第3章 そして闇に堕ちていく
翌日。社長の指示のもと、山根は朝から社長室を面接会場にセッティング。長机を一つ置き、そこに面接官用のパイプ椅子を二つ配置。対面する位置に、志望者用のパイプ椅子を一つ置く。
普段は不在の事が多い社長だが、さすがに今日は来ていた。面接の予定は10時30分から、となっていた。
その時間が近づくと、社長と山根は、急ごしらえした面接会場で席について待つ。
予定より10分早く志望者はやってきた。内線がそれを知らせる。
「お通しして」と社長が返す。次に、部屋にノックの音が響く。
「失礼します!!」
わかわかしく、元気のいいハリのある声。その声を聞いて山根は普段のたるんだ姿勢がリセットされたようだった。ドアを開けて入ってきたのは、声から想像される通りの今どきの若者。それもしっかりとした方の。スーツを着込んで、まさにフレッシュマンといった初々しさを感じさせる雰囲気を放っていた。
「冴木裕也です! よろしくお願いします!!」
椅子の前に立って挨拶したので、それに合わせて社長が着席させる。
「冴木くんは、21? 今年卒業したばかり?」
「そうです! 先月卒業したばかりです!」
「卒業までに就職は? 決まらなかったの?」
「は、ハイ! 主に地元で就職活動しておりまして、在学中には決まりませんでした。卒業後も大学の就職課へ相談に通っております!」
「ふぅん……。おい山根くん。何か質問無いのか?」
社長に突然話を振られ、山根は焦った。昨日、『相槌打ってるだけでいい』と高田に言われていたために完全に油断していた。山根の手元には履歴書のコピーがあった。それを急いで見てみる。そうしたらちょうどいいあんばいに気になる箇所が目に入ったために、聞いてみる。
「この、現住所が長野県になってますけど、今日は新幹線か何かで来たんですか?」
「あ、ハイ! 数日前から就活者向けのシェアハウスに滞在していて、今はずっとこちらで活動してます!」
それは大変そうだ……と山根は思った。そこからはまた、社長に主導権が戻り、話が進んでいった。
大学で勉強していたこと、サークル活動。バイト経験。趣味や特技。好きなこと。そしてうちの会社のことについて。といったありふれた話題で30分ぐらい話しただろうか。
「キミ元気だねぇ~。イイ!! 実にイイ!!」
「ありがとうございます!」
社長はにこやかに、そして、満足気な表情をして、それを締めの言葉とした。
「今日はありがとうございました!」
冴木は最後にそう言って、退室していった。すると社長はさっきとはうってかわって渋い表情をしていた。
「社長、今の子、入れるんですか?」
「う~ん……」
社長は考え込んでいた。すると、内線が鳴った。
「あの~、面接受けたいって人がもう一人来てますけど、どうします?」
「予定ではさっきの一人だけのはずだが……」
社長は困惑した。とりあえず通すように指示を出し、待つことに。そしたらノックもせずにドアが開き、一人の男が入ってきた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あの、ハロワで、こ、こ、ここ、ここの求人、し、し、しょ、しょう、紹介してもらって、飛び込みでいい、っていうから、や、や、や、やってき、たんですけど?」
やけに挙動不審で、ボソボソとしたつぶやき声。語尾は緊張のせいなのかうわずっていた。一応スーツだが、デブで、そして根暗そうなオタクというのは、言わずともわかるオーラを出していた。
対応に困った社長は一応、椅子に座らせた。そしたら急にカバンをガサゴソやる。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ。こ、ここ、こここ、これ、い、いちおうー、り、り、り履歴書、なんですけど?」
相変わらず語尾はうわずっていた。だらしなくカバンから履歴書を取り出して、社長に差し出す。社長は目を細めてそれを見る。
「安西、雄治? 29歳……で、いいのかな?」
「は、ハヒ!!」
