1. 星に…
“星の数ほど”って言葉、実はあまり好きじゃない。
僕らの見える範囲以外にもたくさんの星はあるけれども、それはこの星で生きている以上決して見ることはできないんだろう。
どれほどか計り知れない物の例えとして使う言葉だけれど、僕が使うときには「いつか必ず辿り着くことができる物」の例えとして使うことになるだろう。
星の数だって有限だ。無限ではない。
今から数え続ければいつか必ず数え終わる。
でもそれは僕たちが生きている時間が有限であるから、限りなく無限に近いのだ。
一方で、"星が見守ってくれている"、と希望的観測を持つ心も重要だと思う。
でも残念なことに星は夜にしか僕たちには見えない。
それでも僕らが見ていない場所で光り輝いている。
僕はそんな星に憧れている。
星にもいろいろあって、恒星と惑星にカテゴライズされているのは小学生でも知っている。
昼間にも月は見えることがあるけれど、それは太陽が限りなく明るいからだ。
自分で光り輝くことのできない星は、輝く力を持つ星が居なければ見えもしないのだ。
舞台役者は裏方や音声、照明・脚本、広報、監督があってこその主役であることを忘れることは無い。
僕は自分では輝くことができない。
彼女は、僕にとっての恒星であったことは間違いなかった。
幼いながらも僕は、ほかの子供たちとは違ってサッカーや野球などの遊びにも目もくれず星に夢中になっていた。
通信教育講座で月に一度あるテストを絶え間なく送ってポイントを稼ぎ、2年がかりで貯めたポイントで望遠鏡を手に入れたほどだ。
初めて手にした望遠鏡で見た月はそれはもう美しくて、小学生ながらに言葉も出ないほど感動した。
僕の両親は最初こそほかの子供と同じように遊んでほしかったそうだが、子供が好きなことを伸ばそうとしてくれる親だったため、いろいろな宇宙の図説や本を買ってくれてますます星にのめり込んでいった。
数百年に一度しか見ることのできない天体イベントなんかは今まで生きてきた中で起こったものはすべて見たといっても良いし、なんなら雨で空が見えない日は月並みな表現になるが自分の中に土砂降りの雨が降り注ぐくらい悲しかった。
そんな僕にも、中学生の頃にスターと思える女の子が近くにできた。
いや、最初から近くに居たんだ。見えなかっただけだった。
彼女はそのときまでは光を放ってはいなかった。
気づいたときにはもう眩しくて、直視できないほどだった。
僕は近づくだけでイカロスのように焼け落ちるだろう。
どうして今まで気づかなかったんだろう?
こんなにそばに居た幼馴染は、いつしか僕には手の届かない何百光年先にまで、行ってしまった。
月見里 灯は、星になった。
蝋崎 星一は、まだ照らされることの無い場所に居た。




