13.彼女と寝過ごした朝
喉の渇きが痛くて目が覚めた。
次に感じるのは腕の中にある、温かさと柔らかさ。重いまぶたを開けると、スゥスゥと寝ている彼女が見えた。
あぁ、可愛い。
寝ぼけた頭でもあかりの可愛さが分かる。カーテンの隙間からわずかに射す日差しを頼りに、ボーッと寝顔を観察する。
閉じられた目には長いまつげ。形の整った小さな鼻。薄く開いた口。こういう形をしているんだな、と確認して満足する。
さらりとした髪が頬にかかって邪魔だ。指先でまとめて耳にかけてやると、白い頬が見えた。
滑らかそうだ、触ったら気持ちよさそう。自然と手が伸びて撫でてみる。あの時と同じく滑らかな感触で、癖になりそうだ。
「……うぅん」
あかりが身じろぎして、ドキッとした。手を離すと、まぶたがゆっくりと開いていく。薄茶色の目が俺を見た。
「あかり、おはよう」
「あっ」
声をかけると目を見開く。俺をじっと見つめたまま動かなくなってしまった。しばらく待ってみたが、全然反応してくれない。
「あかり?」
「えっ、あっ。おっ、おはよう、ございますぅ……」
ビクッと跳ねると、慌てた様子で返事をした。落ち着きがなく、目を泳がす。そして、赤く染まり出す頬。チラッと目線を合わせてくる。
「も、もしかして……寝顔みちゃいました?」
「みちゃいました」
「へ、変な顔してませんでした?」
「可愛いかったです」
「ううぅっ」
両手で顔を覆って、体を揺らして身悶えを始めた。
そんな姿を見て、俺の方こそ身悶えしたくなった。うなり声まで可愛く聞こえるから、末期かもしれない。でも、そんなことでは動揺はしなくなった。気持ちを確かめ合うと、心の持ちようが違うようだ。
あかりの動きがピタリと止まる。顔を覆っていた両手を下げて、目だけを出す。ジト目で睨まれた。
「……卑怯です。私にも見せてください」
「もう起きてますが、何か?」
ニヤニヤ笑いながら言い返してみた。どんな反応をしてくれるか、考えるだけでワクワクしてしまう。
少し怒ったように眉を寄せて、手を離した。染まった赤い頬が可愛いなって思う。
「ずるいずるい、ずるいですっ」
「なんならもう一泊してもいいぞ」
「そっ、そういうのは……えっと」
意表を突かれたんだろう、言葉を詰まらせた。いつもの俺を見ているかのようだ、これは立場が逆転したな。見ているだけで愉快で楽しい。
「すぐに断らないんだ」
「もうっ、からかわないでください!」
「普段あかりが俺にしていることだろ? 随分と楽しそうにしてたけど、その通りだな」
ぶすっと頬を膨らませたと思ったら、俺の言葉で頬がしぼんでいく。気まずさに視線を逸らし、苦笑いを浮かべた。
「あれはー、そのー……じゃれ合いってことにしませんか?」
「なら、俺もじゃれ合うな」
あかりがてへっ、とわざとらしく笑う。が、それは攻めるきっかけだ。俺はニヤッと笑い、両手であかりの頬を包み込む。戸惑う表情を見ながら、全力でこねる。
「うりゃうりゃうりゃ」
「ううぅぅっ」
変顔が量産されていく。手のひらで感じる頬の柔らかさが気持ちよくて、癖になりそうだ。自然な触れ合いに心が躍る。
一通り遊び尽くしてから手を離した。ぶすっと不機嫌な顔をするが、満更でもなさそうだ。だから、今までのことをぶり返して言ってやる。
「じゃれ合うのもいいだろ?」
「うぅっ」
頬を擦りながら恨めしそうに睨まれた。胸がスッとしたのに、頬の感触が手のひらに残っていてもどかしい。朝から強く意識してしまって、少し辛い。
熱を忘れるため、体を起こしてテーブルにあったスマホを手にする。ボタンを押して表示された時間を見て、息が止まった。午前十時二分だ。
あかりのバイトは昼シフト。ふっと浮かんだ言葉に頭を抱えた。
「やばいぞ、完全に寝過ごした」
「えっ」
「ほら」
「あっ。あーーーっ!!」
スマホの画面を見せると、あかりの驚愕した声が響く。重い沈黙の中、ゆっくりとお互いの目線を合わせた。
「い、急げ!」
「アラーム、かけ忘れてましたーっ!」
慌ててコタツから這い出る。カーテンを開けて、居間を日差しで明るくした。昨日テーブルの上は綺麗にしておいたが、床にあかりの私物が散乱している。
「俺が荷物まとめるから、あかりは身支度だけに集中しろ!」
「あ、ありがとうございますっ!」
四つん這いになり、散乱した私物を急いでかき集める。白いトートバッグを掴んで、中に放り込んだ――――その時。
