実験12
「リリアドラス様。ここが、先ほど説明していた場所です」
目の前にいる王女にそう説明しながら、木こりの代表をしている男は不安気に昨日の出来事について考えていた。
昨日、イベリッサはこの村が現在置かれている状況について手助けすると語ったが、具体的な方法に関してはデンカが何とかする以外に何一つ説明しなかった。彼が考え、不安に思っていたのは正にその『具体的な方法』についてだ。昨日イベリッサにその事について問いかけた者が何人かあったが、どの質問に対しても『実際に見た方が早い』と曖昧な返答を返されていた。
村が危機に陥っているというのはいい。いや、勿論『良いか』『悪いか』で言えば悪いのだが、そういう状態にあることを理解する事はできる。その事を悔いても過去に戻ってどうできるわけでも無いし、そういう状態になってしまったことについては受け入れる事ができる。だが――その危機をどうでもいいと見過ごすわけにはいかない。不確かな保障にすがりついて、最後に『やっぱり駄目だった』というわけにはいかない。
「こちらで皆さんはいつも作業されているんですか?」
男にリリアが問いかける。
「はい。もちろん同じ木を切り続ける訳にはいきませんから、多少位置はずらしています。ですが、おおよその位置に間違いはありません。ここが我々の作業場で――今、村で一番魔獣の被害が出ている場所です」
木を切るには木のある場所――森に向かわなければならない。そして森が魔獣の主な生息地であるため、彼らと魔獣の行動がかぶさるパターンが最も多かった。
実際、魔獣の大量発生が始まった後に最初に被害を受けたのは彼らだ。初めはたまたま魔獣が迷い込んだのかと思っていたが、被害が増えるにつれどうもそうではないらしい事がわかってきた。今、この森にはかつてない数の魔獣がひしめいている。男はこの場所にいて既にそのプレッシャーを感じることができた。
そんな彼の様子を見て、安心させるようにリリアが言う。
「大丈夫ですよ、デンカはとても強いですから。魔獣が相手だって絶対に負けません」
「はぁ」
リリアの隣で仲睦まじく手をつないでいるデンカを見て、男はどうしても気の抜けたような返事をしてしまう。
仲が良いのはよろしい事だが、魔獣の危険性を身をもって味わっている彼からしてみれば、状況を軽く捉えているとしか思えない。それにデンカが無骨な大男ならまだしも、彼女は年相応性別相応に華奢な少女にしか見えないのだ。
無論、スキルや才能が強さの大半を決定付けるこの世界において、外見が強さの指標になり得ないという事は男だって理解している。目の前の少女がそれほどのスキルを持っている可能性だって、凄まじい魔法の才能を持っている可能性だって否定はできない。
だがそれでも。外見が一つ判断基準となる以上、現在の彼にとって信頼できる事など何一つ無かった。
「じゃぁ。仲間にだけ仕事させて俺だけサボってるって訳にもいかないんで、そろそろ俺も作業に取り掛かります。もし魔獣がでたら……その時はよろしくお願いします」
「ハイ! 何かあったらすぐに呼んでくださいね」
= = =
コンコンと木に斧を打ち付ける音がリズムを作る中、リリアとデンカは森の木陰で隣同士に座っていた。
王族であるリリアはともかく、デンカはスキルを使って木を切る手伝いをしてもいいと考えていたのだが、現在の彼女の目的に専念するためにあえて待機していた。
「それにしてもさ、いくら『魔獣に弾丸が通用するか確かめるため』とはいえリリアまでくる必要は無かったのに。少しでも危険があるなら、安全な村の方で待機してもらった方がわたしも安心できたよ」
「そういうわけにはいきません。私、デンカが島に行った事を今でも反省してるんですよ? デンカは一人で行動してるときに無茶をしすぎますから……。それに、私だって魔法が使えますから、魔獣相手なら多少は手助けできるつもりです」
「あはは……。島に行ったのはわたしも少し反省してるって」
頭に手をあてながらデンカは済まなそうに謝る。
そして突然真剣な表情を作ったかと思うと、デンカはリリアに真っ直ぐ向いて、繋いでいた手を両方の手で握り占めた。