安西の返事は元気の良いハイではなく、不自然に甲高く、不快感を高める効果があった。
社長は眉をひそめて言う。
「キミ~職歴が無いけど? 学校出てから何してたの?」
「グヒ! グヒヒヒヒ!!」
突然、安西は薄気味悪い笑みを浮かべた。やはり不快指数を高める効果があった。
「……マ、マ、マ、マ、マン…………マンマ! マン……マンガ!」
「キミさぁ~、もうちょっとハキハキとモノ喋れないの!?」
温厚な社長が声を荒らげて叱りつけた。これは非常に珍しかった。山根は気になって社長の方を見ると、もう我慢ならんって表情になっていた。
「……グイヒヒ! マンガ……マンガ……描いてた。グヒ」
「キミ、もういいや。職安でなんて言われてここに来たのか知らないけど、ちゃんと正式な手続きを踏んでから来てよ」
社長は早々に履歴書を閉じて安西に返した。そして強引に面接を終わらせ安西を締め出した。
「まったく! なんだったんだ、アイツは。最近の若いのはみんなあんな感じなのか?」
「……いえ。あれはさすがにレアケースだと思います……」
山根は全国の若者を代表して否定しておいた。
「まぁそれはともかく……」
「はい」
今ここに安西という人間が来たことは、完全になかったことにされた。
社長は急に渋い表情になった。
「社長、冴木って人、入れるんですか?」
「う~ん……」
社長はなぜか考え込んでいた。
「実はな山根くん……」
「はい」
「村田さんが引退したいって言うから、補充で求人を出したのは知っているね」
「はい。それで今月、平野さんが入社しました」
「その時にな、職安の人に、せがまれたんだよなァ~。求人もっと出してくれって。それがしつこくて、断りきれなくてな……」
山根は黙って聞いている。
「取る気がなくてもいいからって、あまりにしつこいもんだから、渋々求人を出したいんだよ」
「それは……カラ求人ってことですか?」
「ん……むぅ……。キミもうちきて結構経つからわかると思うが、営業2人と事務経理1人で、それ以上はいらないんだよなぁ……」
「じゃ、じゃあ、今の面接は、不採用の結果ありきのものだったって言うことですか……」
「ま、まぁ……そうなるね。山根くん、キミが会社辞めてくれたら、代わりに冴木くんを入れることができるけど、それはイヤでしょ?」
「……は、はい」
社長はサラリとトンデモナイことを言い出す。
「だけど、そういうことなんだよなぁ。この人数でも結構暇でしょ、この会社? これ以上余剰人員抱えるわけにはなぁ……」
冷たい現実だった。
『代わりに高田をリストラすればいい』
山根はそう思ったが、それは出来ないことだとわかっていた。
「まぁあの子は若くてしっかりしてるし、他でもやっていけるでしょう。これ渡すから、不採用通知出しておいて」
履歴書を渡し、社長は部屋から出て行った。
なんて残酷なことをするんだろうと思いながら山根も続けて出た。
「初めての面接官のお仕事、お疲れさま~」
部屋を出るやいなや、平野からねぎらいの言葉。ついでにコーヒーも入れてくれていた。
つい、嬉しくなってしまった山根は、彼女の頭をポンポンと軽く撫でて上げた。
「それ、セクハラになるよ!!」
部屋の隅から、ドスの利いた声が襲う。村田のおばさんが、山根を睨みつけていた。
慌てて山根は手をはなす。ひどい嫌われっぷりだ。まるで山根を病原菌か何かと同等に扱っている。
これ以上波風立たせたくないので、自分のデスクでおとなしくすることにした山根。
『ラジオ東京が正午をお知らせします』
ちょうど昼休みとなった。ところが山根は、ウワノソラであった。いつも昼休みにやってくるひかりも仕事が立て込んでるのかやってこない。山根は一人になりたかったので都合が良かった。一人で屋上のベンチに腰掛ける。
空は澄み渡っていたが、山根の心はぐずついていた。悩みの種は、午前中にやった出来レースの面接だった。
山根は、今の会社に来る前、なかなか仕事が決まらず、かなり苦労したのだった。高校を卒業した後、目的が定まらず2年間ほど働かずフラフラしていた。遊ぶ金が欲しくて、親の財布からお金を盗む常習犯だった。
