涙のバレンタインチョコレート事件
足早に食堂を立ち去る三人組。向かう先は、いずみかわ幼稚園すみれ組。
その三人から少し離れて、こっそり後を付けるおさげの女の子がいた。怪しい行動は見過ごせない。彼女の勘が言っていた、これは事件だと。
三人は女の子に気付かない様子で、すみれ組の教室に入って行く。
教室の外から、中の様子を伺っていた女の子は、カバン置き場の前で何かをしている三人組に、足音を忍ばせて静かに近付いて行った。
「あーっ! バレンタインチョコ! だれから? だれから?」
後ろで大きな声がしたので、三人は飛び上がった。
時間は少し遡る。
給食を早く終えたヨッちゃんとショウヘイくん、ケイタくんは、皆がまだ戻って来ない内に、いち早くすみれ組の教室に戻っていた。
「ショウくん、ぼくたちに、みせたいものって、なに?」
ケイタくんが訊ねるとショウヘイくんは、ちょっと照れ臭そうに笑いながら、金色の小さな箱をカバンから取り出して見せた。箱には茶色のリボンが掛かっている。
「エイリアンマンじゃないんだ。なに、これ?」
ヨッちゃんは、少し残念そうに金色の箱を見た。
「チョコレートみたい」
「えっ? えんに、おかしを、もってきては、いけないんじゃ?」
ヨッちゃんはケイタくんと顔を見合わせた。
「ふふ、きょうは、なんのひ、でしょう」
ショウヘイくんは、勿体ぶった口調で二人に問い掛ける。
「きょう? にがつの、じゅうよっか」
ヨッちゃんは、全く思い当たらなかったが、ケイタくんが反応した。
「あーっ、バレンタインデーだ」
「そう、バレンタインデー!」
喜びが顔で炸裂した。
「なにそれ?」
「おんなのこが、すきな、おとこのこに、チョコレートを、あげるひ、だよ」
エイリアンマンのこと以外は、全く興味のないヨッちゃんにケイタくんが説明する。
「……ということは、だれかが、ショウくんのことを、すきって、こと?」
ケイタくんは、「いいなぁ」と言いながら、ショウヘイくんの手にある金色の箱を見詰めた。
「だれなの?」
ヨッちゃんの問いに、ショウヘイくんは困ったような顔をした。
「それがさ、わからないんだ」
「おてがみとか、ついてないの?」
「うん。あさ、カバンの、タオルを、とりにいって、きがついた。おれが、えんていで、あそんでいるときに、だれかが、こっそり、カバンに、いれたんだと、おもう」
「ふーん」
「だれからか、わからないんじゃ、ありがとうも、いえないね」
ケイタくんは、眉根を寄せる。
「だれからか、わかる、ほうほう、ないかなと、おもって」
「……クリスちゃん」
ヨッちゃんが、ぼそりと言った。
「やっぱり、そうおもう?」
ショウヘイくんは、ニコニコしながら身を乗り出した。
「ん? いや、クリスちゃんなら、しらべてくれる」
「ああ、そうだよ。クリスちゃんなら、わかるかも」
ケイタくんが賛成する。
「……なんだ。でもさ」
ショウヘイくんは、少し考えるように言う。
「もしも、これが、クリスちゃんから、だったら、こまっちゃわないかな。だって、みんなに、ないしょで、わたしたかったのだからさ」
「クリスちゃんが、ショウくんに?」
ヨッちゃんとケイタくんは、斜め上と斜め下をそれぞれ見ながら考えた。
「ないんじ……」
ヨッちゃんの言葉は、ケイタくんの手によって遮られた。
「ま、まぁ、ないとはいえないね」
ケイタくんは、ショウヘイくんに笑い掛ける。
「クリスちゃんじゃないなら、どうやって、さがすの?」
「それを、かんがえて、ほしかったんだ」
「うーん……」
三人はカバン置き場の前で沈黙した。
「あーっ! バレンタインチョコ! だれから? だれから?」
