第19条 キリル――そんな話、信じられるか
俺はキリルという。十八歳。
今はソーモフ家のお屋敷で働いている。
やることはいろいろだ。荷物を運んだり、言いつけられたものを取りに行ったり、掃除を手伝ったり、必要なら外へ使いにも出る。
まあ、要するに、屋敷の中でその時々に必要なことをいろいろやっている。
別に珍しい仕事ではない。毎日、だいたい同じようなことの繰り返しだ。
そんな屋敷に、一人、ちょっと気になる女がいる。
グラーシャだ。
俺とだいたい同じくらいの歳で、変わった眼鏡をかけている。
まあ、別に嫌いじゃない。
向こうも、たぶん、俺のことをそんなに嫌ってはいない。
……と思う。
ただ、あいつにはイワンという昔から仲のいい男がいる。フットマンをしている。
何かにつけて、二人で普通に話してやがる。
別に、それがどうしたという話なんだが。
たまに、ちょっとだけ、面白くない。
まあ、ほんの少しだ。本当に少しだけだ。
それはともかく。
グラーシャという女は、妙にミーハーだ。
俺には十三歳になる妹がいる。
その妹も、まあ年相応に、きゃあきゃあ言う。
あの服がきれいだとか、あの人が格好いいだとか、誰々がどうしたとか。
そういう話を、いつまでもしている。
グラーシャは、時々、その十三歳の妹によく似ている。
同じようなことで目を輝かせて、同じようにきゃあきゃあ騒ぐ。
本当に十八なのかと思うことがある。
そんなグラーシャが、ある日、妙に興奮した顔で俺のところへやって来た。
グラーシャ「ねえ、聞いた?」
キリル「何を」
グラーシャ「若旦那様よ」
またか、と思った。
グラーシャは、若旦那様の話になると、たまに妙に楽しそうになる。
キリル「旦那様がどうしたんだよ」
グラーシャ「今度、なんとかっていう宮廷の会に出るんですって」
キリル「会?」
グラーシャ「メタモルフォーゼ会」
キリル「何だそれ」
聞いたことがない。
するとグラーシャは、さらに嬉しそうに言った。
グラーシャ「若旦那様、宮廷のご婦人になるんですって」
何を言っているのか、よく分からなかった。
キリル「……は?」
グラーシャ「だから。ドレス着て、お化粧して、髪もちゃんと整えてもらって、宮廷のご婦人みたいになるの」
キリル「誰が」
グラーシャ「若旦那様が」
キリル「何で」
グラーシャ「そういう会なんだって」
こいつ、何を言っているんだと思った。
男だぞ、若旦那様は。
しかも、そのへんの酔っ払いでもなければ、旅芸人でもない。
ソーモフ家の立派な若旦那様だ。
その人が、ドレスを着る?
化粧をする?
宮廷婦人になる?
キリル「そんな馬鹿なことあるか」
グラーシャ「本当だってば」
キリル「誰に聞いたんだよ」
グラーシャ「いろんな人」
キリル「それが一番信用できないだろ」
噂話なんて、どこでどう変わるか分かったものじゃない。
俺は最初、まったく信じていなかった。
ところが、その日から、どうも屋敷の様子が変になった。
荷物が増えた。
見たことのない箱が運び込まれてきた。
女性たちが、いつもとは違うものを準備している。
若旦那様付きのヤーコフさんまで、何やら忙しそうに人を集めている。
ヤーコフさんは、もう五十くらいになる。
普段は何があっても、あまり慌てない人だ。
そのヤーコフさんが、普通の顔で、とんでもないことを言っているのを、俺は聞いてしまった。
ヤーコフ「明日は本番ですので、今日のうちに一度、すべてのお支度を確認しておきます」
すべてのお支度。
その相手は、若旦那様だ。
俺は、そこで初めて思った。
え。
まさか。
本当なのか。
さらに話を聞いてみると、どうも俺が思っていたような適当な仮装ではないらしい。
祭りの日なんかに、男が女の服を適当に引っかけて、顔を真っ白にして、周りを笑わせる。
そういうものなら、俺だって見たことがある。
俺は最初、そんなものを想像していた。