だからか、不思議と冴木に感情移入して、情が移ってしまう。
しかし、だからといって何が出来る?自分が犠牲となって、冴木に職を譲るか?譲ったとして自分はどうなる?路頭に迷うのは目に見えていた。見ず知らずの人間に恩を売ったって、自分にはなんにもならない。奇跡に奇跡が重なって、恩返しされるというような輝かしい美談は、おとぎ話などフィクションの中だけの出来事だ。現実にはそんなうまい話が起こりえるはずもない。
後味の悪い面接を体験して、山根はふと思った。
「高田のヤツ、これをやりたくないから押し付けたのかもな……」
そんな考えが脳裏によぎったが、高田がそんな繊細な人間ではなかったことを思い出し、その考えはすぐに捨てた。
そして午後がやってくる。山根は一人、いつもの会社巡りに行く。
「今日は10件か……。多いな」
高田がいない時に限ってこれだ。山根は毒づいた。
1件、2件、3件と、今日も順調に仕事をこなす。電車を乗り継ぎ、右へ左へ東へ西へ。そうやって仕事に精を出していたその時だった。
「! あれは!?」
急に山根の足が止まる。目の前に見覚えのある人影があった。
……高田だった。山根は後ずさり、物陰に隠れて様子をうかがう。
「連れのオンナは……一体誰だろう?」
ハタチ前後の女性を連れていた。
「有給使って、平日の昼間から女遊びとは、最低の人間だな……!!」
前に話していた、“LINEで知り合った19歳の可愛い子”だろうか。遠くからだからよくわからないが、少なくともブスではない雰囲気はある。
そうやって遠巻きに観察している山根に、突然強烈な頭痛が襲い掛かる。実は山根はずいぶん前から原因不明の偏頭痛に悩まされていた。その強い頭痛が、今訪れたのだった。
頭を抱えて、その場から離れる。道の端っこをヨタ、ヨタとぎこちなく歩く。そしてついにしゃがみこんでしまった。
頭痛がひどくて、動けない。おさまるまで、こうやっているしかなかった。
病院に行ったこともあった。原因はわからないということだった。特に病気持ちというわけではないという診断だった。
山根は思った。高田という人間は、どうして人間としての最低行為をここまで堂々と出来るんだろう?自分が恥ずかしくなったりしないのだろうか?歳を取ると、理性とかしゅう恥心とかそういうのが無くなって鈍感になり、我が強くなってしまうものなのだろうか。
それに対して山根は、ずっと自分という存在意義について悩み続けていた。学校にいる間は良かった。勉強を頑張ってテストで良い点取ってれば、それが正しいという価値観の世界だった。卒業してから、その決められた世界から、社会というなんだかわからない世界に放り出される。放り出されてからの山根は、何をしたらいいのか、どうやって生きていけばいいのかわからなくなった。働いているのが正しいのか、額に汗した数が多いほうが正しいのか、金をたくさん稼ぐことが正しいのか、誰も教えてくれない。そして特技もなければ、やりたいこともなかった。
そうやって悩み続けて行くと、次第にノイローゼになっていった。風邪を引いたわけでもないのに、頭が痛みを訴える。頭痛薬を飲んだって治らないし、寝てたって治らない。不治の病。
山根は疲れ果てていた。生きることに。金と仕事のおかげで、かろうじて生かされていることが厭になっていた。もう“楽園への扉”を開くしかないのかと、真剣に悩み始めていた。
少し休憩して、気を取り直して仕事へ戻った直後だった。また、見覚えのある人影が目に入る。
……冴木裕也だった。午前中、元気に山根の会社に面接に来ていた大学出たばかりのフレッシュマンだ。
山根と目的の方角が同じだった。そのつもりはないのだが、冴木をしばらく尾行するような格好で歩く。
すると、あるオフィスビルへ入っていった。山根もそのビルへ向かっていた。奇遇にも目的地が一緒だったのだ。
山根が少し遅れて中に入ると冴木の姿を見失った。『冴木と出会いませんように……!』と願いながら、目的の会社へ向かう。
そこに冴木はいなかった。幸いなことに違う会社へ行ったようだった。山根はホッとした。
