12.彼女と触れ合うコタツの中は熱い
しん、と静まり返った薄暗い居間。ドクドクと心臓の強い音を感じる。コタツの中よりも体が熱い。
少し横から見下ろせば、彼女が少し苦しそうに呼吸をしていた。当然だ、強引にキスをしたから。はぁはぁ、と漏れる息遣いが耳を通ると体が快感でゾクリと震えた。
常夜灯だけがあかりの表情を照らす。眉を寄せ、潤んだ目で見上げてくる。顔は困惑しているのに、眼差しは熱を帯びていた。
熱に犯される思考は単純になる。内に潜んでいた独善で暴力的な欲求に塗り替えられそうだ。
肩を掴む手に力がこもっていく。
「いっ、痛い」
「……あっ」
あかりの辛そうに歪む顔を見て、ハッと我に返る。何をしようとしていたんだ?
急激に思考が働き出して、やろうとしていたことを理解する。嫌悪感が沸き上がり、自分を殴りたい衝動にかられた。
現実から逃げ出すように、恐る恐る手を離す。
「ご、ごめん……」
「ううん、私の方こそ」
気まずい空気が流れて、身動きするだけでも緊張した。余計に自己嫌悪に陥り、焦り、居た堪れなくなる。逃げ出したくなる衝動を歯を食いしばって耐えた。
それでも、言わないといけない思いがある。
「俺、あかりが何と言おうとも……この気持ちは変わらないから」
伝えたかった言葉を絞り出せた。
大切にしたい気持ち、汚してしまいたい気持ち。ごちゃごちゃに混ざり合って、自棄になりそうだ。
楽になりたい、ここは踏ん張れ。いつまで経っても葛藤が終わらない。苦しくて辛い。
ため息を押し殺し、現実逃避に反対側を向こうとした時――――肩を掴んでいた手を握られる。
ドキッとして、息が詰まった。
自然と視線があかりに向く。
困っているのか嬉しいのか分からない、複雑な表情をしていた。
「気持ちは嬉しかったです。でも、ごめんなさい。その、まだ……」
「いや、うん。そうだよな、ごめん」
「ううん。私こそ、さとるの優しさに甘えてしまいました」
しゅん、と悲しく目を細めた。握られている手に力が入り、弱弱しく震えていた。
優しさに甘えていた?
いつ優しくしていたんだ?
傷つけようとしていたのに?
拒絶されたショックよりも、疑問が頭の中を支配する。考えても、答えが分からない。疑問が大きくなり、口から出ていく。
「俺が優しい?」
「……なんでも話を聞いてくれるところ、です。だからつい、話したくなってしまうんです」
「話し? あかりのことだったから、気になって聞いてっ――いてぇっ!」
握られていた手に爪を立てらた。ガリッと引っ掛けられて、痛みが強くなる。とっさにその手を掴んだ。
「いててっ、何するんだよ」
少し睨んでやる。仕返しに手に力でも入れてやろうか。だが、表情を見て思いとどまった。
なぜか不機嫌そうに眉を寄せて、唇を尖らせている。逸らされていた視線がゆっくりと俺を見た。
「その優しさがずるいです」
強い眼差しにドキッとして、怒りなんて吹き飛んでしまった。すると、疑問だけが情けなく残る。
「いや、あー……なんで?」
「……もう怒る気なくなりました」
「はっ、いやいや。優しい理由を教えてくれよ」
「嫌です」
ふくれっ面をして頑なに教えてくれない。素のあかりになっても、頑固なところは変わらなかった。それが少し嬉しく思ったりもする。
早く諦めたいが、どうしても気になってしまう。手を擦っても反応はない。頬をつついても反応はない。
鼻を押すと、ようやく手を払われた。顔はやっぱりまだ不貞腐れている。俺に聞こえるようにため息を吐いた。
「無自覚とはこんなにも罪深いんですね」
「どんな罪か分からないから懺悔しようもないな」
俺もわざとらしくため息を吐いて真似してみた。少しふざけた態度が良かったのか、あかりの表情が柔らかくなる。
チラッと目線を向けて、口が戸惑いながらも開く。