後ろで大きな声がしたので、三人は飛び上がった。
「……わからないんだって」
ヨッちゃんが、声の主アユちゃんにボソッと答えると、アユちゃんは嬉々として叫んだ。
「じけんよ~! じけんよ~! ショウヘイくんが、もらったチョコレート、だれからか、わからないんだって」
アユちゃんの声に反応して、丁度、給食を終えて教室に戻って来たすみれ組の子達がわらわらと集まって来た。
「あー、チョコ。いいなぁ」
「ぼくも、ほしい」
「ねぇ、だれに、もらったの?」
「しらないあいだに、かばんに、はいっていたんだって」
「おかし、もってきちゃ、いけないんだよ」
誰かの言葉にマイちゃんは、居心地悪そうにもじもじした。タロウくんにあげようと、可愛いウサギ型のチョコレートを、カバンに隠しているからだ。
園にお菓子を持ってきてはいけないのだが、こっそり、バレンタインチョコを用意している女の子も少なくなかった。女の子は、お目当ての子にいつ渡そうかとソワソワし、男の子は、自分はチョコレートを貰えるかとソワソワしている。
その時、クリスティが、おトイレから戻ってきて、皆が集まって騒いでいるのに気が付いた。
「どうしたの? なにか、あったの?」
皆が口々にショウヘイくんのチョコレートのことを教えてくれた。
「ふーん、だれからか、わからないんだ」
「そうだ、クリスちゃんに、しらべてもらったら?」
タロウくんがショウヘイくんの肩を叩いた。
「えっと、こ、これ、ク、クリスちゃんから、……じゃないよね?」
ショウヘイくんは、躊躇いながら確認する。
「えっ?」
クリスティは、怪訝そうな顔をしてショウヘイくんを見た。
「なんで、そう、おもうの?」
「……がいこくごで、かいてあるから」
日本語表示のラベルが貼ってあるが、その他は外国語で書いてある。
「あ、ほんとうだ」
ショウヘイくんの手から、箱を受け取ったタロウくんが、箱の裏表や側面を調べる。
「がいこくの、チョコレートみたい」
皆、母親がイギリス人なのを知っているので、クリスティの方を見た。
「ちがうよ、わたしじゃないよ。わたしは、パパに、あげるの!」
全身でNOと言う。
「……そうなんだ。クリスちゃんじゃないんだ」
ショウヘイくんは、がっかりしたように俯いた。
「これ、ちょっと、おたかそうね」
タロウくんから箱を受け取ったマイちゃんが続ける。
「おかねもちのこ、なのかな」
お金持ちと聞いて、皆は、一斉にユウカちゃんを振り返った。
「あ、あたくちじゃ、ありません。あたくちのチョコは、まだ、ここに」
ユウカちゃんは、スモックのポケットからカラフルな包装の小さな箱を取り出した。
「わぁ、だれにあげるの?」
「ひ・み・つ」
「もうさ、クリスちゃんからじゃないって、わかったんだから、クリスちゃんに、しらべてもらったら?」
皆の手を回って箱を受け取ったケイタくんが
ショウヘイくんの顔を覗き込んだ。
ショウヘイくんは、何故か浮かない顔をしていたが「そうだな」と呟いてクリスティを見た。
「クリスちゃん、このチョコ、だれがくれたのか、しらべて、くれるかな?」
クリスティは、スモックのポケットから、赤い伊達メガネと可愛い手帳を取り出した。
「たんていの、でばんの、ようね」
クリスティは、聞き込みを開始した。
「まず、みつけたときのこと、おしえて」
「あさ、きょうしつに、カバンを、おいて、えんていで、トオルくんと、あそんでいた。
あせを、かいたから、カバンに、いれてある、タオルをとりに、きた。そうしたら、タオルの、したに、これが、はいっていた」
「そのとき、きょうしつに、いたこを、おぼえている?」
「うーん。サトルくんが、おもちゃばこのところに、いたきがする」