日が傾いてきて、夕方が訪れる。山根は外回りの仕事が終わり、余った時間を持て余していた。腕時計を見る。16時30分。たっぷり一時間は時間がある。暇だ……。
山根はアテもなくフラフラと駅前の繁華街をただ歩いていた。そういえば、普段から暇だ暇だと言いながら、外の景色をこうやってぼうっと眺めることをしなくなっていたことに気づく。会社に入ってから結構な年月が過ぎ去った。一年、二年とかそんな生易しい期間じゃない。
街並みとか世の中が、昔働きもせずプラプラしてた頃と比べると、ずいぶんと様変わりしていた。アニメの中のコスプレみたいなキラキラした服を普通に着てたり、茶髪が珍しくないどころか珍妙奇天烈な色合いに染めている人がいたりする。歩きスマホなんて当たり前で、そこらじゅうで自撮りしてたり、なんか何やら別世界に来たような感覚になった。
他人に関心がなかったせいだ。自分のことが精一杯で、世の中のことなんて気にしている余裕がなかった。テレビも見なけりゃ新聞も読まない。流行を追うなんて働き出してからしたことがなかった。
いつも家と会社の往復。それと外回りであっちこっち歩かされる。それだけが山根の世界だった。
そんな山根の目にパチンコ屋が飛び込んできた。
『今のパチンコ屋はこんなふうになっていたのか……』
下品な目がチカチカする電飾は消え去り、おしゃれな外観と、小綺麗な内装が外から見える。山根が学生時代に流行っていた、人気だったマンガやアニメを使ったパチンコ台が稼ぎ頭なのか、そういう宣伝ポスターが目に付く。
それからのことはあまり覚えていない。
気がついたら山根は家にいた。
勿論きちんと会社に戻って日報を書きタイムカードを押して退社したのだと思う。それに至るまでの空白の時間。しばらくは街並みを見て回っていたのだろう。その途中であまりにも自分がいたたまれなくなってショックを受けてしまったのだろうと思う。
おもむろにテレビを付けるが、山根にとってそれらはつまらなかった。だがすぐには消さず、チャンネルを入れ替えてみた。山根の知ってる番組は絶滅していた。
知らない芸人と、知らないテレビ番組。しかし、共通しているのは、つまらないという事実だけだった。
ドラマ、ドキュメンタリー、ニュース。全てがくだらなかった。いや、世の中の全てが山根にとってはくだらなかった。画面の中の芸人たちの会話はマニュアル通りの型にはまった会話で、完全なパターンで、笑えるところが何もない。『これなら俺でも出来る』と言わしめるぐらい山根にとってはくだらなかった。たまらなくなってテレビを消した。
山根はタバコに火をつけて考える。また頭がズキズキと痛みだしていた。
『もうすぐ30か……もう若者じゃないんだな』
約30年間の人生を振り返る。空っぽだった。無味乾燥。味がない。味のなくなったガムみたいな人生だった。
30年。その時間というのは、世の中に新しい価値観や文化を生み出すのに十分だった。だが山根には、世の中の変化をどこか受け入れがたかった。自分の居場所が無くなってしまったように感じられたからだ。
昔、自分が十代だった頃、触れていた文化はもう過去の遺物となった。それが何か、山根にとっては、自分にとって重要なものを失われたように感じ取れた。
『冴木は頑張ってる、それに比べて高田は……』
今日の昼間遭遇した二人。対象的だった。
なぜ冴木は必至になっているのだろうか。世の中のことがわからず、無知ゆえに人としての生存本能が知らずとそうしている。社会のレールからはずれまいと必死に。そしてそれは、山根にも同じことが言えた。
学業を終え社会に出たばかりの頃、その中で『何とか生きよう』とあがいていた。過去の山根の姿が、冴木そのものと言えた。世の中に絶望して、屈折するまでは山根だって無意識にそうやって生きていた。
だが。年配の高田はどうだろう。快楽を貪りつくすことにしか生きる意味を見出せないのなら――歳を取るごとに堕落するだけなら――いっそのこと潔く終わらせてしまったほうがいい。
山根は、固くそう決意した。