殺し屋の行方と最後尾崎凌駕に物申す
ああ閉幕――カーテン・フォール
殺し屋の行方と最後尾崎凌駕に物申す
「殺し屋首猛夫は何処にいるんでしょうね?」彼は私に訊いた。
場所は医療センター地下の人体標本室。彼は右手をズボンのポケットに突っ込んでいる。
「名前は――そうだな、黒川でいいですよ。このシーンも小説に書くんでしょう? SEの■■さん」
黒川でいいですよ――そう言われるのなら、そういうことにしよう。
「じゃあ、黒川さん、青――そうだな、青山さんは元気ですか?」
「青山ですか……」黒川は可笑しそうに「もう十年くらい会ってないですね。風の便りでは亡くなった、と聞いていますが」
「そうですか、亡くなった……」
「病死だったようです」
「黒服、青服――」
「そして、殺し屋首猛夫」黒川がポツリと付け加える。「彼は今、どこでどうしているんでしょうね?」
私は何も答えない。
「最初、藤沢と名乗った殺し屋の首猛夫、ここに来てたんでしょう?」
「ええ、数回だけ顔を見ましたよ」
「なるほど、顔を見た」黒川は笑って「トイレで鏡越しに――でしたっけ?」
「ええ、まあ」
「首は――」黒川は首猛夫を【首】と苗字で呼び捨てにした。「生きてるんでしょうか? そして何処にいるんでしょうか? 今」
「首はここにいますよ」
「首は生きてここにいる――生きている首――生首……くだらない」
広口のガラス瓶の液浸標本となった数体の生首。
「この二つが二人の良美、若しくは勝男と良美。そうなんですか?」
「あなたは顔を知っているんでしょう? 会長室に勤務されていたのですから」
「ええ、でも髪を剃り上げられ、ホルマリン漬けになってふやけてしまえば――」
「顔が似ているか? 似ていないかの判断は個人の――」
「ええ、でも、恐らくですが、この二つの生首は勝男でも良美でもない気がします」
「そうですね。更には奥に――」
「電極が脳に突き刺さった生首があるんでしたっけ? それも勝男でも良美でもないんでしょう?」
「恐らくそうですね。あれは尾崎凌駕劇場の演出に使われただけで――」私は正直に答えた。
「生首の標本はまだあるようですね。数えてはいませんが――。脳に電極が刺さったやつが多いですが」
「マッド脳外科医の実験の歴史でしょうか?」
「尾崎凌駕?」
「いえ、彼はまともな方でしょう、まだ――」
「すると、小説で発狂したと書かれた?」
「ええ、尾崎凌駕の元上司です。彼がBMI実験を始めた。私もSEとしてその実験を手伝ったわけですが」
「BMI実験はそれで頓挫した。しかし――」
「ええ、しかし――」
二人で一つの液浸標本を見つめる。
顔のパーツを失って剥き出しになった脳髄に四万本の電極が突き刺された生首の液浸標本。
「尾崎諒馬――こいつが亡くなってこうした生首の標本になったのはつい最近ですよね? でも、こいつにまだ胴体があって生きていた時に覚醒して、AIの力を借りて――」
「AIの力を借りたのか? あるいは最初からAIだったのか?」
「なるほど。で、こっちが坂東善」
「そうだと思いますが――」
「思います?」黒川は怪訝な顔をする。
「正式にはNo.001とナンバリングのない、二人の――」
「佐藤稔」
「ええ」
「まあ、ややこしいので、尾崎諒馬と坂東善にしときましょうか?」
黒川がそう訊いたが、私は何も答えなかった。
しばらく沈黙が続いた。
「で、どうするのです?」黒川が訊く?
