世界の【悪意】のすべてを一身に引き受ける
世界の【悪意】のすべてを一身に引き受ける
世界の【悪意】のすべてを一身に引き受けたような、そんな探偵小説
中井英夫のその言葉は、このミステリー「殺人事件ライラック~」のテーマの一つになっている。
尾崎諒馬=鹿野信吾は自分が「針金の蝶々」という本格ミステリーを書こうとしたことが、この世界――あくまでこのミステリー内の狭い世界だが――の悪意のすべてだと思っている。
彼が「針金の蝶々」を構想しなければ惨劇は起こらなかった――確かにそうかもしれない。
尾崎睦美会長は「針金の蝶々」に出てくる別荘を実際に建てた。それがこの世界の悪意のすべてだと主張した。確かに会長が別荘を建てなければ惨劇は起こらなかった。
しかしそれは独り善がりの詭弁だ。
世界の【悪意】のすべてを一身に引き受ける――などとカッコつけてやがる。大した悪意でもない、いや悪意ですらないのにカッコつけてやがる。
この世界の【悪意】のすべてを一身に引き受け、責任を取らないといけないのは私なのだ。佐藤良美――旧姓尾崎良美を私が殺さなければ――その発端の殺人を私が犯さなければ、惨劇は起こらなかった。
確かに尾崎勝男はサイコパスだったのかもしれない。
しかし、彼は殺人は犯していないのかもしれない。
母屋の二階で殺された良美ちゃんは、瀉血処理中の事故だったのかもしれない。うっかり瀉血処理をそのままにしてしまい、出血多量で良美ちゃんは死んだのかもしれない。
確かに勝男は良美ちゃんの心臓を抉ったのかもしれないが、それは殺人ではなく、死体損壊なのかもしれない。
首を撥ねているが、それも殺人ではなく死体損壊だ。罪は殺人の方が遥かに重い。
勝男を殺したのは殺し屋首猛夫だが、彼は殺し屋だ。それが仕事なのだ。
プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。
ヴァンダインの第十七則――
本当の殺人犯は私一人だ。私は殺しはアマチュアだ。
この世界の【悪意】のすべてを一身に引き受けるべきなのは私、尾崎凌駕、一人なのだ。
嘘を正して事実を書いた。うまく誤魔化せば、私のやったことは正当防衛と主張もできよう。しかし、それは違う。私は殺人を犯した。殺意はあった。
しかし……
私は狂ってはいない。
私は首を撥ねたりはしていない。
私は真っ当な人間だ。
それはハッキリと書いておく。
私は勝男とは血は繋がっていない。
この世界の【悪意】のすべてを一身に引き受ける――つまり……
いや、もう特に書くことはない。捜さないでくれ。
最初に言ったはずだ。
僕は探偵じゃないですよ、その点はお忘れなく
そうだな。この一文が認められれば、
ヴァンダインの第四則違反ではないな。
とにかく、これで終わりにしよう。
繰り返すが……
もう特に書くことはない。捜さないでくれ。
ただ、尾崎諒馬=鹿野信吾には申し訳ない、そう思っている。彼は佐藤良美――旧姓尾崎良美を愛していた。この小説を読めばそれはよくわかる。
その彼女を私は殺したし、彼も地下送りにして、死亡診断書を書いたのは私なのだ。
私は探偵失格――いや、人間失格だ……
この世界の【悪意】のすべてを一身に引き受けるべきは私なのだ。
尾崎凌駕




