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断罪会場で「ごめんなさい」と謝ったら、王太子の罪状がドレスに刺繍されました ~濡れ衣令嬢の謝罪は、本当の犯人だけを縫い上げる~  作者: 小竹X


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番外編三 アイリスの二週間目の手紙

 ベルネット領の冬は、王都よりも風が強い。


 アイリスはそのことを、領地へ来て三日目に思い知った。


 王都の屋敷では、寒ければ侍女が暖炉に薪を足した。風が強ければ窓を閉めた。靴が濡れれば替えを出してもらえた。


 領地では、そうはいかない。


 薪は数えなければ足りない。窓を閉めても隙間風は入る。靴は濡れたら自分で乾かすしかない。


 そして何より、帳簿の数字が寒かった。


 ベルネット伯爵家の財務は、見栄のための支出で穴だらけだった。王都の社交費、義母ジゼルの衣装代、父の派閥献金、そしてアイリス自身の贅沢。


 数字は嘘をつかない。


 アイリスは初めて、その言葉を嫌というほど理解した。


 彼女は机に向かい、二週間目の報告書を書いていた。


 相手は姉、ルシア。


 正確には、王立法衣院証縫官ルシア・ベルネット宛ての領地再建報告である。


 姉妹の手紙、とはまだ呼べない。


 アイリスはペンを持ち、最初の一行で止まった。


 お姉様へ。


 書いてから、違う気がして線を引いた。


 ルシア様へ。


 これも違う。


 距離を取りすぎている。けれど、急に親しげにする資格もない。


 彼女はしばらく悩み、結局こう書いた。


 ルシア姉様。


 紙の上の文字を見て、頬が熱くなった。


 昔なら、こんな呼び方はしなかった。


 お姉様、と呼びながら、心の中では見下していた。


 地味で、謝ってばかりで、父にも義母にも大事にされない姉。王太子の婚約者という肩書だけは立派だが、それも自分には関係ないと思っていた。


 今思えば、関係ないわけがなかった。


 アイリスが綺麗なドレスを着るたび、その予算はルシアのものから削られていた。


 アイリスが割った花瓶をルシアが謝った。


 アイリスが盗んだ手紙を、ルシアはずっと探していた。


 姉の謝罪の上で、自分は笑っていた。


 そのことを思い出すたび、アイリスは胸が苦しくなる。


 謝りたい。


 けれど、謝れば済む話ではない。


 ルシアは、それを教えてくれた。


 謝罪は終点ではなく、責任を戻す入口だと。


 だからアイリスは、謝罪ではなく報告書を書いている。


 ルシア姉様。


 ベルネット領着任二週目の報告をいたします。


 一、北村の橋について。


 昨年の雨で崩れたままになっていた橋は、領主館の記録では「修繕済」とされていました。しかし実地確認したところ、板を二枚渡しただけで、馬車は通れません。修繕費として計上された銀貨七十枚のうち、実際に使われたのは十二枚程度と思われます。残金の流れは調査中です。


 二、孤児税について。


 父が認可した追加徴収の名目です。名は孤児院支援ですが、孤児院側には一枚も届いていません。徴税人は「伯爵家の慣例」と主張しています。慣例という言葉が、これほど腹立たしいものだとは知りませんでした。


 三、織物工房について。


 女工たちは、納品遅延の罰金を給金から引かれています。しかし遅延の原因は、領主館側の糸支給遅れです。これも謝罪状を書かされていました。謝罪状は二十三通。すべて写しを取りました。


 ここまで書いて、アイリスは息を吐いた。


 手が冷たい。


 暖炉の火は弱いが、薪を足すのをためらう。領主代行用の部屋だけ暖かくしても、村の家々は寒い。


 昔の自分なら、当然のように薪を足しただろう。


 今は、そうするたびに自分の快適さが誰かの不足から来ていないか考える。


 考えるのは面倒だ。


 でも、考えずに生きてきた結果が、この帳簿なのだ。


 扉が叩かれた。


「どうぞ」


 入ってきたのは、領地の書記見習いの少年だった。


 年は十五ほど。頬にそばかすがあり、いつも古い帳簿を抱えている。


「アイリス様、南畑の代表が来ています」


「時間は明日の午後のはずでは?」


「それが、謝罪状を撤回したいと言って……」


 アイリスは立ち上がった。


 南畑。


 そこでは、今年の収穫不足を農民の怠慢として処理し、罰金を課していた。けれど実際には、領主館が保管していた種の質が悪かった疑いがある。


 代表として来たのは、年配の女性だった。


 荒れた手をしている。頭巾の端は擦り切れているが、背筋はまっすぐだった。


「お時間を間違えたことは、申し訳ありません」


 女性は深く頭を下げた。


 アイリスは、昔ならその謝罪を当然のように受け取っただろう。


 今は、そうしなかった。


「頭を上げてください。時間の変更理由を聞きます」


 女性は少し驚いた顔をした。


「明日の午後には、村の男たちが来ます。彼らは、もう領主館に逆らうなと言っています。罰金を払って終わらせた方がいいと」


「あなたは違うのですね」


「はい。私たち女が種を選びました。悪い種だと最初から分かっていました。でも、領主館から下されたものに文句を言えなかった。言えば、来年の土地を外されると思ったからです」


