第十三話 夢想剣は畜生心の剣
剣術試合が終わった後も、出入りの帽子屋は大隈屋敷に顔を見せなかった。
その日の今日の注文ですぐに来いというのは、普通に無理な話だ。
しかし、客の大隈は明治政府の高官(財務卿)である。
最初に声をあげたのは、大隈綾子夫人である。
一言。
「帽子屋、遅くないですか?」
「遅いな」
アレは本当に腕のいい男だから吾輩は気に入っている、と大隈は言う。
「待つ値打ちはある」
軽く手をあわせて詫びる。
「すみませんな、蒼海先生」
「いえいえ、こちらこそそ飛び込みの無理なお願いをしてしまい、すまんこつです」
と、蒼海。
書生たちも騒ぎ出す。
「大隈先生は政府の高官ぞ」
「いくら何でも、大隈先生や蒼海先生に失礼であろう」
「他の仕事など全て放り出して駆けつけるべき」
「ただの帽子屋風情が思いあがっている」
「帽子屋は他にもおるぞ」
「馬を使わせてもらえれば、俺がひとっ走りする」
「これは拳骨モノだ」
そんな書生たちの顔の中から、弟子の久佐賀の顔を蒼海は見つけた。
声をかける。
「おい、満吉よ。どうした? その顔は何かずいぶん迷っとることがあるようじゃが」
久佐賀は驚いた。
「はい」
「話を聞く」
「おのれの気持ちがはっきりせんでも身体が勝手に動いてしまうことがありました。やはりそれは間違っとるのでしょうか?」
「夢想剣は畜生心の剣」
「やはり間違っとると?」
「狗子仏性」
蒼海の一つ一つの答えは短い。
そうこうしている間に、問題の帽子屋がやって来た。
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大隈と蒼海が帽子屋とともに別室に去ると、久佐賀は書生たちに囲まれた。
「今のユー(君)とマスター蒼海先生とのカンバセーション(会話)は何だ?」
と英語まじりで聞いてきたのは、帝国大学の角帽をかぶった男だ。
「マイネームイズ早苗、高田早苗、帝大の高田。近頃はテーチャー小野先生をリスペクト(尊敬)している」
高田早苗。
、安政七年(一八六〇年)生まれ。
第二次大隈重信内閣における文部大臣。
その美貌と知略から【改進党の張子房】と謳われた。
久佐賀は言う。
「俺が、
┅┅自分の気持ちもわからないまま大変なことをしでかすことがある。
と師匠に相談したら、
┅┅何も考えず素早く他者を討つのは、獣の強さ。それだけでは人の強さとして十分ではない。とはいえ、獣であることの中に、人にとって必要なこともある。いちいち自分の気持ちをはっきりさせることばかりこだわっていたら、間に合うものも間に合わんようになることも多い。それでも、間に合わせることのみに振り回されるような窮屈な生き方をしてはならん。
というようなことを言われました」
「リアリー?(本当?)」
「いや、多分、さっき師匠から言われたのはそういう意味ではないかな、と。俺も完全にわかっとる自信はありません」
「ジャパニーズ・ゼン(禅問答)」
「禅ですよ。
二年前ぐらい、阿蘇の山寺におった頃、俺はあの人に禅を教わっとったけれども、いつも、あんな調子じゃったです」
「アメージング(驚いた)」
そして、高田はとんでもないことを口に出す。
「テーチャー小野先生が、ミスター久佐賀のことを【ポルノブックマスター(エロ本の専門家)】とか言うから、よほどクレイジーボーイ(頭のおかしい子ども)かとミー(僕)はイメージング(想像)していた」
少しあわてた様子の声が響く。
「高田め!」
別の書生たちと会話していた小野が、それを強引に打ち切って、高田と久佐賀の会話に加わる。
「そんな話を当の久佐賀くん本人の前でする奴があるか! 酒の上の冗談じゃ」
「テーチャー小野先生」
すばやく高田は話題を切り替える。
「先ほどのマスター蒼海先生との試合、エクセレント(素晴らしい)! テーチャー小野先生は剣も相当のソードマスター(剣士)ですね」
「よさぬか」
持ち上げられて小野は迷惑顔。
