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実験8

「到着ですわ!」


 魔動車から降りたラジアータの第一声はそれだった。腕を大きく掲げ、今にも踊り出しそうなポーズの彼女はいつになく嬉々としている。


「ささ、どうか見てくださいデンカ様! それにリリアさんも!」

「あ、はい! 今出ますね」


 ラジアータの声に答えるようにリリアが魔動車から降り、そしてそれに付いて行くようにしてデンカも降りた。ラジアータの言っている『見て』というのが何を指している物なのかは、車の外に出た瞬間直ぐにわかった。


 それは、目に入らざるをえないだろう。


「凄いでしょう、この町――テアドールの町は! ここから見る景色は何度見ても圧巻ですわ!」


 三人の眼前にあったのは巨大な穴だった。その円周は見渡すことの出来ない程に大きく、落ちれば死を確信できるほどに深い。彼女達が通ってきた平地からその穴が突然に出現する様は、さながら断崖絶壁の世界の果てに到着したかのようだ。


 それが世界の果てではないと確信できるのは、その穴の中を覗いた者だけだろう。


 深いとは言え底の見えるその穴の中には、絵画のごとく色鮮やかな風景が広がっている。それは建物の屋根であり、張り巡らされた道であり、何よりその町そのものだ。


 巨大な谷の底にある町、それが劇場の町テアドールの姿だった。


「話には聞いていましたが、実際に見るのは初めてです。本当に美しい町ですね……」

「良くこんなところに町を作ろうなんて思ったね。ずいぶん攻め入りやすそう」


 感嘆の息をもらすリリアに対して、デンカの反応は淡々とした物だった。


 しかし、彼女が口にした疑問は頭ごなしに無粋だと決めつけられる物でも無いだろう。戦争において高い位置が低い位置より優位だというのは一般的にも言われている事であり、城壁という概念の対極をいくようなこの町のあり方はあまりに無防備に過ぎる。穴の周囲に柵がはられてはいるが、それだって中を守るためではなく覗き込む人を落下から守るための物だ。


「仕方の無い事だよ……それは」


 気だるそうに外に出ながら、イベリッサはそんな言葉を口にした。


 デンカ同様、イベリッサもこの町の様子にはさして感動していない様子だった。それは一緒に出てきたイクアシアが目を輝かせている姿と比較すると、余計に際立っている。


「こんな場所に町を作る意義も技術も無かったの……この場所がデルフィニラ国の国土になった直後はね。そして町を作る技術が手に入ったとき……デルフィニラ国は更に大きく強くなっていた。この場所はデルフィニラ国では比較的に中央よりにあるでしょう。そんな場所が攻め入れられるなんて想定が馬鹿らしくなるくらい、この国は強大になった」

「でも今の話だと技術はあっても意義は無いんじゃない? できるから、というのはやる理由にはならないでしょう」

「確かに誰も意義があるなんて思わなかったらしいわ……たった一人を除いて」

「その話でしたら私も知っています!」


 デンカとイベリッサの会話に元気良くイクアシアが割り込んだ。


「その一人とは稀代の芸術家、フラヴィア・カンタリス! 当時のデルフィニラ国王陛下に大層気に入られた彼女は、貴族の地位と好きな地を領土としてを与えると言われ、その時に彼女が選んだ場所がこの地だったそうです!」

「ふぅん。それでなんでこんな場所を選んだの?」

「それはですね――」


 デンカの疑問にイクアシアが答える。


「それは……」


 ――かのように思われたが、イクアシアは言いよどんでいた。


「知らないのに私の話に割り込んだの……? イクアシア」

「ううぇえ」


 露骨に不機嫌な様子のイベリッサを見て、イクアシアは訳のわからない声を出した。きっと新種の悲鳴だろう。


「結局なんでこんな場所を選んだんだ……?」


 デンカが疑問を再度口に出す。答えられていなかったから当たり前と言えば当たり前だ。


 そのタイミングを見計らったように、ラジアータがデンカに近付いた。


「フラヴィアにとってこの町その物が一つの芸術作品だったからですわ!」

「芸術作品……」

「はい! あらゆる芸術分野で名を馳せた彼女の、最大の建築であり絵画であり音楽であり文学。作品名『テアドール』。そしてこの作品を飾るのにこの地以上の額縁は存在しませんわ」