「証言できますか」


 女性は唇を噛んだ。


「怖いです」


「はい」


「でも、謝罪状には、私たちが怠けたと書かれています。それだけは嫌です。私たちは怠けていない」


 アイリスは胸の奥が熱くなった。


 似ている、と思った。


 姉が断罪会場で言えなかった言葉。


 私の罪ではありません。


 今、その言葉をこの女性が別の形で言っている。


「分かりました。謝罪状の写しを確認します。証人を一人にしません。あなたの村の女性たちにも話を聞きます」


「領主様は、お怒りになりますか」


「父はもう領主権を制限されています。怒っても、帳簿は変わりません」


 そう言った瞬間、アイリスは自分の言葉に驚いた。


 昔は、父の怒りが世界の中心だった。


 怒らせないように振る舞う。怒りの矛先を姉に向ける。自分は愛されている側に立つ。


 それが安全だった。


 でも今、父の怒りより帳簿の事実を優先している。


 変わったのだろうか。


 変わらなければならないから、そうしているだけかもしれない。


 どちらでもよかった。


 行動が先でも、あとから心が追いつくことがある。


 夜遅く、アイリスは再び手紙に向かった。


 四、南畑の謝罪状について。


 農民側の怠慢とされた文書に疑義があります。種の支給記録、倉庫の湿度管理、徴税人の証言を確認します。証人の保護を要請します。可能であれば、法衣院から記録官を一名派遣してください。


 五、私自身について。


 ここで筆が止まった。


 私自身について、何を書くべきか。


 謝罪なら、いくらでも書ける。


 ごめんなさい。お姉様から奪いました。笑いました。知らないふりをしました。母の手紙を隠しました。


 けれど、その言葉を何度書いても、姉の時間は戻らない。


 アイリスは別の一文を書いた。


 五、私自身について。


 私はまだ、自分が正しく変われているとは言えません。領民の寒さを見ても、最初に思うのは「大変そう」ではなく「どう処理すればよいか」です。人の痛みを、自分の痛みとして感じることはできていません。


 ですが、感じられないから放置する、ということはしません。


 橋は直します。孤児税は止めます。謝罪状は調べます。私が使った金額も、帳簿に戻します。


 これが贖罪かどうかは分かりません。


 ただ、責任の置き場所を間違えないようにします。


 書き終えて、アイリスは目を閉じた。


 泣きたくはなかった。


 泣けば、自分が可哀想になってしまう気がした。


 可哀想なのは、自分ではない。


 そう思うのは正しい。


 けれど、正しさだけでは人は続かない。


 アイリスは引き出しを開けた。


 そこには、ルシアから届いた短い返事が入っている。


 最初の報告、受け取りました。


 謝罪よりも、記録を続けてください。


 疲れた時は、疲れたと書いてください。


 それは言い訳ではなく、継続のための情報です。


 姉らしい、事務的な優しさだった。


 アイリスはその手紙を読み返し、新しい報告書の最後に一行を足した。


 六、疲れています。


 少し考えて、もう一行。


 ですが、逃げていません。


 彼女は封蝋を落とし、ベルネット家の印を押した。


 その印は、昔より軽く感じた。


 権威が軽くなったのではない。


 背負うものの中身を、ようやく少し見たからだ。


 翌朝、南畑の女性たちが領主館に来た。


 彼女たちは泣かなかった。


 怒鳴りもしなかった。


 ただ、種袋の現物と、湿った倉庫の記録と、謝罪状の写しを机に置いた。


 アイリスはそれを受け取り、ひとつずつ番号を振った。


「証言を始めます」


 そう言った時、彼女は初めて、自分が姉と同じ方向を見ている気がした。


 同じ場所には立てない。


 過去は消えない。


 でも、同じ方向へ歩くことはできる。


 ベルネット領の風は、今日も強い。


 けれど、机の上の白紙は飛ばなかった。


 アイリスが、その上に手を置いていたからだ。

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