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Hello、World

 六月一日。午後七時四十分。


 雨上がりの新宿第六区は、まるで巨大な電子基板みたいだった。


 濡れた道路にはネオンが滲み、空中広告が何層にも重なって浮かんでいる。

 通行人のほとんどはサイバーゴーグルを装着し、誰もが空中に指を滑らせながら何かを操作していた。


 現実と電子空間の境界は、とっくの昔に曖昧になっている。


 松崎修人も、その常識を疑わない1人だった。


「だからさ、一回だけでいいから!な?な?」


 隣を歩く青年が、うるさく騒ぐ。


 黒髪の天パ。

 首にかけた大型ヘッドホン。

 常に胡散臭いサイトを巡回している危険人物。

 それが修人の親友、井野有翔だった。


「嫌な予感しかしない...」


「予感だけだろ?」


「井野くんと行動すると毎回現実になってる気がするんだけど...」


「今回はマジで面白そうなんだって!」


 修人はため息を吐く。

 井野が絡むといつもこうだった。

 少し前だって絶対に儲かると言いながら、ダウンロードしたポイ活アプリによるウイルスで修人に泣きついてきた。


 学校の帰り道、本来なら家で課題でもやっている時間だろう。

 だが井野に半ば強引に連れ出され、気づけばこんな路地裏を歩かされている。


「……そもそも、どこ行くの?」


「裏ゲーセン」


「帰る」


「待て待て待て!」


 井野が慌てて肩を掴む。


「違法ジョイがあるらしい」


 修人は数秒黙った。


「…………は?」


「だから違法ジョイ」


「いや聞こえてるよ!?」


 声が裏返る。


 ジョイ。

 それはWSRA――世界情勢復帰機関が管理する、アトラス内部に存在するバグを修正するためのフルダイブシステムだ。


 警察や自衛隊などの決められた人物しか使用できないシステムであり、普通の人間が触れられる代物じゃない。


 まして違法接続など、普通に犯罪である。


「それ、普通に捕まるやつじゃん!」


「大丈夫だって。みんなやってる」


「絶対みんなやってない!ねーぇ!」


 だが井野は楽しそうだった。

 好奇心だけで生きているような男だ。

 危険な場所ほど突っ込んでいく、それが井野という男の性だった。


 修人は頭を抱える。

 帰りたい。

 本気で帰りたい。

 けれど井野を放置して一人で帰ることもできなかった。


 昔からそうだ。


 修人の父親との記憶。

 父子家庭だった修人は、父親にこの言葉を言われていた。


『地球がなぜ丸いか知ってる?それは、端っこで誰も泣かないようにするためなんだよ。』


 そして、息を引き取る時も。


『修人、俺の代わりに...沢山の人間を救って欲しい。誰も、隠れて泣かなくていい世界に...お前にならできる。』


 その言葉が修人という人間を構築する言葉だった。


 だから見捨てることはできなかった。

 それがどれだけ面倒事を呼ぶとしても。




 どんよりとした雰囲気に怪しい電子チラシの貼り付けられた路地を抜けた先、古びた階段を下るとチカチカと点滅する看板のネオンが2人を出迎えた。


『シノハラ中古電子部品販売』


 ネオン以外の明かりはほぼ点灯しておらず、本当に未だに人がここを通るのかも定かではないように見える。


 しかし地下へ続く階段だけは、妙に新しいLEDで照らされていた。


「……ここ?」


「そ」


「絶対ヤバい...」


「ヤバいから面白いんだろ?」


 井野は迷いなく階段を降りていく。

 修人が少し狼狽えると、考える暇も与えずに腕を引いて無理やり連れて行った。



 地下フロアに入った瞬間、熱気が襲ってきた。


 甘ったるい電子ベイプの煙。

 喉に張り付くような機械油の臭い。

 耳をつんざく大量の電子音。


 薄暗い空間には、人とも機械ともつかない連中が大量にいた。


 ほぼ全身を義体化した男。

 目に直接モニターを投影している女。

 首筋に違法端子を増設している少年。


 よくいえば十人十色。

 悪く言えば無秩序、乱雑、まさに混沌。