「自分に自信がなくて、姉の話題で逃げていました。でも、さとるは私だけを見ていてくれました」
「それが優しいのか?」
「はい」
うん、分からない。そんな言葉を呑み込んで、そう思うことにした。
張り詰めていた空気が穏やかに変わる。あかりの顔からも緊張は消えた。あぁ、良かったな。内心安堵すると口が軽くなる。
「あかりって自分に自信なかったんだな。全然そうは見えなかった」
「そ、そこをぶり返しますか?」
「知らなかった部分に興味がある。っというか、高校生から以前の話が聞きたい」
まだ俺の知らないあかりがいるようだ。期待を込めて見つめてみた。
最初は眉間にしわを寄せて難しい顔をする。が、すぐに柔らかくなった。優しく目を細め、微笑みを浮かべる。
薄く開いた口にわざとらしく人差し指を置く。
「今は秘密です」
ふんわりと微笑まれると見惚れてしまう。心地いい鼓動がトクンと鳴り、胸が温かくなっていった。
好きの気持ちはわがままだ。
大切にしたいのに、傷つけたいとも思ってしまう。たった一人の存在で翻弄させられて葛藤で苦しんでも、気持ちは変わらない。むしろ大きくなっている。
だから、ちょっと仕返しに意地悪したくなってもいいよな。
「あかり」
名を呼んで、体を寄せる。吐息がかかるほど近づくと、驚きで目が見開かれた。ゆっくりと手を伸ばして、触りたかった髪を触る。
「ちょっと急にっ……」
顔を覗き見れば、恥ずかしげに目をギュッとつぶっていた。サラサラの髪を指で梳けば、滑らかな感触で鳥肌が立ちそうだ。
「おー、すげぇ。触りたかったんだよな」
「うぅっ。も、もう離してください」
「やだね。だって、もういいんだろ? だったら好きに触らせてくれよ」
「あれはっ、そういう意味ではなくてですね」
髪の毛をサラサラと弄んでいたら、胸をぐっと押されてしまう。抵抗されているのに、なぜか顔が二ヤついてしまうのはなぜだろうか。
止めさせるために、腕を伸ばして抱き寄せた。ビクリとあかりの体が跳ねるが、抵抗はない。腕に力を込めれば、体は密着した。
体温と鼓動、匂いと息遣い。身近で感じると堪らなくなる。だから、もうちょっとだけいいよな。
体を離して、顔を覗き込む。熱い眼差しを向けられて、期待されていると思ってしまう。
「それじゃ、仲直りのキスで」
「えっ、あの……もう仲直りしたのでは?」
「こういうのは〆が肝心だ。煮込んだ鍋のように」
戸惑うあかりに軽く冗談を言った。はじめはキョトンとした表情だったが、プッと噴き出して笑い出す。
「あははっ、鍋って……可笑しいっ」
「くたくたになるまで煮込んだ鍋の〆、美味しかっただろ?」
ずっと見ていたくなる笑顔に、少しずつ熱が高まっていく。冗談を交えつつ、手で優しく頬を撫でてみた。それだけで気持ちがいい。
笑い終えたあかりが柔らかく微笑む。細めた目は優しくも、どこか熱い。熱に心を惹かれてしまう。
「じゃあ、もう少し煮込んでから〆てください」
「甘いな。〆を煮込んだから、あんなに美味しかっただろ?」
話しに乗ってきて、楽しくなった。いつのまにか自然と顔が綻んで、距離を縮めていく。こつん、と額を合わせる。
あかりの手が俺の頬にそっと寄せられた。高鳴っていく鼓動は苦しくない、初めての感覚だ。癖になる気持ち良さ。
吐息に混じる甘い声が聞こえてくる。
「焦がして、苦い思いをさせないでくださいね」
「もちろん。丁寧にじっくり、弱火で煮込むから。くたくたにする」
「それはちょっと困ります」
話しのネタを引っ張ると、控えめにあかりが笑う。お互いに引かれ合って、鼻先が触れ合った。もう戻せない。
「もう一度、好きにさせるから」
「私も、今以上に好きにさせます」
見つめ合うだけで溶けてしまいそうな熱だ。
お互いに微笑んで、目を薄める。
優しく触れ合い、気持ちを確かめ合っていく。
それだけで、今までの葛藤の苦しみが全て消え去った。




