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第十四話 シスコンお兄ちゃん

 銀座の東京日日新聞の社屋内の福地の応接室に田辺次郎一が訪れた。

 次郎一は、眉秀で鼻高く、口もと尋常にして愛嬌と気品を兼ね備える。まだ満十六歳の若さというのに貴公子の佇まいがある。

 大隈の憲法意見書の件に、妹のたつ子だけでなく、兄の次郎一も関わってきた。

 細くしなやかな指。

「一つ、武太郎から大隈財務卿の憲法意見書を早急に取り上げる。

 二つ、その憲法意見書を井上外務卿に渡す。

 三つ、井上外務卿から大隈財務卿へ憲法意見書を返却。

 四つ、返却した上で武太郎を襲った書生を特定してもらう。

 最後、その書生の裏に清国の影がないかどうか徹底的に洗う」

「清国の影」

 東京日日新聞の主筆である福地桜痴はうなる。

「いや、そいつは、次郎一くん、いくら何でも、大げさにすぎないだろうか?」

「時節柄に」

 次郎一は溜め息をついた。

「念に念を入れての用心をするに越したことはありません。

 今、清国は━━少なくとも、清国の政治家のある種のグループは━━、わが国にその手の工作を仕掛けるべき理由を十分にもっております」

 次郎一の父(田辺太一)も義叔父(荒井郁之助)も明治政府の在清の現役外交官であり、昨年まで次郎一は上海に留学していた。

 日本と清国との国際情報戦の最前線に次郎一はいた。

 外務省関係者。

 頭の回転が他人よりも早く、なかなか簡単なことに騒いだりしない。

 むしろ、シニカルな冷笑家に受け取られやすい。

 次郎一が苛ついているのであれば、外交上の危険は現実的に存在しているのだろう。

 信じていい。

 小さな頃から彼のことを身近に見てきた福地は知っている。

「なるほど」

「帝国臣民として、心配になります。

 我が国の財務卿の屋敷に、敵国の密偵が入り込んで工作しているような事態があれば大変です。万が一の可能性も考慮して対処したい」

 ロジカル。

 昔から頭のいい子だったけど、今じゃ、コリャ化け物だ。

 立派になった、じろくん。

 月日がたつのは早いもんだネ、と福地のおじさんは思ってしまう。

 質問。

「武太郎くんの手から大隈財務卿の憲法意見書を取り上げるって、どうするつもりだ?」

 即答。

「急ぎの荒事が得意な口の堅く信用のおける者を遣います。痛い目に遭わせる。私も何枚か手札を持ち合わせております」

 冷酷の笑みを浮かべる。


 福地のおじさんは急に心配になった。

 年長者としての意見。

「たっちゃんが男の子を見てキレイキレイって騒いだことが、そんなに許せないことなの、シスコンお兄ちゃん?」


 次郎一は目をそらす。

 話題転換。

「どうか、私たちの絵図のため、何とか、外務卿(井上馨)とワタリをつけてもらえませんか?」

「井上さまは、伊豆の温泉で、まだ療養中だ」

 西南戦争後のインフレ対策。

 輸出振興によって円の価値を上げるという腹案を、当時の井上馨は主張していた。

 なかなか物事は簡単に運ばない。

 神経をやられて倒れてしまい、伊豆の温泉で休暇を取っている。

 それは次郎一も承知のはず。

「次善の策として、吾曹先生(福地桜痴)から大隈財務卿に話をすることはできますか?」

「そいつは無理な相談だ」

 と、福地。

 わからない、と次郎一は理由を説明を求めてきた。

「なぜ?」

「今、大隈さまの屋敷に俺は出入り禁止です。綾子夫人が俺のことを怒ってる」

 大隈綾子。

 潔癖症で、邸内にはちりひとつなく、家の中も鏡のように磨かれていた。

 賢妻の誉れ高く、「大隈を一人にすると失敗する」と言って常に大隈と同行した。

「何があったのですか?」

「ほら、綾子夫人、口うるさい、厳しい。アレでは大隈さまも息がお詰まりだ。それで、俺は、心配申し上げて、大隈さまの息抜きのための女を紹介しようとしたの」

「バレた?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 田辺の屋敷に一足先に戻った次郎一は、跡見塾(跡見女学校)からのたつ子の帰宅を待った。

 二人そろえば仲良く兄妹会議。

「やむを得ず」

 福地が大隈の屋敷に当面に出入りしないでくれと綾子刀自からペナルティを申し渡されていることを、次郎一は説明した。

「福地のおじさんが綾子さまから当面の出入り禁止を申し渡されたのはほんの一か月前の話らしいから、まだ当面と綾子さまのお考えになる期間は過ぎていないだろう」

「くわばらくわばら」

 雷除けの呪文。

 たつ子は肩をすくめる。

「下手に福地のおじさんの名前で動けば、こっちにまで綾子さまから雷が落ちそうだヨ、兄者」

 次郎一は言う。

「綾子さま、普段に口数少なく控えめであるが、あれは危ないって、福地のおじさんは言っていた」

「福地のおじさんが悪いのヨ」

「悪いのサ。

 福地のおじさんのつてが使えないとなると、ちょっとお手上げだな。大隈財務卿に直接にお会いするのは難しい」

「ええ」

 たつ子はあっさり同意する。それには、次郎一は驚いた。

「あきらめるつもりか、たつ子?」

「まさか」

 首を大きく横にたつ子は振る。

「あたしは、まったくもって、あきらめが悪いのです、兄者」

「知っておる、愚妹」

「まだ、あたしの手元には使える持ちカードがあります」

 たつ子は言った。

「ここはひとつ、あたしのつてを試してみましょう。

 この夏に、あたしが和歌を教授させていただいている広橋家の栄子さまが、伊太利イタリアにわたって、佐賀の殿さま、鍋島直大さまとご結婚なさいます。

 現在、ご婚約中。

 鍋島さまは、大隈重信さまの旧主でございます。

 明日、広橋さまの屋敷にうかがったとき、 栄子さまに事情を話してお力をお貸しいただけるようにお願いしますヨ。

 栄子さまからの直々のお声がかりとなれば、いくらあたしが小娘だろうと、大隈さまとて、あたしの頼みを粗略に扱われますまい」

 数えで十三歳(満十二才)になる生意気な小娘。

 才童たつ子。

 兄が一年前に香港に留学に行って少し目を離している間に、妹は日本で独自のコネクションを構築していた。



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