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クロノマン  作者: 蛙の介
9/12

九 遅刻

 窓の外を忙しなく流れる景色が、逆に眠気を誘う。ハンドルのない車内は外見以上に広く、ゆったりとした空間となっていた。

 アキラが乗る格安タクシーは大通りを音もなく走行していた。同じ街中でも、ブラスト騒ぎがあった広場のあたりとは随分と異なった雰囲気に包まれている。あちらがショッピングモールなど華やかさの中にあったのとは対照的に、ここは冷たい色のビル群が、背比べでもするかの如く、高く、そして隙間なく並び立つ。

 その中にあって、他のビル群から文字通り頭一つ抜けた建物の前で、タクシーが停車した。高さだけでなく、花びらが天に向かって開いたような、独創的な外見で周囲とは一線を画すその建物は、ガラスに一片の曇りもなく、月明かりを浴びて美しく輝いていた。

 アキラがブレインキューブを車内のパネルにかざすと、それまで頑として動かなかった扉が優しく開く。タクシーから降りながら、首を真上に傾けてビルを見上げるアキラに、ライトの母親が駆け寄りながら話しかけた。

「あら?お一人ですか?」

「いえ、2人は後から来ます。なんでもカズキ・・・森教授に総理から急な電話が入ったとかで、その仕事を片付けてから来ると。なるべく早く終わらせるために、ハルも手伝ってるんです。折角お誘い頂いたのに、すみません・・・」

「そうですか。では先に、中に入っていましょうか」

 ライトの母は少し残念そうな顔をしたが、すぐに立ち直って、アキラをビルの中へと案内した。

「それにしても凄いですね、この建物。僕なんて、腰を抜かしそうになりましたよ」

「この辺りに来られるのは初めてですか?たしかに凄いですよね、一企業がこんな立派なものを作ってしまうんだから。”三堀産業”なんて、15年くらい前にはまだ誰も知らないくらいの会社だったのに。今じゃ国からも支援されて色々やってるんですよね」

 三堀産業?確かそれは、アキラの父トーマの研究に興味を示していたという企業ではなかったか・・・

「でも、なんでこんな会社のビルに?お食事をするって話では・・・」

「ふふ、ここの一階から三階はレストランになっているそうで、安くて美味しいって評判なんです。お礼をするのに”安くて”美味しい所にお連れするのもなんですけど・・・実は知り合いに聞いてから気になってまして、その、来たかったのは私なんです」

 ライトの母は、少し悪戯っぽいような笑顔で説明した。その表情はどこか子供っぽさすらあり、そしてうっすらと凹んだえくぼが、息子のそれそっくりだった。

 店内は、広々としていて居心地がよく、高級レストランのような雰囲気が漂っていた。もっともテーブルに直接表示されたメニューには、話に聞いたとおり、庶民にも払いやすい金額が記載されている。

「どうしましょう?森先生たちはどのくらいで来られますかね?待ってた方がいいのかしら」

「えぇー、ぼくもうお腹すいちゃったのに。まだ待つのー?」

 ライトが椅子の上で脚をばたつかせて言う。時刻はすでに8時を回っており、これ以上空腹に耐えるのは子供には酷だろう。何より、アキラの胃も食べ物を求めて呻きを上げはじめていた。

「2人はそのうち来ますから。無視して食べちゃいましょう」

「そ、そうですか?では・・・。遠慮なさらず、どれでも好きなものを食べて下さい。こんな所に連れてきておいてなんですけど、うち、それなりにお金あるんです」

 そう言って、ライト親子は二人揃って一番高額なコースを選ぶ。アキラも、同じものを頼もうかと思ったものの、少し気が引けて二番目に高価なものにすることにした。

 ショッピングモールのフードコートとは違い、ここでは注文は機械でするらしい。ライトがテーブルにブレインキューブを置き、軽くタップすると、数多のメニューが表示される。慣れた手つきで3人のメニューを選択し、待つ事数分。精巧に作られたロボットが次々と料理を運んで来る。食べ終わった皿は積み上がる前に素早く回収され、絶品と言うべき料理を心置きなく楽しむ事が出来た。

「技術の進歩ってやつは素晴らしいですね、これでは人間の仕事なんていつなくなるか」

 運ばれてきたばかりの海老のボイルを口に運びながら、アキラが声を漏らした。

「こんなの随分前からあるのに、変なこと言うね。お兄ちゃん、お爺ちゃんみたい!それにこんな仕事なんて、人間がわざわざやることのが珍しいじゃんか」

 ライトは不思議そうに答える。

「まぁ、僕は人がやってくれるとこのが好きだけどね。僕小さい時にあいつらに怪我させられたから、あんま好きになれないんだ。でも人間がやってくれる所は高級だから、普段は行けないし、こうゆう所で我慢さ」

 息子の言葉に、ライトの母が苦笑しながら返す。

「値段が5倍もするんだもの。よっぽどのお金持ちじゃないと無理よ」


 デザートが終わり、寂しくなったテーブルの上に紅茶が3つだけ席を構える。先程まで忙しなく食事を口に運んでいたのが嘘のように、ゆったりとした時間を、3人は満喫していた。

