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第二十六話 弟の汚部屋【前編】

①プロローグ〜母からの依頼〜


 母から弟の偵察の依頼を受けた。


 ある日仕事から帰ると、母から電話があったのだ。

「マサルともう二日も連絡の取れんとよ!」

マサルというのは一回り以上離れた弟の名で、現在大学生である。

「たったの二日で? 小学生じゃあるまいし、ちゃんと生きてるって」

「でも一日に二回は電話しよったし……」

「そんなに⁈ 何話すの?」

「まず朝におはようコールやろ、そして夜には大学にちゃんと行ったかとか、賞味期限切れは大丈夫かとか、連帯保証人になってないかとか、怪しいツボ買ってないかとか、先物取引に手を出してないかとか、変な女にそそのかされて結婚詐欺にあってないかとか……話すことはいくらでもあるやろ」

「へぇ……」

母はタチの悪い姑になりそうだ。


 私には複数のきょうだいがいるのだが、マサルだけは母の待遇が違った。彼は母が四十過ぎて産んだ末っ子の男の子だ。そりゃあもう甘々である。


 貧乏のクセに弟にだけはこどもちゃ◯んじを受講させ、草ボーボーの狭い庭を整えブランコを設置し、果てはン十万もするディズ◯ーの英語教材をフルセットで購入したのだ。老後資金は大丈夫なのだろうか? と心配になるレベルである。


 一方の私は私服がないので休みの日も学校の芋ジャージで過ごし、オヤツにはツツジやヤブカラシの蜜をジュース代わりに台所からちょろまかしてきたフリカケ片手にオニユリのムカゴをあぶってポリポリかじっていたのだから不平不満を言いたくもなる。


 さらに言うと高校時代はクラスで自分だけが携帯電話を持っていなかった。卒業式の日、皆がパカパカと携帯を開きアドレスを交換している輪に入れなかった作者の気持ちを想像し二十字以内で述べよ。


 ……話がそれた。当時を思い出してつい愚痴が噴出してしまった。


「そんなに心配ならお母さんが行って来れば?」

私は至極もっともな提案をしてみた。

「行きたいけどお父さんが『甘やかすな』ってうるさいから」

父親は割とマトモなのである。

「お願い、見てきてくれんね? あん子(あの子)可愛かけん(可愛いから)悪か人(悪い人)に捕まって外国に売り飛ばされとるかもしれん! 手遅れになる前に!!」

ちなみに弟はどう贔屓目(ひいきめ)に見ても平凡な容姿である。

「でもそんな暇じゃないし……」

実際は暇なのだが、貴重な休日は全力でダラダラしていたい。すると母は切り札を出した。

「後で枇杷(びわ)大量に送るけん!」

「是非とも行かせて下さい」

枇杷が大好物の私は即答した。



②パンツの川のほとり



 弟思いの私は上司に頭を下げ金曜に半休を取って2.5連休を作り、飼いマングースのグッさんはマングース可のペットホテルに預け、特急に飛び乗った。


 弟の住まいに行くには県境を二つ越えなくてはならない。まずは特急で二時間弱。そしてクリスタルキングが高音ボイスと低音ボイスを駆使して歌い上げた九州一の大都会(意味がわからない方はお父さんかお母さんにきこうね)から、さらに鈍行で一時間半。


 母から聞いた住所を頼りにやっとのことで弟のマンションにたどり着く。見上げると私のアパートの百倍は立派な建物である時点で舌打ちして帰りたくなったがなんとか耐え、エレベーターで八階へ向かう。


 私も弟が可愛くないわけではないのだ。歳が離れているので、マサルは弟というよりは息子に近い。オムツが汚れたら変えてやり、休みの日には小さな彼をベビーカーに乗せ、そこら中を車酔いするまで全速力でビュンビュン駆け回っていたのだから当然だ。


 弟との輝かしい日々を思い出しながら彼の部屋の呼び鈴を押すが、応答がない。仕方がないので母から送られてきた合鍵を差し込み、細くドアを開けてみた。

「マサル! いる⁈」

「……ちゃん……ちゃん……」

耳をすますと部屋の奥から、か細い声が聞こえてくるではないか! 助けを求めるような、それはそれは切実な声……。


「大五郎……じゃなかった、マサルーー!!」(大五郎がわからない方はお父さんかお母さんにきいてね。)

