。


 その男は、突っ立ったままの竹野の様子にようやく気付いて、急におろおろし始めた。スーツケースを見、顔を覗き込む。


 「無理矢理連れてこられたみたいな顔しとるね。ひょっとして、帰国したばかり? もしか、理由も聞かされとらんとか」


 日置(ひおき)は、ちっとも変わっていなかった。竹野は、この年下の友人の表情に思わず笑ってしまい、肩の力が抜けた。スーツケースを壁際に押しやって、なおも心配そうな日置と席についた。


 「相変わらずだな。実は、そうなんだ。お前はどうしてここに来たのか、教えてくれ。ところでこの弁当は、食べても大丈夫なのか」


 日置は弁当の蓋を開けて、中を覗き込んだ。


 「毒は入ってへんと思うよ。よほど嫌々連れてこられたんやね。僕とは大違いや。僕、今は大学院なんやけど、この仕事を引き受けたら、ゼミとか出席せんでも修士論文だけ提出すれば単位も学位もくれるし、仕事が終わるまで修士論文の締切りも延ばしてくれるいうから、来たんや。竹野さんも来るいう話やったし」

 「学位と引き換えだと? 論文ってお前、専攻は何だったっけ」

 「純粋数学」


 日置は旺盛な食欲で、かなり豪華な仕出弁当をたいらげながら、お茶をお代りする。竹野もつられて弁当に箸をつける。冷めてはいるが、上品な味付けであった。


 「碰上異変は知っとる? 一年ぐらい前、碰上大学の敷地内で、爆発みたいなんがあったんやて。最初は過激派の線で捜査したらしいけど、犯人は掴まっとらん。それに」


 と、日置は、若干声の大きさを落した。


 「どうやら、通常考えられる事件とは違うみたいや。事件以来、碰上大学の授業は全て一、二年生が通っとった尾婆(おばば)キャンパスに移されて、今年度新入学生の募集をしなかった。これは結構大きなニュースやと思うんやけど、一般のマスコミはまるっきし取り上げとらん。毎年、合格発表や入学式の様子を取材されるのに。しかも、警察に睨まれとるような筋でも、情報をいっこも掴めとらん。で、この異変の調査に僕達が選ばれたいうことらしいよ」


 竹野に説明しながらも、日置の箸の動きは滞ることがなかった。豪華な弁当も、終わりが見えていた。


 「それにしても、よりによって、どうして俺とお前が選ばれたのだろう」

 「僕、最初に依頼を受けた時に、ちょい調べてみたんや。そうしたら、僕達の前にも調査委員会が発足しとった。碰上大学の先生とか、民間の研究家とか、有名な人ばっかり。異変が起こってから三ヶ月後ぐらいやな。その顔ぶれも何や変だな、とは思うたんやけど、その後委員会が解散した、いう記事は出とらん。で、僕が聞いたところによると、新たに調査委員会を発足する、いうことやった。最初の委員会は、どうなったんやろうね」


 日置は弁当の蓋を閉めて、一息ついた。目顔で竹野に何か訴えている。目線を追うと、小さなカメラが設置されているのがわかった。竹野は了解した、という風に頷いた。


 「まあ、午後から千田教授が説明してくれるだろう」


 やや声を高めて、わざとらしく竹野は言った。それから、ポケットをまさぐって、煙草を取り出した。日置が顔をしかめつつ立ちあがる。


 「灰皿がないから、ここは禁煙なんやないかな。廊下にあるかもしれへん」


 ドアを開けて出て行った日置は、すぐにまたドアから顔を出した。


 「洗面所にあるって」


 竹野は煙草の箱を握り締め、部屋の外に出た。見知らぬスーツ姿の男が立っていた。


 「煙草は洗面所で吸ってください。他の場所で吸われると、火災報知器が作動します」


 洗面所へ行くと、トイレを済ませた日置に会った。日置はにこりとして、竹野と入れ違いに廊下へ出て行った。

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