「ほかには?」
「アユちゃんと、ナミちゃんかな」
「あたし、スモックに、おきがえして、すぐに、すべりだいに、いったよ。ナミちゃんもいっしょ」
ナミちゃんは、アユちゃんの隣でコクコクと頷いた。
「サトルくんは、ずっと、おもちゃばこの、おかたづけを、していたんだよね?」
「うん」
「だれか、ほかに、みたかな?」
「おれ、かたづけのときは、むちゅうに、なっているから」
「だれかきても、わからないか」
クリスティは、右手のグーを顎の下に当てて考えた。
「じゃあ、きょう、バレンタインチョコを、もってきた、おんなのこで、このチョコレートと、おなじのを、もっているこ?」
女の子達は、互いに顔を見合わせるが、誰も名乗り出ない。
(それは、そうか。ないしょに、したいよね)
「うーん」
そもそも何で、名前を書かなかったのだろう。これでは、折角、チョコレートを渡しても、意味がないのではないか。
(おてがみを、わすれてしまったのかな。てわたし、しようと、おもっていたのに、なにかの、りゆうで、カバンに、いれたのかな)
「マイちゃん」
急に名前を呼ばれて、マイちゃんはビクッとする。
「な、なに? クリスちゃん」
「マイちゃんが、だれかに、チョコをわたすとしたら、どうするかな? てわたし? それとも、こっそり、カバンにいれる?」
「えー、わたしは、てわたしするよ。あいてが、よろこんで、くれるの、みたいから」
タロウくんの方を、チラッと見る。
「そうだよね。こっそりだと、あいての、きもちが、わからないよね」
「でもさ、でもさ、さんがつには、ホワイトデーがあるから、そのときに、あいてのきもちは、わかるんじゃ?」
アユちゃんは、物知り顔で反論した。
「そうか、ホワイトデーが、あるね」
「おなまえ、かかないと、ホワイトデーにも、かえせないけどね」
「うん」
「なんで、おなまえ、かかなかったのかな?」
「わすれちゃったのかな?」
「あわてんぼうさん、なのかな?」
すみれ組の皆は、頭を捻った。
「もういっかい、チョコを、みせて」
アユちゃんが言って、金色の箱を改めて、じっくりと見た。
「このチョコ、みたきがする」
「えっ、どこで?」
「せんしゅう、おかあさんと、スーパーに、いったとき」
アユちゃんが言うには、駅前のスーパーにバレンタインチョコレートの特設コーナーがあったという。
「いろいろな、チョコレートが、たくさん、おいてあった」
この金色のチョコは、一番高い所に置いてあったので、アユちゃんは母親に訊ねた。
「おかあさんが、『がいこくの、チョコだよ』っていってた」
「ふーん。このチョコは、えきまえの、スーパーで、かったのかな」
クリスティは、手帳に書き記した。
クリスティも少し前、母親と一緒に、デパートのバレンタインデーの特設コーナーで、パパへのチョコレートを買ったのを思い出した。
(すみれぐみのこが、かったなら、おかあさんと、かいに、いったのかも)
「アユちゃん、スーパーにいったときに、すみれぐみの、だれかに、あわなかった?」
「あったよ」
「だ、だれ?」
「マイちゃん。おかあさんと、いっしょに、きていた。あと、おむかえのときに、みたことのある、だれかの、おかあさん」
皆は「おーっ」と声を上げてマイちゃんに注目した。
「わたし、チョコをかいにいったけど、このチョコは、かってないよ。わたしが、かったのは、ウサギの、かたちの、チョコ」
マイちゃんは、皆の疑いを晴らそうと、カバンから、チョコレートを取って来て見せた。
皆は、もう、このチョコレートの行き先が分かってしまった。
「せっかく、もってきたから、はい!」