慌てて靴を脱ぎ奥の部屋に駆け込むと、弟は押入れから崩れ落ちた大量のしましまパンツの下敷きになっていた。もはや「男おいどん」の世界である(男おいどんがわからない方はお父さんかお母さんにきこうね)。


 駆け寄ると彼はうつろな瞳でこちらを見た。

「ハァハァ……グェホッ! ねえちゃん……あぁ、ねえちゃんの声が聞こえる……幻も見える……ねぇちゃん……オレはもうダメだ……ほら、ここにしましまパンツの川があってさ。虎のパンツをはいた鬼がね、渡し賃に六枚のしましまパンツを置いてけって言うんだけど……ハァハァ、グェホッ! 『お前のパンツ汚すぎ』って突っ返されちゃった……ねぇちゃん今すぐ洗濯してくれよ……六枚だけでいいからさ……グェホッ!」

「ダメだマサル! 渡っちゃダメだーーー‼︎」


 私は必死でパンツをかき分け弟をパンツ地獄から救い出した。それからペットボトルの茶を口に含ませ、念のため持参した弟の好物の栗まんじゅうを食べさせてやると、彼はなんとか正気を取り戻した。

「……オレは一体何をしていたんだ」

「イヤこっちが聞きたいんだけど……」

「ねぇちゃん……良かった、幻じゃなかったんだ……助かったよ」

むしろ全てが幻であって欲しい。そう思いながら私はパンツ及び様々な物体がそこら中にとっ散らかった部屋を見渡した。そしてとりあえず母を安心させるため、「あなたの末の息子、パンツに殺されそうになってましたよ」という文面と共に、栗まんじゅうをむさぼり食う弟と部屋の有様を写メで送っておいた。



③弟の汚部屋



 弟の部屋は、凄まじい汚部屋(おへや)と化していたのである。


 私が先ほど駆け抜けた玄関と台所では一面に積まれた雑誌類やビニール袋や衣類の塔が走った振動で崩壊してしまっている。外はまだ明るいのにカーテンは閉め切られ、つけっぱなしの蛍光灯の光の下に舞う埃のシャワーは喘息を誘発しそうだ。窓際にも壁際にも物があふれて身動きすら取れない。物は四方から部屋中央へ傾斜をつけながら溢れており、中央にはわずかばかりの床がのぞいている。弟の部屋はアリ地獄の巣さながらとなっているのだ。巣の中心はパンツの崩落によりさらに狭められたようで、栗まんじゅうを貪る弟のそばに、私は爪先立ちでなんとか立っている有り様であった。


 ホテル代を節約する為にも今夜はここに泊まろうと思っていたのだが……。いつまでも湧き上がる埃の中で、遠慮がちに呼吸をしながら今後どうするかを考える。


 すると、栗まんじゅうを食べ終え人心地(ひとごこち)ついたらしい弟は言い訳を始めた。

「違うんだよねぇちゃん! オレは決して怠けていたわけじゃないんだ! 学業にサークル活動に飲み会に、バイトに宴会、合コン、麻雀に饗宴、コンパに酒盛り……、仕事だけやって休みの日は寝てるだけのねぇちゃんの千倍は忙しいんだよ!」

「一言多いんだよこの青二才がァァ‼︎‼︎」

この期に及んで生意気なことを抜かす弟の口にしましまパンツを丸めて押し込むと、彼は静かになった。いい気味だ。


 弟が生きているとわかった事だしさっさと帰っても良かったのだが、涙目で口いっぱいにパンツを頬張りながら転げ回っている彼を見ているとなんだか不憫(ふびん)になってきた。それにこのままでは両親の老後がパンツ代により破産する。


 仕方がない、一応は可愛い弟のためだ。この部屋に最低限の清潔さを呼び戻すため、一肌脱ぐことにしよう。最初にどこから手をつけようかと弟と共に部屋を歩き回る。


 私はシンクに積まれている食器の中にたたえられたゼリー状のものを指して問うた。

「これは何ですか?」

「それはかつて野菜スープだったと思われる黒色のブヨブヨです」


 靴箱の上に転がっている、薄オレンジ色と透明に分離したドロドロの入った小袋を指して問うた。

「これは何ですか?」

「それはいつか使おうと取っておいたマヨネーズの小袋です」


 リビングの隅に置いてある、異臭を放つ黒褐色の何かを指して問うた。

「これは何ですか?」

「これは椎茸栽培セットの成れの果てです」


 こんな調子で弟の部屋には得体の知れない物体で溢れかえっている。これは徹夜だぞと覚悟を決めた私は「二人分の就寝スペースを確保しておきなさい」と弟に命じ、まずは夕食とゴミ袋を買いに部屋を脱出した。



