殺し屋が×××××――あるいは……
殺し屋が×××××――あるいは……
尾崎凌駕が暴いた密室トリックですが、なるほどよくできてはいます。しかし、その内容は、
第五部 しばらく経った頃、外にいた
の首猛夫の記述と矛盾します。
すると――
A.もう一人殺し屋がいたか?
あるいは、
B.首猛夫が嘘の記述をした
のどちらか、ではないでしょうか?
A.のもう一人殺し屋がいた場合ですが、首猛夫は黒服とバトンタッチするために彼に会っています。黒服は母屋一階の一番端の部屋にいたはずですから、首猛夫は離れの玄関の前から離れていた時間帯があったはずです。僅か数分程度かもしれませんが――
その僅かな時間にもう一人の殺し屋が離れの中に招き入れられ……
そうすれば矛盾は解消されます。
B.の首猛夫が嘘の記述をした場合ですが、それは首猛夫と名乗るものが本当は首猛夫ではなかったのではないか? そう考えられませんか?
第五部 しばらく経った頃、外にいた
は、藤沢さんが執筆しています。藤沢さんは、
第五部 別荘廃墟にて(藤沢と尾崎凌駕)
で、尾崎凌駕に『あなたの正体は?』そう迫られ、
その後の〇〇〇お茶会6で、
『自分は殺し屋首猛夫』そう白状していますが、それが本当だという確証は何もありません。
つい最近も、その首猛夫――つまり藤沢さんが医療センターに尾崎凌駕を訪ねてきたようですが、その時も尾崎凌駕は『あなたは何者です?』そう尋ねています。
つまり、藤沢=首猛夫と名乗った人物は殺し屋首猛夫ではなかったのかもしれない。それを尾崎凌駕は感じ取っていた。
この小説では視点の問題が大きなテーマになっています。それでこうは考えられないでしょうか?
藤沢=首猛夫と名乗った人物は首猛夫になり切って首猛夫の視点で記述しようとしてみたわけですが、彼は本当は首猛夫ではなかったので、類推して書かざるを得なかった。
創作されたその世界で作者が神である完全なフィクションではなく、現実がベースにあり、その現実世界の住人が記述しているフィクションの場合、本当の神の視点でも導入しない限り、多視点三人称で現実を正確に記述はできない。登場人物が書いている以上、どうしても類推、推定で書かざるを得ないシーンが出てくる、違いますか?
殺人事件現場にいた人物が――ワトソン博士でもエラリー・クイーンでもいいですが、とにかくその人物がその殺人事件をミステリーとして書く場合、その人物が直接見ていないことは、どうしても推定で書かざるを得ない……。
結果として書かれたシーンに嘘がある可能性が……




