幕間 リディアみたいな職人、本当にいたの?
さて。
ここまで読んで、
「リディアさん、面白いけど、さすがにこんな女性職人が十八世紀にいるの?」
と思った方もいるかもしれません。
何しろ『カーテシー・クラブ』の舞台は十八世紀半ば。
日本では、まだ江戸時代です。
そんな時代に、
「私は婦人服の専門職人です」
「自分の工房を持っています」
「弟子もいます」
「貴族の女性たちから注文を受けています」
「しかも三十六歳で未婚、仕事一筋です」
なんて女性が、本当に成立するのでしょうか。
これが。
意外なことに、かなり成立します。
* * *
たとえばフランス。
パリでは、すでに一六七五年に女性の縫製職人――クチュリエールたちの独立した同業組合が認められていました。
つまり十八世紀になるずっと前から、
「女性の服を専門的に作る女性職人」
という職業そのものが、きちんと成立していたのです。
しかも、これは家庭でちょっと裁縫をしていた、という程度のお話ではありません。
徒弟として修業し、技術を身につけ、やがて親方となり、自分の仕事場を持つ。
そんな女性たちが大勢いました。
一七四六年から一七五九年のパリでは、この女性縫製職人の組合に、年平均四百十九人もの少女が新たに徒弟として入っていたという研究があります。当時のパリでは、かなり大きな職業世界だったことが分かります。
しかもさらに面白いのは、
「女性だから、いずれ結婚して仕事をやめるのが当然」
と単純には言えなかったことです。
この時代の女性職人の中には、結婚せずに仕事を続け、自分自身の世帯を構える道を選んだ女性たちもいました。
ですから、
「三十六歳。未婚。仕事一筋。自分の工房を持ち、弟子まで抱えている」
というリディアの基本設定は、少なくとも当時のヨーロッパの服飾職人世界から大きく外れたものではありません。
もちろん、
「一七四〇年代のサンクトペテルブルクに、リディア・アンドレーエヴナという女性がいて、まったく同じ人生を歩んでいた」
という意味ではありません。
リディアは架空の人物です。
ですが、
「フランス流の婦人服技術を身につけたロシア人女性が、一流の仕立職人として宮廷貴婦人の衣装を扱う」
という人物像そのものは、十分にあり得る範囲でしょう。
* * *
そしてもう一つ。
リディアが得意としている、
「お直し」
について。
これも、現代人が思っている以上に十八世紀らしい仕事です。
当時、上質な絹や装飾された布地は非常に高価でした。
一度ドレスを作ったからといって、
「体型が変わったから捨てましょう」
「流行が変わったから新品を買いましょう」
とは限りません。
ほどいて。
詰めて。
広げて。
形を変えて。
別の人へ譲って。
また直す。
そうやって高価な布を長く使いました。
メトロポリタン美術館も、現存する十八世紀衣装の多くには何らかの改造が施されており、親族や使用人へ譲られた後、別の体格へ合わせてさらに変更された例があると説明しています。
ですから、
「古い婦人服を、別の人の身体に見事に合わせ直すことを得意とする職人」
というリディアの専門分野も、完全な空想ではありません。
ただし、
「十八世紀には現代と同じ『お直し専門店』という業種が存在していた」
とまで言ってしまうのは言い過ぎでしょう。
リディアはあくまで、実在した仕立て・補修・作り替えという仕事をもとに、
「もし、その中でも異常に仕立て直しがうまい職人がいたら?」
と膨らませたキャラクターです。
* * *
さて。
ここからが、本題です。
なぜ今回、わざわざこんな「お直し職人」の話を書いたのか。
それは『カーテシー・クラブ』を書き続けていて、ふと非常に単純な疑問にぶつかったからです。
エリザヴェータ女帝は、一七四四年のモスクワで行われた宮廷仮面舞踏会において、男性を女性の姿に、女性を男性の姿にさせました。
後のエカテリーナ二世自身の回想によれば、男性たちは単に女性らしい布を羽織った程度ではありません。
鯨骨入りの大きなスカートを身につけ、女性用のガウンを着て、宮廷女性と同じような髪飾りまで用いていました。
しかも仮面はなし。
つまり、かなり本格的な「宮廷婦人の装い」を男性たちにさせていたわけです。
ここで。
冷静に考えてみてください。
その服、どこから出てきたのでしょう?