若旦那様も、何か変な格好をさせられて、皆の前に出されるのだろう。
それくらいに思っていた。
違った。
どうも、本気らしい。
ちゃんと女性のお顔を美しく仕上げる人まで、外から呼ばれてきたという。
髪も、化粧も、衣装も、全部きちんとやるらしい。
何だそれ。
もう、どこかのお嬢様が大事な舞踏会へ出るとか、嫁入りの前に皆で大騒ぎして支度をしているみたいじゃないか。
それを。
若旦那様にやるという。
俺は、だんだん分からなくなってきた。
本当に、男をそこまできれいにするのか。
そんなこと、できるのか。
というか、やるのか。
本当に。
若旦那様に。
こんな話。
信じられるか。
それでも。
俺には、まだどうしても信じられなかった。
男が女の服を着る。
それだけでも、俺にはかなり理解しにくい。
というか。
俺は、そういうのが特に駄目な方なんだと思う。
祭りなんかに行けば、たまにいる。
男が女みたいな服を適当に着て。
顔を真っ白に塗って。
歌ったり。
踊ったり。
馬鹿騒ぎしたり。
周りを笑わせたりする。
ああいうのだ。
別に。
やりたい奴がやる分には勝手だ。
俺には関係ない。
だけど。
自分がやれと言われたら。
絶対に嫌だ。
想像するだけでも嫌だ。
女の服を着て。
皆に見られて。
笑われる。
そんなの。
とても耐えられない。
だから。
余計に分からなかった。
よりにもよって。
あの若旦那様が。
本当に。
そんなことをするのか。
いや。
どうも。
そんなものですらないらしい。
笑われるための格好じゃない。
祭りの仮装でもない。
ちゃんとした。
宮廷のご婦人が着るような。
立派なドレスを用意する。
俺なんかでは。
一生働いたって。
まず手に入らないような。
高そうなものだ。
それを。
若旦那様の身体に。
きちんと合わせるという。
顔だって。
適当に白く塗るだけじゃない。
女性のお顔を。
きれいに仕上げるのが得意な人まで。
わざわざ外から呼んできた。
髪も整える。
化粧もする。
衣装も全部そろえる。
そして。
その姿で。
宮廷へ行く。
大勢の人間の前へ出る。
さらに。
ご婦人として。
踊るらしい。
そこまで聞いて。
俺は。
もう一度。
思った。
本当に?
本当に。
そんなことをするのか?
あの若旦那様が?
俺なら。
絶対に嫌だ。
何があったって嫌だ。
そんな姿を。
知っている奴に見られるなんて。
考えただけでも。
ぞっとする。
なのに。
若旦那様は。
本当に。
それをやるらしい。
しかも。
中途半端じゃない。
本当に。
きれいな宮廷婦人に。
仕上げられるらしい。
そんなこと。
できるのか。
男だぞ。
どう見たって。
普段は男だ。
それを。
髪を整えて。
顔を作って。
ドレスを着せたら。
本当に。
女の人みたいに。
見えるものなのか。
考えれば考えるほど。
分からなくなってきた。
そして。
困ったことに。
分からなくなればなるほど。
確かめたくなってきた。
最初は。
馬鹿馬鹿しいと思っていた。
グラーシャが。
何をそんなに騒いでいるんだと。
思っていた。
でも。
今は。
少し違う。
いや。
少しどころじゃない。
正直に言う。
見たい。
ものすごく。
見たい。
あの若旦那様が。
本当に。
美しい宮廷婦人みたいになるのか。
自分の目で。
確かめてみたい。
そんなことが。
本当に。
人間にできるのか。
どうしても。
見てみたくなってしまった。
宮廷のご婦人の格好。
そう言われても、俺だってまったく知らないわけじゃない。
この屋敷にいれば、見ることはある。
奥様が宮廷へ出かけられる日なんかは、いつもよりずっと立派なお召し物をなさる。
横へ大きく広がったスカート。
光沢のある布。
レースや飾り。
髪もきれいに整えられて、顔にも化粧をなさる。
俺なんかが近くを通ったところで、別にどうということもない。
使用人なんだから、玄関へ向かわれるところを見かけることだってある。