「どうする? 何を?」
「このWeb小説『殺人事件ライラック~』ですよ。連載はどうするんです?」
「私は探偵でもないし、作者でもない」
「探偵役の尾崎凌駕は手記を残して失踪した」
「ええ」
「でも」黒川は四万本の電極の突き刺さった生首の液浸標本を見ながら「こいつはAIになってて執筆はできるんでしょう? こいつに書かせれば?」
私は何も答えない。少し不快な気持ちになる。
「いや、失敬。しかし尾崎諒馬なんて大して有名な作家でもないでしょう。ウィキペディアでも『出典皆無な存命人物』のリストに載っているわけだし」
「なるほど、出典皆無――あの新聞のインタビューは出典に入らないのですね?」
「まあ、地方紙ですからね。私も読んだことない」
「この『殺人事件ライラック~』の挿絵に新聞記事が画像として付いてますよ」
「ああ、あのモザイクありのやつね」
「まあ、尾崎諒馬が作家として知名度が低いのは確かでしょうね」
「で、どうするんです?」黒川が改めて訊く。「このWeb小説『殺人事件ライラック~』の連載は」
「取り合えず、このシーンは書きますよ。折角、黒服が訪ねてきてくれたのだから」
「黒服ねぇ……、黒川にしといてください」
「それとやはりそろそろ幕を下ろしますよ」
「ああ、閉幕――カーテン・フォール」
「いいですね、それいただきます」
「黒い死の館――やはり、アンチ・ミステリーなんでしょうか?」
「あなた次第では?」
「私が黒服だから? 小説での黒服は生成AIが作成したアバターですが、私は生身の人間。だから?」
「ええ」頷く私。
「いや、やはりあなた次第では? あなたがこのままカーテンを降ろせば、アンチ・ミステリー。続ければ、ひょっとしたらミステリー、しかも本格ミステリーでは?」笑う黒川。
「そうかもしれませんね。でも私は作者でも探偵でもない。やはり幕は降ろしますよ」
「閉幕できるのは作者だけじゃないのですか? 一登場人物――役者が勝手に閉幕できますかね?」
「私は役者というより、裏方ですよ。まあ言えば舞台装置を動かす大道具係」
「なるほど」
「作者――いや、脚本家に事故があり、探偵役の役者もトンずらこいたので、緊急に閉幕」
「脚本家? 作者ではなくて?」
「ええ、実際にあった事件――つまり、現実がベースにあるわけでしょう? 現実には作者はいません。その現実に脚色がされてこのWeb小説になっている。だから脚本家と言ったのです」
「で、事故とは?」
「人間じゃなくなってAIになってしまった」
「なるほど」
黒川は液浸標本になったそいつをまじまじと眺めた。
「電極はどこにも繋がっていない。そいつはただの標本です」
「サーバー上にいる尾崎諒馬は完全にAIになってしまった、と。でも執筆は可能なんでしょう?」
「ええ、最後何か書いて貰おうとは思っていますが」
「それで、あなたは?」黒川が訊く。
「私は私にできることをするだけです」
「まあ、楽しみにしていますよ」
「あなたは」私は黒川の顔をじっと見て「真相がわかっているのですか?」
「完全ではないですが、一部は――」
「首猛夫とは連絡は取ってないんですか?」
「さあ、どうでしょう?」黒川は笑って誤魔化した。
「やはり、彼が勝男を殺した?」
「ええ、そうだと思います。実は私も映像を見ているし、それに――、いや、まだ話すのはやめます。とにかく今日は帰ります」
「密室トリックはあれで解かれたんでしょうか? 尾崎凌駕が解明した、あれで」
「まだよくはわかりません。でも尾崎凌駕の解決にはまだおかしなところがある」
「断定するのですか?」
「よくわからない点はあるでしょう? 謎が残っているからアンチ・ミステリーなんじゃないですか?」
「そうですね。しかし、私には謎は解けない」
「とにかく、また会いましょう。今日はこれで失礼します」
黒川はそれだけ言って去っていった。ズボンのポケットに突っ込まれた右手はずっとそのままだった。
と、部屋の出口で黒川が立ち止まって振り返った。
「そうそう、首猛夫の本名聞いてます? 小説には書いてないですよね?」
「そうですね。尾崎凌駕が聞いていますが、小説には書かれてはいないですね? あなたは知っているのですか?」
「なるほど、質問に質問で返すわけですね」黒川が笑って「苗字の方だけ知っていますよ。で、あなたは知らない?」
私は何も答えなかった。
「いや、ありふれた苗字でした。あなたと同じ苗字です。本当にありふれた」
「まあ、私の苗字はありふれてますね。五百年後は――」
「その推定はオカシイのですけどね。ああ、そうだ、いつか一緒に行きませんか?」
「何処へ?」私は尋ねる。
「あの別荘廃墟へ」
黒川はそれだけ言い残すと、私の返事を聴かずに部屋を出て行った。
* * *
探偵役の尾崎凌駕が退場して――
というか、彼は佐藤良美――旧姓尾崎良美殺しの犯人だったわけだが……
彼は密室トリックの解明をしたことになっているが……
まだ疑問はある。
それに――
この創作漢字……
斬首した断面を模したこの漢字の何が変なのだろうか?
ああ、そうだ!
一つ重要なことを忘れていた!
読者への挑戦状(再掲)に尾崎凌駕は一つ付け加えている。
3 ブリキの花嫁が離れに持ち込んだ首が――
ベッドで殺した「良美ちゃん」の首ではなく、
クーラー・ボックスで持ち込んだ「良美」の首だったのはなぜか?
アンチ・ミステリーに於ける
迷探偵 尾崎凌駕
その答えは何なのだろう?
首猛夫が小説を書いて、その中で答えようとしたが、それで正解なのか? うやむやなままだ!
挑戦は尾崎凌駕が行っている! 答えは彼が知っているはずだが、彼の手記にその答えらしきものはない!
失踪するのは自由だが、このままでは卑怯ではないだろうか?
尾崎凌駕もこのWeb小説を読んでいるだろう。
やはり、こうした疑問に答えるべきではないか?
名探偵ではなく、迷探偵だとしても……
自分で「何か変だ」と思ったのなら何が変なのか? 説明はできるだろう。
それに読者に挑戦したのだからその解答はあるべきだろう?
それを放棄して退場するのは――
人としてどうか? と思う……
そう言える資格が自分にあるわけではないのかもしれないが……