「ハルたち遅いな・・・もう食べ終わっちゃったっていうのに」

 アキラは時計を見ながらぼそりと呟く。

「ここ、よろしいですかな?」

 と、不意に背後から声がした。その声に3人ともが同時に振り返ると、そこには長い白衣を纏った男が立っていた。その顔はニホン人にしてはあまりに彫りが深く、眼鏡の奥の瞳は青味がかっている。

「私は昔、あなたのご主人に世話になった者でね。ここで研究者をしている、鬼頭=ジェームズ=バーグという。ご主人に、あなたの写真を見せながら美人だろと自慢されましてね。一度お会いしたいと思っていたよ。しかし、実物の方がずっと美しい。あの筋肉男には勿体ない」

 そう言いながら男は、誰も答えていないのにも関わらず既に席に着き、勝手にライトの紅茶を飲み干した。足を組み、肘をついた腕に預けた顔は、大きく裂けた口がいやらしい笑顔を作っていた。

「それはどうも、主人からは何も聞いていなくて・・・すみません」

 男の態度に対し不信感を覚えたのか、ライトの母もとびっきりの作り笑いであしらう。

「そうか、まぁ2度ほど会っただけだから、仕方ないかもしれんがね。ご主人は最近どうしておられますかな」

 顔の上のニヤニヤを抑える事なく、男は会話を続けた。ライト親子は明らかに嫌そうな顔をしていたが、お構いなしだ。

「ここ最近、主人は帰っておりませんので、何とも・・・」

 息子の方をチラチラと見ながら答える顔には悲壮の色が見える。しかし男はそれすらも楽しんだように、より一層言葉数を増やし始めた。

「しかしね奥さん、結局、ご主人のように体ばかり鍛えたところで、頭を鍛えた者には敵わないのだよ。そうは思わないか?ところが最近は、そのあたりが軽く見られている気がする。若い者たちなど、研究はロボットとAIが勝手にやってると思っているからね。実に残念なことだ」

 今や、ライトは母親にこれでもかというほど体を寄せ、男とは決して目を合わせないよう努力しているようだった。宙に浮いた脚を細かく動かして、この場から立ち去りたい気持ちを露わにしている。しかし男は話をやめない。

「人間とは、つまるところ脳なのだ。脳が我々を人間たらしめている訳で、脳を使わぬ者たちなどもはや人間とは・・・」

「あの」

 意気揚々と話し続ける男を、アキラが遮った。男は張り付いた笑顔そのままに、それまでの何倍も低い声で答える。

「何だね、君は」

「あなた一体、何の目的でここへ?僕らに何か用でも?」

 怯まず返すアキラに、男の鼻息が荒くなる。

「なに、私も人を待っていてね。暇潰しに声をかけたまでだ。そのくらい構うまい。君は冷たい人間だな」

 男の冷たい声が、辺りを凍り付かせた。その空気に満足したのか、再び気を良くした男は、また顔に張り付く様な笑みを浮かべた。

「まぁいい。楽しいティータイムもそろそろお開きにしよう。彼も準備ができたようだ。私の友人を紹介して差し上げよう」

 男はそう言って、今まで袖に隠れていた右腕を突き出した。現れた義手の不気味な輝きに、視線を奪われる。瞬間、辺りは耳を突き刺すような轟音と、高く舞い上がった爆風に包まれた。

「きゃーー!!」

 あちらこちらから響く悲鳴。目の前の光景は一瞬にして崩れ、美しかったビルは見る影もない。逃げ惑う人々。高層にいた者達は我先にと避難口へと走る。地獄絵図のごとき情景の中、ただ一人笑みを浮かべる鬼頭の視線は、ビルの壁に空いた巨大な穴へと向けられていた。

 立ち昇る砂煙。そこに映る黒い影。一歩一歩、踏みしめるように悠然と歩くその姿は紛れもなく、一月半前に広場を襲撃した男その人であった。しかし、彼に対してライトの漏らした声に、アキラは自らの耳を疑った。

「パパ・・・」

 それは、街を破壊し人々を傷つける怪物に向けられるべき言葉とは、到底思えないものだった。もっとも今のアキラには、その事に意識を割くだけの余裕は与えられていなかった。アキラ達3人に、突き出された男の左腕から発射されたプラズマ玉が襲いかかる。その攻撃に身体を貫かれるより一瞬早く、アキラは覆いかぶさるようにして、ライト親子をしゃがませた。代わりに粉砕された壁が新たな土煙を上げ、3人の姿を僅かな間隠してくれる。その隙に、アキラ達は物陰に移動した。

「パパって、どういう事だい?ライト君」

 アキラの問いに答えたのは、ライト本人ではなく母親だった。

「彼は、世間でブラストと呼ばれているあの人は、私の夫であり、この子の父親です。姿形は変わっても、あの人を見間違えるはずがありません」

 彼女は信じられないという様子だった。その声は、恐怖と哀しみで細かく震えていたが、彼女は構わず続けた。

「彼は、国家自衛軍の対テロ特殊部隊の隊長でした。3ヶ月前、彼はラグナロク自治区にあるNEVERという組織の基地に潛入する任務につきました・・・しかし、そこで部隊は大打撃を受けて、彼の消息は分からなくなってしまった。それが・・・何でこんな事に・・・。