 しかも、誰も彼も目つきが危険だった。


 まるで目に入るもの全てを拒絶するような、鋭い棘を含んでいた。


 修人は反射的に井野の後ろへ隠れる。


「帰ろう」


「まだ何もしてないって」


「むしろ今ならギリギリ無罪でしょ」


「いや、もう入店した時点で怪しい。俺たちってば共犯だな?」


「終わった……」


 井野はいつものように笑いながらカウンターに足を向ける。

 犯罪を現在進行形で犯している男の笑みではない。


 奥にいたのは、大柄な男だった。

 スキンヘッドで、片腕に彫られたトライバルタトゥーを隠す気もなくさらけ出し、片目の義眼が怪しげな赤い光を放っている。


 赤いレンズがギギ、と2人を捉える。


「……ガキじゃねぇか」


 地を揺らすほどの低い声。

 高校生の2人にもわかる、関わるべき人間じゃない。

 よく「人を見た目で決めつけてはならない」とか、「人間を評価するためにいちばん重要なのは中身だ」とか言うが、今回ばかりはその教訓は通用しなさそうだ。


 ゴクリと、店内に修人の固唾を飲む音が響く。。


 井野は周囲を見回し、小声で言った。


「“HelloWorld”」


 一瞬、店内の空気が変わった。

 まるで時が止まったように。


 男の義眼が赤く点滅する。


「認証確認」


 横のロック扉が開いた。


 修人は完全に青ざめていた。


「今の完全に裏社会の合言葉だったよね?」


「それっぽくてテンション上がるだろ?」


「下がりっぱなしだよ、僕は!」


 義眼の男の案内に従い、通路を歩くとひとつの部屋にたどり着く。

 その部屋には、十数台のカプセル型の筐体が乱雑に設置されていた。


 ジョイ。


 本物だ。


 神経接続ヘルメット。

 脳波同期ケーブル。

 情報表示モニター。


 学校の教材映像でしか見たことがない。


「……本当に接続するの?」


「一回だけ!」


「その“一回だけ”で人生壊れる人いるんだよ」


「お前、真面目すぎ〜」


 井野はさっさとチェアへ座る。


 修人は迷った。

 本気で迷った。


 だがここで井野一人を放置するのも怖かった、一番の親友をここで1人にして、立ち去ってしまうのが。


「……五分だけだからね」


「よっしゃ!」



 仰々しいほどにそれらしいヘルメットを被る。


 内部は妙に冷たかった、梅雨のジトリとした気だるい空気とは正反対の、異様に固くて、乾いている冷たさだった。


 ヘルメット内の液晶がキラリと光る。


『脳波同期開始』


 女の機械音声が響く。


『ジョイ起動』


 視界が白く染まった。


『脳波情報を検出中...ジョイに接続します。』


 気分は最悪だった。

 頭蓋を頭皮ごと切り離され、露出した脳みそをハンドミキサーで泡立てながら混ぜられているような不快感。


 骨が数字に変換されていき、皮膚が光ファイバーを通過していくのがわかる。


 自身の意識が、押しつぶされ、スライスされ、数字の羅列に変わっていく感覚。




 次の瞬間。


 修人は、巨大な街の真ん中に立っていた。




「…………え」




 空は真っ黒で無数のコード列が流れ星のように、空を引っ掻く。


 ビルは極彩色で、現実世界の数倍の電子広告が浮かんでいる。


 看板はバグったように点滅し、空中には幾何学模様が浮かんでいる。


 電子世界。


 データベース。


 アトラス内部。


「うおおおお!! すっげぇぇぇ!!」


 隣で井野が騒ぐ。

 これほどの刺激を受けてもなお、黙ることのない。


 伊野の見た目は、現実とほとんど同じ姿だが、服装だけは妙に派手になっている。


 修人も自分の体を見る。


 現実と同じだった。


 制服姿のまま。


「……これ、本当にゲームみたいだ」


「だろ!?」


 井野が走り出す。


「ちょ、待っ――」


 修人も慌てて追いかけた。




 街は異様だった。


 人間の形をしたNPCが歩いている。

 空中列車が宙を走っている。

 巨大ホログラム広告が笑っている。


 けれど時々、景色にノイズが走る。


 ビルの輪郭が崩れたり。

