第二十四話 国会開設の意義
先日、久佐賀は懐剣を振るって殺人の罪を犯しかけた。
今、同じ大隈邸の応接間に、直接の被害者のミタエがいる。
目撃者となった外務省密偵もいる。
何もなかったと久佐賀がシラ
「大隈さまの憲法意見をからめて事件を起こし、日本に有害無益な波風を立てて混乱に陥れ、反日の他国を利して、多額の報酬をいただく。
久佐賀くん、君には、そういう目論見があったのではないだろうね? 君の弁明を聞いておきたい」
明治十四年の日本では、急激なインフレが進行する中で、戦闘訓練をうけた大勢の士族が職にあぶれている。急激に財力をもった豪農たちが権利意識に目覚めて明治政府に不満を持っている。
インフレ進行を止めるべく、政府の求心力を高める目的の外征。
その可能性はある。
外征されてしまう側からすれば、恐怖であろう。
やられる前にやれ。
もしも、久佐賀が敵国側の密偵で、偶然にも久佐賀の立場にいて、今回の件で情報を久佐賀と同程度に手に入れることができていたら、やるだろうか?
やる。
機会を逃すべきではない。
ローリスク・ハイリターン。
外務省密偵の懸念するその計画を実行するべきであろう。
「ご懸念なさられた理由もよくわかる」
小野はかばってくれた。
「じゃが、誤解じゃ、井上外務卿とも親しい松本蒼海先生ゆう偉い人が久佐賀の身元の保証なされておられる。久佐賀は肥後におるとき、蒼海先生の弟子じゃった」
「東京に来てからの久佐賀さんの交友関係は? 蒼海先生がどのように立派な方でも、上京してから久佐賀さんに何があったか、わかりませんよね?」
即座に、外務省密偵は言い返す。
しかし、と小野は反論する。
「東京府第二中学校の校門の前の事件については、実を言うと、わしも久佐賀から話を聞いとる。
こいつにはな、蒼海先生の仕込みで、相手に刃を当てずとも、気を失わせるという技があるんじゃ。
わしが聞いた話によると、こいつは、その、そこにいるミタエの気を失わせて、カバンの中に憲法意見書が入っているかいないか確認しようとしただけらしい。
そりゃ、わしもえらい短慮やと思うたけどな、それでも、さすがに殺すつもりはなかった、と久佐賀の口から聞いとる」
困りましたね、と外務省密偵は溜め息をつく。
「僕はその場にいましたけれども、殺すつもりに見えました」
小野は吠える。
「見えただけじゃ! 密偵殿は、大層な縄術遣いじゃと久佐賀から聞いたが、剣のことはよく知らんのではないか?」
「そのように仰られると」
「じゃったら、密偵殿の見間違いがなかったとは言えまい? あったかもしれんじゃろ。こりゃ、久佐賀、キサンも何か言え」
小野先生は喧嘩上手だ。
このままお任せしておけば俺は無罪放免で切り抜けられるやもしれない。
でも、だが、しかし、だ。
久佐賀は気づいてしまった。
ミタエが瞳に涙をためて怯えた目で自分ことを見ていた。
芸者見習いの半玉の衣装に身を包んだミタエは、指で触れただけで脆く壊れる繊細なガラス細工のよう。
俺はなんて酷いことをしとるのか?