なるほど。
ああいう格好か。
そう思った。
たしかに、きれいだ。
俺にだって、それくらいは分かる。
奥様がああいう立派なドレスをお召しになっていると、やっぱり普段とはずいぶん違って見える。
いかにも身分の高いご婦人という感じがする。
それを。
男が着る。
しかも。
若旦那様が着る。
俺は、ちょっと想像してみた。
いつもの若旦那様の顔。
いつもの髪。
いつもの、きびきびした立ち方。
そこへ、奥様がお召しになるような、あの大きなドレスを着せる。
……。
いや。
おかしいだろ。
どう考えてもおかしい。
頭の中では、若旦那様の身体から突然巨大なスカートが生えているみたいになった。
全然似合っていない。
というか。
何なんだ、これ。
俺は一人で想像しておいて、一人で困った。
髪も女の人みたいにするという。
顔には化粧をする。
頬には紅を差す。
それも足してみた。
……さらにおかしくなった。
いやいや。
そうじゃないだろ。
こんなものを見せられても、どう考えたって若旦那様じゃないか。
男が立派なドレスを着ているだけだ。
それ以外の何に見えるというんだ。
グラーシャは、やたら楽しそうに、きっと綺麗になるとか、本当のご婦人みたいになるとか、そんなことを言っていた。
どうやったらそうなるんだ。
俺には、まったく想像できなかった。
何度考えても、頭の中に出てくるのは、いつもの立派な若旦那様が奥様のような大きなドレスを着て立っている、ものすごく変な光景だった。
いや。
絶対おかしいだろ、これ。
ますます実物を見てみたくなった。
それからというもの。
俺は、どうにかして若旦那様の姿を見られないかと考えるようになった。
別に俺は、若旦那様に直接お仕えしているわけじゃない。
お召し替えのお手伝いをするわけでもない。
お部屋へ自由に出入りできるわけでもない。
だから、待っていれば見られるというものでもなかった。
しかも、こういう日に限って仕事が多い。
あっちへ行け。
これを運べ。
次はこっちだ。
気がつけば、また別の用事を言いつけられている。
何度か、それらしい気配がするたびに廊下の方を気にしてみたが、結局、見られなかった。
くそ。
見たい。
ここまで来たら、もう絶対に見たい。
そんな時だった。
妙な話を聞いた。
若旦那様は、その日。
いつもお使いになる道とは別の通路を通って、玄関の方へ向かわれるらしい。
俺は、その話を聞いた瞬間に思った。
なるほど。
そういうことか。
分かる。
そりゃそうだ。
いくら女帝陛下の御命令だからって、男があんな立派なドレスを着て、化粧までして歩いているところを、屋敷中の人間に見られたいわけがない。
俺だったら絶対に嫌だ。
だったら、人の少ないところを通る。
そうに決まっている。
これはかなり確かな話なんじゃないか。
いや。
きっとそうだ。
ついに情報をつかんだ。
その日の朝。
俺は仕事の合間を見て、その通路へ向かった。
普段なら、あまり用のないところだった。
人も少ない。
静かだ。
よし。
ここだ。
ここを通る。
俺は壁際で、なるべく不自然に見えないようにしながら待った。
別に待ち伏せしているわけじゃない。
たまたまここにいるだけだ。
自分にそう言い聞かせた。
でも、心臓は妙に速かった。
もうすぐ。
本当に見られる。
若旦那様が、あの立派なドレスを着て。
髪を整えて。
化粧をして。
ここを通る。
どんな姿なんだ。
俺の想像みたいに、とんでもなくおかしな格好なのか。
それとも。
本当に。
グラーシャが言うみたいに。
綺麗なのか。
その時。
向こうから人が来た。
俺は一瞬、身構えた。
だが。
違った。
若旦那様ではない。
屋敷の使用人だった。
その男は俺を見ると、少し怪訝そうな顔をした。
使用人「キリル。何をしている」
キリル「え。いや。別に」
使用人「別に、じゃない。ここは今から若旦那様がお通りになる」
やっぱり!