 通行人の顔が砂嵐になったり。


 それが“バグ”なのだと、修人にも分かった。


「すげーな……まじで俺たちアトラスの中にいんだぜ!?」


 井野が感動したように呟く。


「あんまりいい心地はしないけど...」


 その時だった。




 ――ガガッ。




 耳障りなノイズ音。


 修人は足を止めた。


 通路の奥。


 何かがいた。




 人型。


 だが、人間じゃない。


 全身が黒いコードの塊でできている。

 周囲のデータを喰らい、自身の情報に書き換えている。

 顔には大量のエラーメッセージが浮かんでいた。


『ERROR』


『ERROR』


『ERROR』




 それが、こちらを向く。

 目もなければ顔もない、けれど、確実に意志を持ってこちらを見た。



 修人の背筋が凍った。


「……井野くん」


「ん?」


「あれ」


 井野も振り向く。


 そして固まった。


「...やば」



 怪物が動く。


 異常な速度だった、鋭い爪がデータのビルを切り裂きながら、裂けたような口から耳が潰れるほどの咆哮をあげている。


 明確的な殺意を帯びた突進、ただの高校生なんかに見切れるわけがない。


「うっ――!?」


 修人の隣にいた井野が吹き飛ぶ。


 10メートル以上離れた壁へ叩きつけられた。


 修人の呼吸が止まる。




 バグ。




 本物だ。


 材映像で見たことはある。


 だが、実際に目の前へ現れると恐怖が違った。


 化け物だった、まるで他者を傷つけるために産まれたような殺意の塊。



 竦む修人に目もくれず、怪物が再び井野へ向かう。


 井野は腰を抜かしていた。

 無理もないだろう、軍人でもなければ、警察でもない。

 ただの青年だ、死の恐怖なんて生まれて1度も感じたことが無い。


「っ、やば……」


 逃げられない。




 修人の頭が真っ白になる。




 逃げろ。

 関わるな。

 無理だ。

 怖い。

 死ぬ?




 なのに。




 体は、勝手に動いていた。




「井野ッ!!」




 修人は怪物へ飛び込む。


 次の瞬間。


 世界が、軋んだ。




 脳が熱い。


 視界に無数の文字列が流れ込む。


 いや、自分が数字の波に打たれている。



『適性確認』


『A/D発現』


『能力接続開始──ダウンロード完了。権限付与。

 A/D名=Re:WRITE』



 右腕へ、光が走った。



 それは剣だった。


 青白いコードで構築された、細身の片刃剣。




 怪物が振り向く。


 理解はできない。

 だが、修人は無我夢中で剣を振るった。



 斬撃。



 光が走る。


 怪物の体が真っ二つになる。

 切断面から黒い数字の列が、血しぶきのように溢れ出し、当たりを汚す。



 さっきよりも不快で、内臓を震わせるような咆哮をあげながら怪物はノイズになって崩壊した。




 静寂。




 修人は呆然と立ち尽くしていた。


「……え」


 自分でも何をしたのか分からない。


 ただ、井野を助けなきゃと思った。


 それだけだった。


 右手を見下ろす。


 何万回と見た事のある景色のはずなのに、見慣れない青白い刀身の剣が存在感を醸し出している。


「修人……お前、今……」


 井野が震えた声を出す。



 その瞬間。




「はい、そこまでー」



 女の声が響いた。



 空中から、誰かが降ってくる。



 黒いジャケット。

 短い茶髪。

 軽薄そうな笑み。



 だがその目だけは、鋭かった。



「みせいねん、違法接続、無許可デバッグ行為。うん、役満かな?」



 修人は固まる。



 女は空中に手を掲げる。


 するとその先にウィンドウが現れ、見慣れた金色の旭日章...つまりは警察のあのマークが浮かび上がる。



「サイバー犯罪対策課、瀬戸葵」



 彼女は笑う。



「未成年違法ログインと無許可デバッグの罪で君たちを現行犯逮捕します」

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