自分のしとることが信じられない。
胸の奥から湧き上がる得体の知れない気持ちの悪さ。
耐えられん。
俺は悪いことをした。
きちんと謝らんといかん。
やったら、謝るのに嘘ばついてはいけない。
久佐賀はその場に跪いた。
土下座。
「申し訳ありません、小野先生。せっかく、俺のことをかばっていただいておりますが、実は、俺は小野先生に嘘をついとりました」
「な、何んじゃと!」
いきなりの告白に小野は衝撃を受ける。
久佐賀は続けた。
「あのとき、俺は、そこの外務省密偵の言うとおり、ミタエのことを殺そうとしました。後ろから首ば刎ねようとしました。
しかし、天地神明に誓って、俺は、この日本を、外国に売り渡すような真似はせんです。あれは、その、違うんです」
「違うゆうて何よ?」
「あのう、東京府第二中学校の前で、俺がミタエのことを見つけましたとき、何か、声をかけるより前に俺の顔を見ただけで嫌がられて逃げられよったし、捕まえてもろくに話を聞いてもらえそうもありませでしたから。
何かこのまま逃がしたら、もう二度とずっとミタエと会えんようになるゆう怖い考えが頭に浮かんでしまって、それぐらいやったら、いっそのこと」
「馬鹿!」
鉄拳制裁。
怒りを爆発させた小野にしたたかに頬を殴りつけられた。
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やれやれ、と大隈は言う。
「大山鳴動して鼠一匹じゃ。
あまりにもミタエのことを気に入りすぎて、それがろくに相手してもらえなかったから、久佐賀は頭に血がのぼった。それで、モノノケに取り憑かれたように襲ってしまった。
くだらん。
色ボケしよって。
そういう突拍子もないことをする馬鹿を密偵として使たいたいと外国だって思わんだろ? さすがに、これは外務省の管轄外じゃ」
「了解です。上にきちんと報告いたします。大隈さま、本日はご協力ありがとうございました」
と、外務省密偵。
はあ、と綾子が横で大きなため息をついた。
「若いのよ、久佐賀さんも」
そして、外務省密偵とミタエに向かって、
「許してあげて」
と言う。
続けて、大隈にも声をかける。
「ね?」
不満そうな表情で大隈は口を閉じている。
綾子の口調が強くなる。
「あなた」
「わかった」
シブシブといった様子で、大隈はうなずく。
賢妻と呼ばれる綾子の見解。
「私たちも悪かったのですよ。久佐賀さんが書生たちの中で浮いていることに気づきながら少し放っておきすぎましたわ」
でしょうな、と小野は相槌を打つ。
「もしも、久佐賀が東京府第二中学校まで行くときに、誰か、他の者が横についとったら、そんな馬鹿なことをする前に止めとったでしょ」
久佐賀はひどく傷心していた
しかし、ミタエの前で全て正直に話さなければならないと決めていた。もはや不退転。良くも悪くも。
「違います」
久佐賀は言った。
「あの時、俺の心の中には、ああしろこうしろゆう俺がいっぱいおって、そいつらがまともに話し合えなかった。
まともに話しあえない者たちを一つにまとめようと思うたら、わかりやすいものしかありません。
わかりやすいもの。わかりやすいもの。わかりすいもの。そればかりではいかんと思うのです。
わかりやすいものが何故わかりやすいかて言うたら、それがいつも人々の間でイザコザば起こして目立つから、馬鹿にでもわかりやすくなっているのではないでしょうか?
あの時の俺が駄目だったのは、誰か、他のひとに止めてもらったら、どうにかなるという筋合いのものとは違いました。
俺の心の中におる者たちは、お互いにまともに話し合えぬひどい連中ばかりで、そいつらを壊れないようにまとめようとしたら、わかりやすいものに縋るしかなかったのです。
わかるものが、あの時の俺にとっては、剣しかなかった。剣を振るしかなかったのです。俺は本当に馬鹿なヤツです」
とりとめない話。
怪傑と呼ばれる大隈重信が聞いてくれた。
論評。
「わかりやすいものは争いを常日頃から争いをあちらこちらで起こしとるからこそ、わかりやすい力が馬鹿にでもわかりやすくなっていると言うか、久佐賀?
賛成じゃ。
この大隈もそう思っとるわい。
もちろん、人の心も国の民も、一つにまとめるたの、馬鹿にでわかるわかりやすい力に頼らなければいけない場合がある。
武力、人脈、身分、階級、財力、学歴、資格とかわかりやすいものじゃ。
わかりやすいものがくだらんとは言わん。
大切なものだと思う。
しかし、わかりやすいということの本質的なところにある危なっかしさについて、もっと考えてみねばならん。
わかりやすいものに頼りきってしまうと、ろくに頭を使わんから、少し落ちついておれば避けられるものもまともに避けられず、余計な災難をひっかぶる。
外に対して余計な見栄を張ったり余計な喧嘩を売ったりせんでも良いように、まず、内の信用をしっかり固めることが肝要じゃ。
国に言う単位でも、人という単位でも同じことが言えよる。
国の中の民と民、人の心の中の想いと想い、互いに喧嘩ばかりしとって、わかりやすいものを見せてくれるものが横に誰かいなければ話がまとまらぬというのでは心もとない。
普段からろくにものを考えない民ばかりでは、日ごろから内輪で喧嘩ばかりしていて、政府が余計な危なっかしいことをやろうしたときに、権力を制約する憲法に強制力の裏づけを与えられない。
ろくにものを考えない民たちは、どんなに余計で、どんなに危なっかしくても、わかりやすいものを見せ続けてくれるものしか権力と認めないのじゃ。
それがどんなに危険なことか!