俺の情報は正しかった。
ここだ。
本当にここを通る。
使用人「邪魔になるから、向こうへ行け」
キリル「え」
使用人「聞こえなかったのか。向こうへ行け」
そんな。
俺は。
その若旦那様を見るために。
ここにいるんだけど。
もちろん、そんなことを言えるわけもない。
キリル「……はい」
追い払われた。
情報は。
完璧だった。
完璧すぎた。
仕方なく、俺は少し離れたところまで追いやられた。
そこから先は、もうどうしようもない。
仕事があるわけでもない。
かといって、また近づけば今度こそ本気で怒られる。
俺は少し離れたところで、ぼさっと立っているしかなかった。
しばらくすると。
向こうが、急に慌ただしくなってきた。
人が動く。
誰かが声をかける。
扉が開く音がする。
来る。
俺はすぐに分かった。
本当に来るんだ。
若旦那様が。
綺麗に女の格好をさせられて。
あの大きなドレスを着て。
ここを通るんだ。
見たい。
ものすごく見たい。
だが。
見えない。
人が邪魔だ。
さっき俺を追い払った奴まで、ちょうどいいところに立っている。
おい。
そこどけよ。
邪魔だ。
もちろん口には出せない。
俺は必死に首を伸ばした。
少し身体をずらす。
駄目だ。
もう少し。
ほんの少しだけ。
そして。
一瞬だけ。
見えた。
淡い色の、大きなドレス。
裾を引きながら。
ゆっくりこちらへ進んでくる。
その上には、きれいに整えられた髪。
白く整った顔。
遠目だった。
ほんの一瞬だった。
だから顔までは、よく分からない。
でも。
俺には。
どこかの若い姫君か、身分の高いお嬢様みたいな人が歩いてきたように見えた。
……。
え。
今の。
本当に。
若旦那様なのか?
もっと見たい。
それだけじゃ分からない。
もう一度。
せめて顔だけでも。
俺はさらに身体を乗り出した。
だが。
もう見えない。
人の影に隠れた。
何だよ。
これだけかよ。
ここまで苦労したのに。
その時だった。
廊下の向こうから。
誰かが小走りでやって来た。
見慣れた眼鏡が揺れている。
グラーシャだった。
グラーシャ「キリちゃん!」
俺は振り返った。
キリル「何だよ」
グラーシャ「あなた、こんなところで何してるの?」
キリル「いや。別に」
なんでこいつがここにいるんだ。
グラーシャは少し息を弾ませながら、辺りをきょろきょろ見回した。
グラーシャ「聞いた? 今朝」
キリル「何を」
グラーシャ「若旦那様よ。今日、いつものところじゃなくて、こっちの通路をお使いになるんですって」
……。
こいつ。
まさか。
グラーシャ「だから私、慌てて来たの」
全く同じことを考えている奴がいた。
俺は少し呆れた。
いや。
人のことを言えない。
キリル「……そうみたいだな」
グラーシャ「見た?」
キリル「いや。追い出された」
グラーシャ「ええ!?」
キリル「ここで待ってたら、邪魔だから向こう行けって」
グラーシャ「そんなあ!」
ものすごく残念そうな顔をした。
お前もか。
俺は思わず言った。
キリル「というか、お前は前から見たがってたから分かるけど」
グラーシャ「うん?」
キリル「……なんで俺まで、こんなに見たがってるんだよ」
自分で言ってから。
俺にも。
よく分からなかった。
翌朝――同じ夢
翌朝。
俺は、いつも通り仕事に出た。
昨夜の夢のことは。
考えないことにした。
考えたって仕方がない。
夢だ。
ただの夢だ。
そう思っていた。
廊下を曲がったところで。
グラーシャと鉢合わせた。
グラーシャ「あ、キリル」
キリル「……おう」
まずい。
何がまずいのか分からないけど。
ものすごくまずい。
昨日の夢の中では。
こいつが。
俺の手を取って。
腰にまで手を回して。
俺は。
あんな格好で。
こいつと踊っていた。
そんなことを。
本人の顔を見た瞬間に思い出した。
心臓が。
妙に速くなった。
グラーシャは。
そんな俺のことなんか。
何も知らない顔で。
にこにこしていた。
グラーシャ「ねえ。私、昨日すっごく面白い夢見たの」
俺は。
嫌な予感がした。
キリル「……そうなのか」
グラーシャ「聞きたい?」
キリル「別に」