「蒼海先生は本職じゃ。最初のわしの小手なんぞ、明らかに蒼海先生がわしに花を持たせてくれただけじゃ」
技ではない。
技を超えた心の部分で小野梓は強い。
うまく久佐賀は言えない。
「小野さんにならば花を持たせてもかまわない。花を持たせたくなる。師匠をそのように思わせたゆうことが普通ではないと。師匠はなかなか他人に花を持たせる人ではございません」
「偏屈な方かね、あの人は?」
「最初の水木さんとの試合なんぞ、殺しかねない勢いだったのでは?」
ハハハ。
高田は笑う。
「ハイパー(超越的)なビクトリー(勝利)をゲット(獲得)するためには、まずエネミー(敵)を怒らせてそのジャッジメント(判断)を狂わせるのがセオリー(常道)ね。
そうは言っても、さっきのミスター水木、やり過ぎデス(死)。あれはミー(僕)がマスター蒼海先生のポジション(立場)でも、ミスター水木をキル(斬殺)キル(斬殺)したくなっていましたね」
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小野からの質問。
「なぜ、蒼海先生ほどの人物が、政府に出仕せなんだのじゃ?」
少し久佐賀は迷う。
言うべきか言わざるべきか。
隠すほどのことはあるまい。
「師匠は語りたがらんのですが、私が師匠に山奥の寺で剣や漢籍を教わっていた時に、その寺におった寺男の熊三郎から詳しい話を聞きました。
熊三郎の元々の身の上は、例の事件で、師匠と一緒に居合わせとった従者でして。事件の話をされるのは、師匠は嫌がっとるようなので、できるだけご内密に」
「わかった」
と、小野うなずいた。
蒼海が明治政府への出仕を断念した理由。
久佐賀の話。
「あの事件の時に、師匠が斬ったのは三人だったそうです。馬車に押し入ってくる者をひとり捕まえて殴りつけて、馬車から飛び出しながら斬った。
驚いて立ちすくんでいる者を斬り、逃げ出した者を追いかけて一人斬った。
それで、逃げ遅れた一人が拳銃ば投げ捨てて、熊三郎に土下座して生命乞いしたそうなのです。
師匠は逃げた者を追いかけよっとでした。
そいつのことをかわいそうだと熊三郎は思うた。
けれども、ひょいひょい簡単に人を斬る師匠を見よったら、これは一人ぐらい自分も殺しておかんと危ない、戻ってきた師匠に叱られて自分も殺される、と熊三郎は思ったそうです。
おかしい?
そんだけ師匠が怖う見えたゆう話で。
でもって、熊三郎は自分の刀を抜いて、そいつに、何度も刀で斬りつけて殺してしまいよりました。
熊三郎は、それまで一度も人を殺したことがなかったから、ほんなこつ嫌やったそうで。堪忍堪忍ゆうて泣きながら刀を振るうたそうです。
師匠が戻ってきたとき、師匠に話をしたら、熊三郎はさんざんぶん殴られた。お前は本当にやってはいけないことをやった、と。
おのれの気持ちもはっきりせんうちに殺すな。
殺された奴は誰のところに化けて出たらわからん。
間違うとる。
自分の従者にそういうことをさせたのは、自分に足らんだったところがあるからと言うて、それば考ゆるために、師匠は頭を丸めて仏門に入ることをご決意なさったと。
熊三郎は出家まではせなんだものの、師匠につき従わなけばいけない思うて、師匠の入った寺の寺男になったとか」
むむむ。
話を聞き終えて小野は唸る。
「なるほど、おのれを慙じよってしもうたのじゃな、蒼海先生は」
「慙じる」
「本当にやってはいけないと思うことをした時には、二度と同じ過ちを繰り返さないためには、自分がそれをやったのは無理からぬところであるとする【当然の理由】を見つけなければならない。
そいつを見つけておいて、その【当然の理由】が生じてしまう状況を事前にいかに避ける工夫を工夫を重ねる。それをしない者は、何度でも同じ過ちを繰り返しよる」
「はい」
「自分の心を切り刻んで、その【当然の理由】を探す。そういう時には、心を斬ると書いて、慙じる、という字を使う」




