実験26
フューレの眼前に迫りくるのはシグレによって放たれた九つの弾丸だ。その一つ一つが高い威力を持ち、近付く事すら許さない広範囲の攻撃。それが九つあるとなると、もはや逃げる場所など存在せず、躱すことも不可能。
ましてやそこに真っ直ぐに突っ込むなど、攻撃を食らうか食らわないか以前に一体いくつの攻撃を受けることになるかの問題だ。
ビショップはそのうちの一つを受けただけで右手に大きなダメージを負った、それも窓を割った後で威力を失った後の攻撃によって。ならばこの至近距離で放たれた攻撃を複数受ければ、その結果は広間の死体のように黒こげになって終わるだけなのは明白。
だが、デンカはそこに突っ込めとフューレに指示を出した。
普通の人間であれば絶対にその指示に従わないし、余程の信頼関係がなければその指示に従える人間も居ないだろう。自分を盾にして助かろうと考えているのか、とでも疑うのが関の山だ。
それは何の補助も無く崖の上から飛び降りろと言っているのに等しい。自殺志願者でもない限りそのような命令には従わない。しかし、フューレの口からでたのは不満でも絶望の言葉でもなかった。
「いいだろう」
そう言ってフューレは前方に飛び込んだ。
それに自暴自棄な様子などなく、それどころがわずかに口角を上げ面白いとでも言うかのように攻撃に直進したのだ。
フューレの弁護をするならば彼は別に自殺志願者というわけではない。彼が『死は恐ろしくない』と言ったのは紛れも無い事実であり、むしろ死を望んでいるのも確かな本心なのだが、彼は自殺だけは絶対に選択しない。
その彼が自殺行為ともとれる行動を取ったのは、彼の所持するスキルが原因だった。
未来を見ることの出来るスキル。それを一言で表すならば『見来』。
フューレは時間の制限なく、指定した未来の自分が見ている景色を現在に見ることができた。同時に複数の時間軸を見ることはできないし、未来が固定されてない物である関係上、不確定な事象であればあるほどぼやけて不鮮明にしか見えないという弱点はある。だが、ほんの数瞬先の確定した事象ならば、まるでもう一組の目を手に入れたかのようにはっきりと認識する事が出来た。
故に彼は確信する事ができたのだ。ほんの数瞬先、シグレの作り出した弾幕を越えて生きている自分自身を。
「……!?」
フューレの見ていた未来が確定し、シグレは驚きを隠せない怪訝な表情をする。今まで数えきれないほど弓を射ってきたが、その現象を自発的に引き起こされたのは彼女の長い人生の中でも初めてだったのだ。
フューレに攻撃が当たる直前、一メートルと半分ほどの細長い棒がいくつか彼の前に表れた。それはデンカがスキルにより彼の前方の地面から生やしたもので、シグレの攻撃はすべてそのトゲの先端へと吸い込まれるようにして消えてしまっていた。その針が彼女の攻撃を全て受け止めたのだ。
「まさか――」
気付いたのか、とシグレは考えた。
自分にすら完全には理解できないそのスキルの性質に、目の前の料理人は気付いたのかと。あるいは――この現象について料理人は既に知っていたのかもしれないと。
そして彼女は次の攻撃をつがえた。
敵との距離を考えると、弓を引けるのはこれが最後だ。次に弓を使おうとすればその前にフューレの短刀による攻撃が飛んでくるだろう。
だがシグレは臆する事無く弓を引く。
そして射出されたのは九つの『人魂』。いや、それは――
「『球電』と、そう呼ばれる現象について聞いたことがある」
デンカがシグレに向けて言う。
「わたしは実際に見たことが無いけど、それは空中に発光しながら漂う火の玉のような姿をしていて、お墓に浮かぶ人魂の正体とも言われている。――あなたのスキルのように。わたしの考えが正しければ、あなたのスキルは球電を弓で射る能力、一言で表すなら『弓電』」
「……」
デンカの言葉にシグレは沈黙で答える。だが、デンカにとって話すも話さないもどちらでも良かった。彼女のやる事は変わらない。
「機械! 避雷針を作り出せ!」
デンカが手を前に掲げて叫ぶと、再び針のような形をした器械が創造される。落雷が距離の短い場所に落ちやすいという特性を利用して生み出された避雷針。たとえ雷ではなく球電であったとしても、その距離を近づければ問題なく機能しシグレの放つ攻撃を地面にいなしていた。
「もうわたしたちにその攻撃は当たらない。ここは避雷針の防護範囲だ」
そして――その距離はわずか三メートル。間違いなく近接武器の有効距離。
「確かにただの料理人では無かったようだな」
「料理人より科学者と言って欲しいけどね」
フューレとデンカはシグレの眼前に立っていた。上級を超え、強さの限界点を突破したと言われている超級の射手を相手に、確かにその距離を詰めていたのだ。
それは上級二人が協力しているからといって簡単に達せる事ではない。
例えばもし、ラジアータがフューレに聞いたように貴族が三人揃っていた時に協力し、三対一でシグレを倒そうとしたとしよう。勝負は時の運とは言うが、それでも。そうなっていたのならば絶対にシグレは上級三人を相手にして勝利をおさめていた。
だからこそ、ラジアータがあの時下した逃走の判断は決して間違っていなかったのだ。それは奇跡的と言ってもいいし、運命的と言ってもいいし、あるいは必然だったのだと断言してもいい。
デンカの科学の知識と、フューレのスキルによる信頼があって初めて二人はシグレの前に立つことができる。そうして、初めて勝機が生まれるのだ。
「……あなたのような人間が紛れ込んでいたのは、アルヴェンスにとっては大きな計算違いだったでしょうね」
そう言ってシグレは弓を下した。デンカによって攻撃が回避され、遠距離武器を使う距離も無くなった今、弓を構えるふりをする理由すら存在しないのだ。
「あなたは……騎士なのですか? それとも、まさか本当に料理人だなんていいませんよね」
冥途の土産に教えてください、と言わんばかりにシグレがデンカに問いかける。実際、彼女はそれを聞き出そうと必要以上に弱弱しく振舞っていたふしもあった。だが、デンカはその程度の事で自分の正体をペラペラと喋る人間ではない。
何もしゃべらないデンカの代わりに口を開いたのはフューレだ。それは質問を質問で返す無作法な形で。
「それを知ってどうする? お前はこれから――死ぬ」
それだけ言って彼は二本の短刀を両手に一本ずつ握りなおした。細く短いその剣は正確に相手の急所を貫くための形状であり、フューレの力量であれば針の穴に糸を通す正確さで機能する。加えて彼には未来を見るスキルがあった。
『見来』による行動予測と二本の細剣による急所への攻撃、それがフューレの戦闘スタイルだ。
シグレの心の臓を貫こうとフューレが踏み込む。
そして彼が動いたその瞬間、シグレが口を開いた。
「死ぬ。ですか? それは……『本当にあなたの瞳に映っているのでしょうか?』」
――嫌な予感がしたなどという級位の話ではない。
「ば……」
――その驚愕は筆舌に尽くしがたい。だから。
「馬鹿なッ……」
そう声を絞り出し、踏み込みをかろうじての所で止めるのがやっとだった。
もしその場にアルヴェンスがいたならばこう言っただろう。
「俺はネスタティオを倒して王になるつもりなんだぞ!」
そして続けるのだ。
「ラッドクォーツを相手にするのに、『ただの特級』でどうする?」