④ゴミ分別地獄



 ところが。スマホの地図アプリを頼りにたどり着いた近所のホームセンターで、私は頭を抱えることとなる。自治体指定ゴミ袋コーナーは、棚の端から端まで様々な色や大きさのゴミ袋で溢れかえっているのである。


・資源ゴミA

・資源ゴミB

・資源ゴミC

・資源ゴミD

・資源ゴミE

・資源ゴミF

   ・

   ・

   ・

・資源ゴミZ

・資源ゴミa

・資源ゴミb

・資源ゴミc

・資源ゴミd

・資源ゴミe

・資源ゴミf

   ・

   ・

   ・

・資源ゴミz

・資源ゴミα

・資源ゴミβ

・資源ゴミγ

・資源ゴミδ

・資源ゴミε

・資源ゴミζ

   ・

   ・

   ・

・資源ゴミω

・資源ゴミI

・資源ゴミII

・資源ゴミⅢ

・資源ゴミⅣ

・資源ゴミⅤ

・資源ゴミⅥ

   ・

   ・

   ・

・資源ゴミXXX

・燃やせるゴミ

・燃やせないゴミ

・燃やせると見せかけて燃やせないゴミ

・燃やせそうで燃やせないちょっと燃やせるゴミ

・燃やせそうで燃やせないちょっと燃やせる……と見せかけて実は燃やせないゴミ

・燃やせる……と、思うじゃん? ところがどっこい燃やせないゴミ

・人生の醍醐味

・意気込み

・凄み    etc、etc……


 悪い予感がした私は棚の前でスマホを取り出し、弟の住む自治体のゴミ分別方法を調べてみた。そして彼の部屋が混沌と化した理由がわかった気がした。表示されたページには事細かに分別の仕方が記載されているが、画面全体にごま粒みたいな小さな文字がぎっしりと並び、スクロールしてもスクロールしても全然下まで行きつかない。本にするとタウンページ(上中下巻セット)以上の厚さになるのではないか。


 マサルはマイペースなクセに妙に生真面目なところがある。分別を完璧にしようとするも、やり方がわからず後回しにした挙句あの惨状となってしまったのだろう。


 とりあえず燃やせるゴミ袋を中心に何種類かのゴミ袋と、ヤケクソで鰻重弁当を二人分購入し部屋に戻った。ドアを開けると弟の笑い声が聞こえてくる。なんとマサルは部屋を片付けるどころか漫画を読んでいたのだ。

「ほらねぇちゃん、パンツの下から漫画がたくさん出てきたよ」

「古本は確か資源ゴミBだが……生きた人間は何ゴミだったかね」

弟の首根っこをつかむと彼は「ちぇっ」と舌打ちして漫画を閉じた。いちいち生意気な男である。



⑤分別開始



 腹ごしらえが終わり、やる気のないマサルと共に片付けを始める。タイムリミットは明後日の夕方、とにかく時間がない。

「『かつて野菜スープだったと思われる黒色のブヨブヨ』は、どう考えても燃やせるゴミでしょ」

「いや、ちょっと待って」

マサルはスマホ画面を操作し、『五十音別ゴミ分別辞典』の『か』の項目のページをこちらに向けた。

「ほら。『かつて野菜スープだったと思われる黒色のブヨブヨ』は『燃やせそうで燃やせないちょっと燃やせるゴミ』だって!」

「なんでそんな項目載ってんの⁈」

品目が妙に細かすぎる。

「これでわかったろ? うちの自治体、べらぼうにルールが厳しいんだって! 諦めて卒業した後で引越し先に持ってくしかないよ!」

「卒業前に床が抜ける‼︎」


 罵り合いながら少しずつ袋にゴミを投じていると、二時間ほどでゴミ袋が六つパンパンになった。このマンションのゴミ集積所はいつでもゴミを捨てて良いらしいので、捨てに行くことにする。


 集積所はマンションを出て、建物の脇まで行かなければならない。ゴミを置いて部屋に戻ろうとした時、近くに何かの気配を感じた。見回したがすでに日が沈んでいるので良く見えない。

「今、何か動かなかった?」

「気のせいだろ」

「そう?」

おそらく置いたばかりのゴミ袋がバランスを崩して倒れた音か何かだろう。私たちはマンションの入り口へと向かった。


 そしてドアを開けて数メール進んだ時――

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