マイちゃんは、皆の前でタロウくんに、チョコレートを渡した。
「あ、ありがとう」
受け取ったタロウくんがドギマギして、顔を赤くしたので、渡したマイちゃんも急に恥ずかしくなって、耳まで赤くなった。
「いいなぁ」
誰かの呟きは、さざ波のように広がった。
「わ、わたしも」
「あたしも」
「あたくちも」
女の子達は、マイちゃんに勇気をもらって、それぞれのチョコレートを取り出して、お目当ての子に手渡し始めた。
「クリスちゃん、これ」
「えっ?」
アユちゃんが、クリスティに巾着型にラッピングした小さな包みを手渡した。
「ともチョコだよ」
「わたしのも、あるよ」
赤面から復帰したマイちゃんが、赤いリボンの小箱を差し出す。
「ありがとう」
クリスティは、何も用意していなかったので「ホワイトデーを、まっていてね」
と返した。
さて、マイちゃんがクリスティにチョコを渡している時、ユウカちゃんはカラフルな包装の箱をタロウくんに手渡していた。
「あたくちの、てづくり、です」
タロウくんは、他の女の子からもいくつかチョコをもらい、ニッコニコしている。
一方、一つもチョコを貰えなかった男の子たちは、魂が抜けたように俯いていた。涙ぐんでいる子もいる。
「だれからか、わからなくても、もらえた、ショウくんは、いいよな」
ケイタくんは、同意を求めるようにヨッちゃんを見た。
「でも、きっと、いえにかえると、おかあさんと、いもうとが、くれると、おもうんだ」
「あ……、そのチョコレートだったんだ」
ケイタくんの言葉で、ヨッちゃんは、朝食のテーブルの父親と自分の席にチョコレートがあった訳をようやく理解した。
皆のやり取りを見ながら、クリスティは何かが頭に引っ掛かっていた。
(チョコレートは、タオルの、したに、あった。ほかのこの、カバンに、チョコをいれるとしたら、みんなに、みつからないように、サッといれるんじゃないかな。なんで、わざわざ、じかんが、かかる、タオルのしたに、いれたのだろう)
部屋には、サトルくんがずっと居た。たとえ見ていなくても、あまり、時間を掛けるのは避けるのではないだろうか。
(それに、はやく、みつけて、ほしいと、おもうはずなのに、かくすみたいに、いれるのって)
チョコを持って来た女の子達が、皆渡し終えた。見回すが、貰った子の手に、ショウヘイくんと同じ金色の箱は無い。
(すみれぐみのこじゃないのかも?)
クリスティは、手帳を見直す。
【カバンのなか、タオルのした】
【なまえが、ない】
【えきまえのスーパーで、かった?】
【すみれぐみのこ、じゃない?】
(すみれぐみでは、ないとすると、ひよこぐみか、まつぐみ? ねんしょうさんや、ねんちょうさんが、ショウヘイくんのことを、しっているかな? しっていたとしても、カバンが、どこに、あるのか、わかるかな?)
他の組の子が、ショウヘイくんのカバンに入れようとしたら、すみれ組の子が入れるのよりも、よっぽど大変だし、時間が掛かる。ショウヘイくんのカバンを探していたら、いくらサトルくんでも気が付くのではないだろうか。
(ほかの、くみのこは、ありえないかな。すみれぐみのこ、じゃなくて、ほかの、くみのこ、でもない。じゃあ、だれが、カバンに、いれたの? ……そうか)
クリスティは、気が付いた。
幼稚園で誰も入れていないのなら、それは園に来る前に入っていたではないか。『連続紛失事件』の時、トオルくんは、パンツを園で紛失したと思っていたが、実際は、家にパンツを忘れていた。そもそも、持って来ていなかった。今回は、その逆、園で入れられたと思っているチョコは、実は、家からカバンに入っていた。
つまり、家でチョコを入れたのは。
(いっても、いいのかな?)