 彼は正義のために戦ってきた、この国の人々を守り、平和を守るために・・・誰かを傷つける事は彼にとって、死よりも辛いことのはずです」

 目に涙を浮かべ、抱き合う家族に向けて、ブラストは何のためらいもなしにその左腕を突き出す。横に立つ鬼頭が、嬉々として叫んだ。

「まさか今の攻撃をかわすとは、思いもよらなかったが、次はそうはいかん。我々にはこれからやる事があるのでね。さっさと死んでくれたまえ、目障りだ」

 その言葉が終わると同時に、ブラストの左腕からプラズマ球が発射される。今までのどれよりも速く動くそれは、しかし3人にとっては停止して見えた。いや、3人の動くスピードの方が、遥かに速いのだ。驚くライト親子とアキラの身体には、タイムチューナーが取り付けられている。

「説明は後で・・・まずはここから離れなくては!」

 アキラの指示で、3人はブラストから距離を取り、瓦礫の陰に身を隠した。標的を見失ったプラズマ球は、そのまま瓦礫の山に衝突し、爆発する。

「一瞬で、消えただと・・・?」

 突如姿を消した3人に戸惑いの色を隠せない鬼頭を確認し、アキラはライト親子からタイムチューナーを回収した。

「い、今のは・・・?」

 ライト親子は身を寄せ合いながら、アキラの言葉を待った。アキラは自分に付いていたタイムチューナーを外し、ライト親子に見せながら説明を加えた。

「これは、僕の父が開発したものです。これを使えば時間の進み方を早くしたり遅くしたりできるんです。これを彼に付けることが出来れば・・・彼を傷つける事なく止められるかもしれません」

「けれどそんな、あなたが危険です!」

「大丈夫、僕が着ているこの服は、身体機能を向上させて、身体も守ってくれます。

 僕が鬼頭の気を引きつけます。お二人はその隙に、ここから逃げて下さい」

「お兄ちゃん、パパを、パパを助けて」

 ライトはアキラの手を握り、強く懇願した。その、純粋で、真っ直ぐな目が、アキラの心を突き刺す。しかしライトのその目に涙はない。変わり果てた父の姿を眼前にしてなお強くあろうとする少年に、アキラは少しかがんでその頭に手を乗せ、笑いかけた。

「あぁ、パパの事は僕に任せて。君はママを守るんだ、いいね」

 ライトは小さくこくりと頷いて、母親の手をぎゅっと握った。アキラは、キョロキョロと辺りを見回す鬼頭の前に、ゆっくりと歩み出る。目の端で、ライトが母の手を引き、走り去るのを見届けた。

「確か君は、前も私の邪魔をしてくれたね。これは面白い。更なる進化を遂げた私のブラストで、あの時の借り、返してやろう」

 鬼頭は笑顔すら見せながら、両手を広げ、その声を響かせる。アキラは腰を落として低く構え、鬼頭に悟られぬよう、慎重にブラストに狙いを定めた。左腕のリングから、タイムチューナーを発射させようとした、その時だった。

 ブラストはアキラとの距離を一瞬で縮めると、その鋼鉄の腕で、構えたアキラの左腕を固く掴んだ。そしてそのまま砲丸投げの要領で、アキラの身体を壁に向かって放り投げた。

 放られたアキラの身体は、ビルの壁を突き破り、そのまま外へと投げ出される。空はすでに、騒動を聞きつけたマスコミによって放たれた自律型カメラで埋め尽くされていた。彼らが映すのは、大きく開いたビルの壁から歩み出て来た、異形の男の、その手元。そこから作り出されたプラズマ球はしかし、これまでとは違い、ブラストの手元から10メートルほどの距離にまで円柱状に伸びる。と、ビルの外に出てきたブラストが突然自らの身体を独楽のように勢いよく回転させた。それにつられるように大きな弧を描いて廻るプラズマ柱。まるで巨大な刃のように、あたりのビル群を一瞬にして巨大な灰色の山へと変化させてしまった。

 現場に駆けつけた救急隊が、怪我人を運び出す。ようやく起き上がったアキラは、その光景に絶望した。何という凄惨な現場なのか。誰よりも国民の為に戦い、感謝されるべき男が、今その意に反し、国民を傷つけ、そして彼らに恨まれている。その皮肉に耐えられないと思った。

「これ以上、私の邪魔はさせんぞ」

 突如、ブラストがアキラに話しかけた。その温かみのある声とは裏腹に、黒い悪意に満ちている。それは間違いなく、鬼頭のそれだった。

「自分は騒ぎに乗じて姿を隠し、ブラストを遠距離で操って、街を破壊するつもりか・・・なんてクズな奴だ」

 アキラは独り言のように下へと呟くと、そのままブラストに向かって一直線に走り出した。

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