国事というのは、上の者だけが努力すればよいというものではない。
下の者たちが愚かであれば、上の者がどんなに賢明であっても、自分の地位を下の者に認めさせるために愚かなことをするしか道がなくなってしまう。
上の者も下の者も、国のために何をなすべきか、狭い党派心の料簡を捨てて、日ごろから考えなければなるまい。
それこそ吉田松陰先生のおっしゃられた草莽崛起の精神であろうな。
もちろん、繰り返して言うが、わかりやすいものは大切じゃ、とても大切じゃ。
それと同時に、わかりやすいものを使わずとも物事を収めることができぬものかと常日頃からの工夫を自らの手で重ねることが大切。
そのためには、だからこそ、この大隈、今の日本にとって議会の開設は喫緊の急務であると心得る。くだらん党派心を超え、互いの知恵を絞って話し合える民をつくらねばならぬ」
巨漢の大隈が両手をいきなり久佐賀の両肩に載せた。ズシリという重みがある。
「わかった、わかった。確かに小野クンが言う通り、お前はなかなか愉快な男じゃな」
久佐賀はびっくりしした。
「大隈さま?」
「確かに、お前は馬鹿じゃ、まだ全然に足りておらぬ。
しかしながら、まあ、根が正直じゃ。馬鹿が馬鹿なりにしっかり悩んで自分の答えを見つけようとしとるわい。
今のままでいかんと、お前だって分かっとるじゃろ。
綾子の言うとおり、お前はまだ若い。学ぶのは、これからじゃ。
それに、蒼海先生からの預かり物をあっさり見捨てるのもよろしくない。申し訳がたたん。
仕方あるまい。今回のことは、この大隈、許してやるぞ」
「はい」
大隈はミタエに向き直った。
「どうか、君も、今回のことについては久佐賀の奴を許してやってくれんかの?
こいつも将来のある身じゃ。この大隈からも頭を下げる。この通り」
ミタエがの返事を待つことなく頭を下げる。
日本人離れした巨漢の大隈は、肉体だけであからさまな圧迫感がある。そして、明治政府の高官が頭を下げたということを安く見積もってはいけない。
見るからに気弱そうなミタエにとって、耐えられまい。
小さな声で、
「わかりました。許します」
と言った。
可憐な紅の唇から発せられたら許しの言葉が本心からのものだったかは今は問うまい。久佐賀は全てを正直に話して謝った。それだけだ。
ただ、夜の水面に映る月光を想わせる透き通った声が、久佐賀の心を静かに甘やかに震わせた。
「ありがとう」
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明治十四年(一八八一年)をおける大隈重信の議会観は、彼の【参謀】と呼ばれた小野梓のそれに近かったのではないかと推測する。
小野梓は、歴史法学と功利主義の結節点として「交際上」の権利を見出した(大久保健晴「小野梓と法典編纂の時代」『日本思想史学』第42号)。
功利主義の構造上の難点として、幸福量を数値化してその最大化を図るために、誰がその計量の基準・手続を決めるかという問題が無視されていることである。
その計量の基準・手続を決めるためには、自国の歴史を参照するのが適切である(コモンロー思想)。
法と経済学を唱えコモンロー思想を攻撃した功利主義者のボズナーは、論敵に問い詰められて、その点についてはコモンローに頼るしかないと認めた。。
社会における権利の基盤はその社会の歴史に求めるのが適宜である。
さもなければ、権利をその社会において通用させるには言葉によらぬ手段(主に暴力)に頼らざるを得なくなる。
それでは、無秩序しか残らない。
小野は日本を国際社会に通用させるべく、近代的権利の基盤となる事象を日本の歴史の中に求めることに腐心した。
社会における絶え間のない対話の中で、権利は創生・維持・消滅されるのである。