* * *
現代なら、大きなサイズの女性服を探すという発想があります。
しかし十八世紀の宮廷服は、現代の量産服とはまったく事情が違います。
まして、
「男性用宮廷婦人ドレス、二十九号、三十号、三十一号を各種取り揃えております」
なんて店が存在していたとは到底考えにくい。
そして男性の身体と女性の身体では、単純な身長だけではなく、
肩。
胸郭。
腕の長さ。
胴まわり。
身体全体の比率。
いろいろ違います。
エリザヴェータが、
「今度の舞踏会では、男は女の格好をしなさい」
と言うのは簡単です。
しかし言われた側では、
「では、その服を誰が用意するのか」
という、とても現実的な問題が発生します。
新しく作った人もいたでしょう。
既存の婦人服を利用した人もいたでしょう。
もともと比較的大きな衣装を調整した例もあったかもしれません。
残念ながら現時点では、
「一七四四年のメタモルフォーゼ舞踏会に際し、何人の仕立職人が何着の衣装を男性用に改造した」
というような都合のいい記録は確認できていません。
ですから、
「参加男性のドレスはすべて既存の婦人服を仕立て直したものだった」
などと断定することもできません。
けれど。
これだけは言えます。
誰かが作業をしなければ、あの舞踏会は成立しません。
* * *
誰かが寸法を測った。
誰かが布を選んだ。
誰かが袖を合わせた。
誰かが肩まわりを調整した。
誰かが身頃を直した。
誰かが巨大なスカートを用意した。
誰かが、
「この身体に、このドレスをどうやって着せるんですか」
と頭を抱えた。
そんな仕事が存在しなければ、
「大勢の男性が、きちんとした宮廷婦人姿で舞踏会へ出る」
という結果だけが突然出現するはずがないのです。
そして十八世紀には、そもそも衣服をほどき、サイズを変え、別の人へ合わせて作り直す技術と市場がありました。
だったらメタモルフォーゼ会の開催によって、普段なら女性服を扱っている仕立職人たちへ、
「今度はこれを男性が着るので何とかしてください」
という、相当に無茶な仕事が持ち込まれた可能性は高いでしょう。
* * *
では。
どうして、こういう人たちの姿は歴史の表側にあまり出てこないのでしょう。
たぶん。
そこは不思議でも何でもありません。
歴史に残るのは、
「女帝エリザヴェータが、男女の服装を逆転させる舞踏会を開いた」
という華やかな話です。
エカテリーナも、
「男性たちは大きな鯨骨入りスカートをはいていた」
とは書きました。
けれど。
そのスカートを誰が用意したのか。
前日の夜まで誰が針を動かしていたのか。
肩が合わなくて困ったのは誰なのか。
急に注文を持ち込まれて、
「男性がお召しになるんですか?」
と聞き返した職人がいたのか。
そこまでは、普通は記録に残りません。
歴史上の華やかな催しには。
必ず。
その華やかさを成立させるために働いた、大勢の名前の残らない人たちがいます。
* * *
リディア・アンドレーエヴナという女性は、もちろん架空の人物です。
「男性用に婦人服を直す仕事が殺到し、とうとう料金を五倍にしたのに、かえって大繁盛してしまった女性職人」
が実在したという記録もありません。
さすがにそこまで都合のいい話が残っていたら、私も驚きます。
ですが。
男性たちが実際に女性の宮廷服を着せられたことは、記録に残っています。
十八世紀の衣服が、別人へ合わせて頻繁に仕立て直されていたことも分かっています。
女性服を専門に扱う女性職人が、すでに大勢働いていたことも分かっています。
ならば。
その三つの史実の隙間には。
必ず。
「誰かの仕事」
があったはずなのです。
もしかすると。
リディアほど極端ではなくても。
「また男物……いえ、男が着る女物ですか」
とため息をつきながら、針を持った職人が。
本当にどこかにいたのかもしれません。
そしてその人が、
「もう勘弁してくださいませ!」
と思っていたかどうかは。
さすがに。
歴史書には書いてありません。