「なるほど」


 デンカは納得する。確かにそういった意味があるのなら、町の全貌が見渡せる事に大きな意味が出てくるのだろう。


 あまりにも途方もない話であることには、依然変わり無かったが。


「でも、彼女にはここしか選択肢が無かったという説もあるんですよ」


 そうリリアが口を挟む。


「どういう事?」

「デルフィニラ国の王は代々独裁的な権力を持っていましたが、だからと言って芸術家に地位と領土を与えるというのは難しい話だったんです。他の貴族の反対というものがありますから」

「貴族だと足の引っ張り合いとかはしそうだもんね」

「その言い方は語弊がありそうですけど……でもデンカが想像している事と大きな差は無いのかもしれません。他の貴族の反発が容易に想像できたからこそ、聡明なフラヴィアはそれを避けるためにあの地獄のような穴を領地に決めたと言われているのですから」

「確かにあんな穴だと文句の言いようが無いか。いくら面積が大きくたって、使うことができなければ無用の長物だし」

「そういう事ですね。結果としてこのような町を築くことができたのですから、流石フラヴィアは天才だったという事なのでしょう」

「なにが本当なのかはわからないけどね……でも彼女はその授与式の時、彼女に反感を持っていた貴族たちの前でこう言ったそうよ」


 再び会話に参加したイベリッサがなぞるようにその言葉を繰り返す。


「『私の求める究極の芸術とは、平常とは一線を画した高みに存在する物だ。この私ならば、地獄にすらも天上を彩って見せよう』」

「まさか……そのためにこの場所を?」


 ――地上とは、文字通り異なる高さに存在するから。


「そうに違いありませんわ! 彼女の作品にはそういった理念が確かに存在しますもの」

「だとすれば、すさまじいこだわりだよ」

「ロマンのある話じゃありませんこと?」

「この領地を与えられたからそんな言い回しをした……そういう可能性もあるけどね。いずれにせよ、これが芸術と言われてもピンとこないな……私には」


 ラジアータの発言に水を差すようなイベリッサの言葉だった。


「もう、イベリッサは情緒という物がありませんわね」

「私も芸術は昔からよくわからないや。いくらなんでも城壁すら作らないのはどうかと思うしね」

「流石デンカ様はクールですわ!」

「なんだぁ……これは……」


 イベリッサはめんどくさそうな顔をして、でもめんどくさそうな顔はいつものことだったのでそのまま口を開いた。


「でもこの町にはね……理論とかそういった物では説明しずらい事があるんだよ。伝説とか……噂話とかの類なんだけど」

「イベリッサはそういう話が好きですわね」

「うん……好き」

「で、なんですの?」

「この町の設計図がフラヴィア一人の手によって作られているという話は……知ってるよね?」


 イベリッサの質問に、デンカ以外の三人が頷く。


「勿論ですわ、だからこそこの町が彼女の作品であるというのは有名な話ですもの」

「一人で? この町全部を?」


 デンカが珍しく驚いたような声を出す。


 この規模の町の設計図を一人で描き切るなど、考えるまでもなく自分には不可能だと結論付けられるからだ。いや、一生涯をかければ『もしかしたら』可能なのかもしれないが、それは考えたくもない可能性だった。


「流石に、設計図と呼んでいいほど詳細に描かれた物ではないと聞いています」


 デンカの驚愕を察してリリアが付け加える。


「建物の位置と大まかな形状や外装や機能は書いてあったそうですが、建物によっては内部がどうなっているか一切の記載がなかったり。絵画に例えるなら、まだ下書き段階の物だそうですよ」

「私は展示されている物を見ましたが、確かにスケッチのようなラフな物でしたわ。それでもこの町全てと言うのは凄まじい領でしたけど!」

「ふーん。まぁそれなら確かに何とかなりそうだね」


 結局自分がやるとしたら同じ形状の建物を繰り返し配置するだけになりそうだけど、とデンカは同時に考えたが。


「重要なのはね……こんな巨大な計画はフラヴィアが生きている間だけじゃ完成しないって事。長い年月をかけて、ようやくこの町はその穴すべてを埋めるまでに至ったの」

「そりゃそうだ」

「そんな長い年月が経てば当然使える技術は増えるし……家にも新しい機能が備わってくる。でもね……フラヴィアの設計図にはそういった物を予想できていたのではないかという痕跡があるの。技術がなければ不可能な構造とか……逆にフラヴィアが生きていた時代には無意味な空間が後になって使われたり」

「それは……知りませんでしたわ。本当ですの?」

「さぁ……噂だからね。でも皆……とくにデンカにはこの話をしておいて良かったわ……これから会うであろう人物、リード・カンタリス――現リード・エル・デルフィニラスはそんな天才の子孫なのだから」

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