「でもさ、わたしはリリアの騎士だから。リリアが望むならどんな事だってしてみせるし、リリアを守るためならどんな敵とだって戦って見せる。それこそ魔獣だって例外じゃない」
「デンカ……」
リリアは少し恥ずかしそうな、少し嬉しそうな、それでいてどこか難しそうな顔をした。そして――柔らかく微笑んだ。
「それなら、私はなおさらここに居るべきなのでしょうね。他のどの場所でもなく、あなたのすぐそばに。だってデンカは私の事を絶対に守ってくれるんでしょう? それなら、私にとって一番安全な場所はきっとここにある」
「うん……うん! それもそうだね! リリア、わたし改めて誓うよ。わたしがいるかぎり、あなたの事を必ず守る!」
その決意を告げて、デンカはあらん限りの笑顔をリリアに見せた。他の誰にも――それこそこの世界とデンカが居た元の世界の両方を合わせても、一人として見たことのないような純粋な笑顔を。
それは間違いなく、リリアという人間が得ることのできた、世界にただ一人専用の特権だった。
「ありがとうございます、デンカ……」
素直に感謝を告げると、リリアは小さく呟いた。
「――でも、無茶はしないでくださいね。私は自分が傷つくことは勿論嫌ですけど、他の誰かが傷つく事だって嫌なんです。この戦いで家族で争うことだって、無ければ良かったって思っているんですよ……」
小さく紡がれたその言葉がデンカに聞こえていたかどうかは――今はまだわからない。
= = =
木こりが斧を振り上げる。
そして斧が振り下ろされる。
また斧が振り上げられ、
また斧が振り下ろされる。
繰り返し繰り返し、同じ作業を目標数まで延々と。
こういった作業を簡略化できるような魔法が開発されないかと男が願ったこともあったが、単純に水をまけばいい農作業と違い、木を切るための魔法というのはそれなりの技術と知識が必要になるものばかりだった。それゆえに、今でも最も効率のいい木の切り方は変わっていない。
斧を振り上げ、
振り下ろす。
何千回と繰り返してきたこの作業は、男にとってはもはや呼吸をするのと同程度に体になじんだ動作だった。その男一人だけではなく、周りにいる数人の木こりたち全員にとってもそうだろう。
だが、そんなベテランの彼らが今日は違和感を感じていた。
魔獣の事ではない。
木こりをやっているならば、魔獣と相対する可能性はどんな時だって考えなければならない事だ。今はただ単にその可能性が高まっているというだけ。
(何をやっているんだ、あの二人は……)
彼の視界のはしでは二人の少女、デンカとリリアが楽しそうに笑い合っていた。しかもただ談笑しているだけでない。青春真っただ中の村の若者にも引けをとらないくらいの度合いでくっついていた。早い話が、イチャイチャしていた。
少なくとも木こりの男にはそう見えたのだ。
(魔獣が出るかもしれないと知っているはずなのに危機感がないな)
それともそれだけの力を持っているという事なのか――
非難するわけではなく、男は冷静にそう分析していた。
力を持っていても持っていなくてもどちらでもいい。そんな風に考えられるのは、彼が曲がりなりにも木こりとして何十年も過ごしてきたからだろう。魔獣が出てきた場合、倒すまではいかなくとも逃げる事はできる。だからこそ彼は何十年も木こりとしてやっていけたのだし、魔獣が大量に発生している今誰一人として死傷者が出ていない状態を保っているのだ。
(もちろん、魔獣が出ないに越したことはないが……)
だが、彼のその考えは裏切られる事になる――それも、最悪の方法で。
「出たぞ! 魔獣だ!」
左の方で作業していた男が大声を上げる。
それを聞いた瞬間、作業していた全員がその場に斧を投げ出し、声とは反対方向に駆け出した。金品を狙う盗賊とは違い、魔獣は物は奪わない。場所さえ覚えていれば、命さえあれば。斧などいくらでも取り戻せる。
躊躇するものなど居るはずもない。彼らはベテランの木こりであり、それはいままで何十回と繰り返してきた作業のうちの一つだ。
だが、走り出した彼らはすぐに立ち止まる事になった。
その方向にも、反対方向にも、左にも右にもどの方向にも。ゆっくりと茂みの中を動く影があるのだ。
彼らは――囲まれていた。




