表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/144

あの日、あの時、あの場所に

  

   あの日、あの時、あの場所に

    

 あの日、あの時、あの場所に私はいた。

 長々と彼女との不倫の話を書いてきたが、読者も薄々気づいただろう。

 佐藤良美――旧姓尾崎良美が殺害斬首された日のまさにその時、私――尾崎凌駕はそこにいたのだ。殺害現場の佐藤稔宅に私はいたのだ。

 別荘の惨劇は二人のミステリー作家、尾崎諒馬と坂東善が現場にいて――嘘の記述も混ざっているが――このミステリーに詳しく記述されている。さらには隠しカメラもあって、その映像も文章化されている。

 しかし、惨劇の発端となった佐藤稔宅での惨劇については――首猛夫が小説として想像で書いているのはあるが――誰も現場におらず、詳細が文章化されてはいない。

 なので、ここで詳細を書こうと思うのだ。

 そうなのだ。

 

 あの日、あの時、あの場所に私はいたのだ。

 

 その日も私は彼女の自宅に呼び出されていた。不倫関係はやめたいと常々思っていたが、別れ話をするために、毎回呼び出しに応じていた。

 話し合いをするために彼女と会うのに、彼女の自宅を訪ねるのはどうかと思うが、彼女は毎回「自宅に来て」そう言って譲らなかった。

 

 それと――

 

 失顔症――相貌失認が故の不安……

 

 最近はすっかりその障害にも慣れているが、当時は正直不安だった。彼女の自宅以外で彼女と会ったとして、本当にそれが彼女――佐藤良美、旧姓尾崎良美なのか? それが自分にわかるのかどうか……

 特に二人の良美に同時に会った時、その二人を区別できなかった体験がその不安を増長させていた。

 それで、私は呼び出しに応じるしかなかった。

 

 当然、不倫関係を終わらせたい、と私は切り出し……

 

 彼女は泣いてそれを拒む……

 

 それで……

 

 いや、詳しくは書かない。大体読者の想像の通りだ。なし崩し的にことが始まってしまう。

 問題はその後だ。その日はその後が異なっていた。

 

 そうしたことが行われて、半裸の時に訪問者が……

 

 間抜けな間男となった私は半裸のままクローゼットに隠れる羽目になった。

 

 彼女の夫と弟夫妻が訪ねてきたのだった。

 

 真相(首猛夫による小説) 佐藤稔宅での斬首事件

 

 は、首猛夫が想像で書いたものだが、確かに――

 

 ――二人は口論に……

 いがみ合う二人が手に負えなくなり、尾崎夫妻は佐藤夫妻の自宅を早々に引き上げた――

 

 そう書かれているような展開だったようだ。

 クローゼットの中で息を殺している私にはハッキリとはわからないが、彼女とその夫らしい男――坂東善との激しい言い争いが聴こえ、それを何とか止めようとする尾崎夫妻らしき声が聴こえていたが、やがて彼女と坂東善だけの声になり……

 

   *   *   *

   

 私はそのままクローゼットの中で息を殺して二人の大喧嘩の音だけを聞いていた。

 と、彼女の悲鳴と大きな音――階段から転げ落ちる音が響いてそのまま静かになった。

 そのまま、じっと時が過ぎるのを待った。あれほど騒がしかったのにまったくの無音になってしまって、ただ自分の息遣いの音しかしない。

 いつまでもクローゼットの中に隠れているわけにもいかず、意を決して外に出た。ズボンを履いて――

 そして、階段の下に彼女が倒れているのに気付いた。

 救急車を呼ぶべきだったが、自分のことをどう説明すればいいのか? わからなかった。それでそのままその場に立ち尽くしていた。

 

   *   *   * 

 

 と、玄関の鍵が開く音がした。咄嗟に再びクローゼットに隠れる。

 誰が入ってきたのか? それはわからない。いや、自分は顔がわからない。仮に入ってきた人物の顔を見たとしても誰だかわからないだろう。

 クローゼットの中で観念していた。入ってきた人物は救急車を呼ぶだろう。ひょっとしたら警察を呼ぶかもしれない。それでクローゼットの中にいる私はどうなるのだろうか? 間抜けな間男であることを白状するしかないだろう。

 その人物はクローゼットの近くまで来たようだった。音しか聞こえないが、ウロウロと歩き回っている。

「パパ、……助けて……」そう声がはっきり聴こえた。「勝男です。姉さんが……」

 どうやら勝男が父親に電話しているらしかった。

「姉さんが死んでるかもしれない」勝男の声は狼狽していた。

「違う……。僕は殺してなんかいない……。僕じゃない……」

 勝男はクローゼットの近くをウロウロしながら電話を続けていた。

「……助けて……。パパ、助けて……。違う。僕じゃない。僕は殺してはいない。僕じゃないって!」

 そう声が聴こえたが、やがて静かになった。

 

 どれだけ時間が経っただろうか? 私はクローゼットの中でただじっとしていた。そうするしか仕方がなかった。

 

 しかし、いつまでも隠れているわけにもいかなかった。どうしようもないので、私は覚悟を決めてクローゼットの外に出た。

 

 そして――

 

 私が見たのは首のない彼女の死体だった……

 

 その時、私に何ができたのだろう……

 

 やるべきことは警察に電話することだったのだろうが……

 

 私にはそれができなかった。状況を説明できるはずもなかった……

 

 読者がどう思うか? それはわからないが、少なくともその時に私には警察に電話する選択肢はなかった。

 

 呆然とその首無し死体を眺めていた。しばらく前は首があったその死体を眺めていた。

 確実に思ったのは――

 

 首を切断したのは勝男だ、ということだ。

 

 ――勝男にだけは近づくな――

 

 母が最期に残したその言葉が頭の中で繰り返されていた。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