ショウヘイくんには、『七夕暗号事件』の時に、秘密を暴露して泣かせてしまった苦い思い出がある。自分もその時大泣きして、あやまったのだ。今回は、そのショウヘイくんの依頼なのだが。
依頼者には答えなければならない。クリスティは、戸惑いながら声を掛けた。
「ショウヘイくん、わたしの、すいりを、いうね」
クリスティの声に、チョコを貰って騒いでした子達も静かになった。
「このチョコレートは、ショウヘイくんの、おかあさんが、いれたんじゃないかな」
「えーっ!」
ショウヘイくんを含む皆は、一様に声を上げた。
「そ、そんな」
動揺しているショウヘイくんに、クリスティは続ける。
「なんで、なまえが、ないのか。それは、おかあさん、だから」
「え……」
「タオルのしたに、チョコを、いれるのは、ただ、カバンに、いれるより、じかんが、かかる。だから、ふつうは、しない。サトルくんがいる、きょうしつで、いれるのは、むずかしい。チョコが、タオルのしたに、あったのは、おどろかせたかった、のかな。ショウヘイくんが、タオルを、つかうときに、みつけるように」
ショウヘイくんは目をパチパチさせた。
「あと、このチョコは、えきまえの、スーパーで、うっていた。こどもが、かえる、ねだんの、チョコじゃない。アユちゃんが、スーパーでみたっていう、だれかの、おかあさんは、ショウヘイくんの、おかあさんじゃないのかな」
「し、しょうこは、あるの?」
ショウヘイくんは、散々騒いだ挙句に、ママチョコだと言われて、声が震えた。
恥ずかしいのと、自分に黙ってこんな事をしたかもしれない母親への怒り。
皆の前で、ママチョコではないかと言うクリスティへの憤り。
「おむかえの、じかんに、なったら、おかあさんに、きいてみたら、いいとおもう」
「なーんだ、ママチョコかぁ」
誰かが、からかうように言う。
小さな笑い声も聞こえる。
「ママチョコで、いいじゃない? わたしは、パパに、チョコあげるよ」
クリスティは、すかさず言い返す。
「あたしも、おとうさんに、あげるよ」
「わたしも」
アユちゃんやマイちゃんを始め、女の子達も口を揃えた。
「ママチョコは、べつに、はずかしくないと、おもうよ」
下を向いてしまったショウヘイくんに声を掛けるが、心に届かないようだった。
その時、ノリコ先生が教室に入って来た。
「お帰りの子は、お仕度できたかな? んん? どうかした?」
教室内の微妙な空気を感じ取ったようだ。
「なんでもない」
貰ったチョコをササっと隠して、タロウくんが答えた。
「んー?」
先生は教室の中を見回して、カバン置き場で俯いているショウヘイくんを見付けた。
「ショウヘイくん、どうかしたの?」
ショウヘイくんは、黙って首を横に振った。
「ふーん。ところで、今日は、バレンタインデー……」
皆がピクッと反応する。
「……先生から、皆にチョコッとチョコのプレゼント」
ノリコ先生は、紙袋の中から駄菓子のチョコレートを取り出して、皆に配り始めた。
「私から、みんな大好きチョコだよ!」
女の子からチョコを貰えなかった男の子達も嬉しそうな顔をした。
やがて、お帰りの時間になって、預かり保育ではない子の保護者が次々とお迎えにやって来た。クリスティとアユちゃんは、ショウヘイくんのお母さんが来るのを待っていた。
「あ、あのひと、だとおもう」
アユちゃんが、視線を走らせた。
「ショウヘイ!」
母親がやって来ると、ショウヘイくんは、その耳元で何かを訊ねた。
「見付けたの! びっくりした?」
母親は嬉しそうに笑い掛けたが、ショウヘイくんは、母親のお腹をペシペシ叩いて抱き付くと声を殺して泣き始めた。
「えっ? えっ?」
息子の反応に戸惑う母親。