グラーシャ「じゃあ話すね」
聞くんじゃないのかよ。
グラーシャは。
楽しそうに話し始めた。
グラーシャ「私がね、ものすごく立派な男の人の格好してたの。王子様みたいな宮廷服」
キリル「へえ」
グラーシャ「それで、最初は若旦那様と踊ってたの」
キリル「……」
そこまでは。
まあ。
分かる。
こいつなら。
そんな夢くらい見るだろう。
グラーシャ「でもね。途中でよく見たら、若旦那様じゃなくなってたの」
俺は。
少しだけ。
嫌な予感が強くなった。
キリル「……誰になってたんだよ」
グラーシャは。
ものすごく楽しそうに。
俺を指さした。
グラーシャ「あんた」
頭の中が。
一瞬。
真っ白になった。
キリル「……は?」
グラーシャ「キリルよ」
キリル「何で俺なんだよ!」
グラーシャ「知らないわよ。夢なんだから」
グラーシャは笑った。
グラーシャ「しかもね。あんた、ものすごく綺麗なドレス着てたの」
俺は。
何も言えなかった。
グラーシャ「髪もちゃんと女の人みたいにして、お化粧もして、もうどこかの宮廷美人みたいだった」
待て。
それ。
俺の夢と。
同じじゃないか。
グラーシャ「それで私があんたの手を取って、男役で踊るの」
……。
嘘だろ。
俺は。
昨夜。
同じ夢を見た。
まったく。
同じじゃないけど。
ほとんど。
同じだ。
もちろん。
そんなこと。
言えるわけがない。
キリル「何だよそれ!」
グラーシャ「面白いでしょう?」
キリル「何で俺がドレス着なきゃならないんだよ!」
グラーシャ「夢なんだからいいじゃない」
キリル「よくない!」
自分でも。
何でこんなに必死になっているのか。
分からない。
グラーシャは。
俺の顔を見て。
ますます楽しそうに笑った。
グラーシャ「あれ?」
キリル「何だよ」
グラーシャ「キリル、照れてる?」
キリル「照れてない!」
グラーシャ「ほんと?」
キリル「ほんとだ!」
グラーシャ「顔、赤いわよ」
キリル「朝だからだ!」
グラーシャ「何よそれ」
グラーシャは。
くすくす笑った。
そして。
少しだけ。
いたずらっぽい顔をした。
グラーシャ「もしかして」
キリル「何だよ」
グラーシャ「あんた、本当はああいうお姫様みたいなドレス、着てみたいとか思ってるんじゃないの?」
キリル「はあ!?」
グラーシャ「だって、そんなに必死に否定するから」
キリル「馬鹿言うな!」
グラーシャ「似合ってたわよ」
キリル「夢の中だろ!」
グラーシャ「すっごく可愛かった」
キリル「やめろ!」
グラーシャは。
とうとう声を上げて笑った。
その時。
向こうから。
誰かに呼ばれた。
使用人「グラーシャ! こっちを手伝って!」
グラーシャ「はーい!」
今度は。
別の方から。
俺も呼ばれた。
使用人「キリル! 何してる! 早く来い!」
キリル「今行く!」
俺たちは。
そこで別れた。
グラーシャ「じゃあね、キリル姫」
キリル「二度と言うな!」
グラーシャは。
笑いながら走っていった。
俺も。
反対方向へ向かった。
まったく。
何なんだ。
あいつ。
朝から。
とんでもないことを言いやがって。
でも。
歩きながら。
俺は。
どうしても。
考えてしまった。
あいつも。
同じような夢を。
見たんだ。
あいつの夢の中でも。
俺は。
綺麗なドレスを着て。
女みたいな格好をして。
あいつに手を取られて。
踊っていた。
それどころか。
腰に手まで回されて。
……。
恥ずかしい。
夢の話なのに。
妙に。
恥ずかしい。
でも。
俺は。
昨夜の夢を。
もう一度思い出した。
鏡の中の。
自分。
あの立派なドレス。
きれいに整えられた顔。
グラーシャが。
楽しそうに。
俺を見ていたこと。
……。
着たいわけじゃない。
そんなわけない。
俺は男だ。
ただ。
もし。
本当に。
あんな格好をしたら。
どうなるのか。
ちょっと。
気になっただけだ。
それだけだ。
……。
でも。
若旦那様に。
あんなことが本当に起きた。
だったら。
俺にも。
あんなことが。
絶対にないって。
もう。
言い切れないのかもしれない。
そう思ったら。
また少し。
胸が。
どきどきした。