「あぁーー!!」
「どうした!?」
悲鳴のような声が聞こえて、驚いて見上げた。ダボダボの紺色スウェット姿のあかりが困った顔をして見てくる。悪い予感がして、緊張が走った。
「ソシャゲのデイリー、消化してませんっ」
「うっ……今日はデイリーだけを消化する日にすればいい」
「そろそろ新しいアイテムと交換できそうだったんですが。回復した一日分の活動力が勿体ないです……」
考えないようにしていたことに追い打ちをかけられ、胸が痛む。動揺して目を泳がせるあかりを見ると、スマホに手が伸びそうになった。
拳を作り、固く握る。
「……課金だ、働いた金がある」
「そ、そうですね。頑張って働けば、課金で補えます」
なんとか踏み止まり、ソシャゲの存在を一旦忘れることにした。
あかりは自分の服をかき集めて、台所に向かった。カーテンに手をかけたのを見て、あることを思い出す。
「シャワーとか大丈夫か?」
「もう時間がないです。ライフラインが全部止まった修羅場を乗り越えてますから、私は大丈夫です」
自信満々で誇らしげな顔をして強く頷いた。だが俺は頭を殴られたような衝撃を受ける。こんな忙しい時にふつふつとした怒りが沸き上がってきた。
「マジかよ! 初耳だぞ、なんで言わなかった!?」
「ま、まだ出会う前ですからー!」
カーテンをシャーッと閉じて逃げてしまった。問い詰めたい衝動をぐっと堪える。忘れ物がないように、コタツの布団をめくって中を確認した。
◇
あかりの私物を白いトートバッグに詰め終わると、ようやく着替え始める。衣装ケースから適当に服を取り、スウェットを脱ぎ去り、乱暴に服を着た。
昨日と同じモスグリーンのダッフルコートを上に羽織ると、カーテンが開く音が聞こえる。
「あーもうっ、タイツのバカーッ。時間かかりました」
手ぐしで髪を整えながら、愚痴を零して台所から出てきた。昨日と同じピンクベージュのニットセーターに、パープルブルーのフレアスカートを着ている。残念ならがら黒いタイツもだ。
「履かなければいい」
「こんな時にやめてください!」
つい思っていたことを零してしまい、あかりを怒らせてしまった。ムスッと顔を歪めて睨まれているのに、可愛いと感じる。
気持ちを確かめ合うと心に余裕が生まれ、妙な自信がついたようだ。でも、本当に怒らせた時のことを考えると怖い。
ダッフルコートのボタンを閉じている時、あかりが声を上げる。
「あっ、ネックレス!」
ふと顔を向けると、不安げな表情をして胸元に手を置いていた。首から下げていないのに、花飾りを確認しているように見える。
「大丈夫だ、トートバッグの内側ポケットに入れておいた」
「うぅ、ありがとうございます。あれがないと、落ち着かないんです」
不安げな表情が和らいだ。ホッとして蕩けた笑顔になって、一瞬で魅了される。トクンと鼓動がなって、体が熱くなった。
表情と言葉に翻弄されてしまう。俺のからかいが幼稚に思えてしまうほどだ。あかりを前にすると、敵わないと心から思う。
ネックレス、本当に気に入ってくれたんだな。心に嬉しさと温かさが広がり、顏が自然と綻んだ。
ダッフルコートのボタンを閉じる。自分のショルダーバッグを背負い、あかりの白いトートバッグを拾い上げた。
「バッグ持ってやるから、急いで出るぞ」
「はいっ!」
振り向くと着替えは終わっていた。チャコールグレーのコートの上には、赤い生地に黒と青のタータンチェック柄のマフラー。昨日と同じ格好だ。
急いで巻いたせいかマフラーの形が少し変。長めのストレートボブの髪先があちこち跳ねていた。なんだか子供っぽくて、笑いそうになるのを堪える。
足早に居間から玄関に移動して、強引に靴を履く。すぐに鍵と扉を開けて、玄関のスペースを確保する。
「ほら、履けるだろ」
「はいっ」
黒のショートブーツに両足先を入れ、屈んでチャックを閉める。少し前のめりになりながら、バタバタと玄関から出てきた。
扉を閉めて、鍵をかける。
そしてあかりの手を握った。
「えっ、あっ」
「急げっ!」
「きゃぁっ!」
戸惑うあかりを気にせず引っ張っていく。
短い階段を駆け下りると、人感センサーで反応した鍵が開くギミック音が響く。
出入口の扉を強引に開け、二人で駆け出した。
ツンとした寒さの中、白い息を追い越していく。
繋がった手だけが温かい。