ノリコ先生に救いを求めるように視線を向けるが、ノリコ先生は事情を知らないので首を傾げるばかりだった。
「ショウヘイくん、どうしたの?」
「……なんでもない」
押し殺した声で言うと、挨拶もそこそこに、母親の手を乱暴に引っ張って帰ってしまった。
「クリスちゃん、何か知っている?」
ノリコ先生に訊ねられたが、これは、言ってはいけないと思い、黙って首を横に振った。
「何だろう? お腹でも痛かったのかしら」
園にチョコを持って来たのは皆の秘密だった。
「クリスちゃん、せいかい、だったね」
アユちゃんが笑い掛けてきた。が、クリスティは、複雑な気持ちだった。
(ショウヘイくん、ないていた。わたし、また、なかしちゃったのかな)
夕方、父親が仕事から帰宅したので、クリスティは母親と一緒にチョコレートを手渡した。父親は母親に深紅の薔薇の花束を、クリスティにはキャンディで作られた花束をプレゼントした。
「イギリスではね、バレンタインデーは、女の子から男の子に愛を伝える日というより、男の子からも女の子に愛を伝える日なのよ」
父親から受け取った豪華な薔薇の花束を花瓶に飾りながら、母親は嬉しそうに微笑んだ。
「きょうね、えんで、こんなことが、あったよ」
夕食のテーブルを囲みながら、クリスティは、ショウヘイくんのママチョコの話をした。
「わたし、ママチョコって、いっては、いけなかったのかな?」
「うーん。男の子として、ちょっと悲しくなっちゃったかもね」
パパは、ポアロみたいな髭の先をクリクリと触る。
「どうして?」
首を傾げる娘の無垢な瞳を見て、父親は母親と顔を見合わせた。何と説明すればいいのだろう。恋愛の機微を説明するには、娘は幼過ぎるようだ。
「男の子は、女の子に好きになって欲しいと思うことが多いの。反対に女の子は、男の子に好きになって欲しいと思うことが多いの。勿論、そんなこと全然思わない人もいるけれどね」
母親は、言葉を選びながら説明する。
「ショウヘイくんは、誰か分からないけれど、女の子が自分を好きになってくれたと思って、嬉しかったのだけれど、実は、ママだったから、がっかりしたのかな」
父親が補足する。
「ふーん……」
両親は、口を揃えて「もう少し大きくなったら、クリスティにも分かるかもね」と言った。
夕食の後、『あがたクリスティ・じけんぼ』に今日の事件を記入する。
『なみだの バレンタインチョコレート じけん』
母親がインデックスを貼ってくれる。
『いらいしゃ ショウヘイくん』
『カバンに はいっていた チョコが だれからか しらべて』
『チョコは ショウヘイくんのおうちから カバンに はいっていた』
『ショウヘイくんのママからの ママチョコだと わかった』
『ほうしゅう なし』
「ねぇ、ミス・マープル。ママチョコで、がっかりする、きもち、わからないよ」
クリスティは、ベッドの上で愛猫のミス・マープルに話し掛ける。
「わたしは、パパやママから、もらったら、うれしいよ。ショウヘイくんは、ないちゃうくらい、いやだったのかな」
ママチョコだとからかったり、笑ったりする男の子もいた。何だか分からない。何故、からかうのだろう。両親の話を聞いても、泣いたショウヘイくんの気持ちが、よく分からなかった。もう少し大きくなったら、分かるのだろうか。
『連続紛失事件』の結果を生かせた事件だった。でも、とクリスティは思う。
「また、ショウヘイくんを、なかせて、しまった。ひとの、きもちって、むずかしいね」
クリスティは、アユちゃんとマイちゃんに貰った『友チョコ』を手に取って眺めた。
「ともチョコ、うれしかった。わたしも、かっておけば、よかったね」
白いペルシャ猫のミス・マープルは、クリスティのクルクル巻き毛の金髪に、黙って頭を擦り付けた。




