「王国陰謀編」第一章 「首都へ」6ー精霊使いー
城塞都市エーデルの西門を出てすぐ、広大な砂漠と隣接する一角に、その森はある。
乾燥した熱気が木々の間を吹き抜ける。緑は比較的まばらで、砂漠の厳しい気候を思わせる森だった。
その静寂の中――突如として、現実の理が歪み始めた。
――揺らめく空間。
まるで熱炎による蜃気楼のように空間が歪み、その中心から、一人の男が滑り出すように姿を現した。
漆黒のフェルトマントを身に纏い、深いフードを目深に被った老翁である。
それと同時に、森の静寂が破られた。
可視化された無数の妖精たちが、予期せぬ異分子の出現に反応し、光の粒子を撒き散らしながら一斉に騒ぎ始めたのだ。
黒マントの男は、人間の言葉ではなく、流麗で美しい響きを持つ「精霊語」で、彼らに優しく語りかけた。
「すまんすまん、驚かせてしまったようじゃな。なに、故あって精霊界から『精霊の道』を通って参ったのじゃ。向こう側からの無理な移転ゆえ、こちらの空間を少々騒がせてしまったようじゃな」
ざわめく妖精たちの中から、ひと際強く赤く輝く、気の強そうな妖精が一歩前に出た。
男を指差し、警戒心を剥き出しにして叫ぶ。
『あんた、何者だよ!? 俺たちの言葉を解する人間なんて、おかしいだろ!』
「ほっほ、そうさのう。わしは精霊使いのラージェン。精霊たちと意志を交わすことのできる、数少ない気ままな人間の一人じゃよ」
ラージェンと呼ばれた男は、フードの奥から、鋭さと温かさを併せ持つ視線を妖精へと向けた。
「お前さん、火の精霊の手先……火の妖精じゃな。その気の強さと秘めた魔力の高さから察するに、もうじき『上位精霊』へと転化を遂げる刻限を迎えておるな?」
『なっ……!? 俺が……精霊様に転化するだって!?』
思わぬ一言に言葉を詰まらせ、狼狽える火の妖精をよそに、ラージェンは本題を切り出した。
「この辺りに棲まう妖精や精霊たちに伝えておくれ。近い将来、ここら一帯の勢力図に……抗えぬほど大きな変化が起きる。精霊王様からの直接の通達じゃ」
「!」
「特に、森を束ねる上位精霊たちには、必ず伝えるのじゃぞ。頼んだぞ!」
ラージェンの言葉を聞いた妖精たちは、蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。
『大きな変化ってなに!?』
『何が起きるの!?』
『勢力図が変わるって、どういうこと!?』
混乱する妖精たちを前に、ラージェンは威厳の籠もった声で念を押した。
「とにかく! 精霊王様よりの言葉――『この地の一帯の勢力図に大きな変化が起きる』を、森の隅々まで広めるのじゃ! 分かったな!」
その語気に押された妖精たちは、口々に、
『精霊王様からの通達だ!』
『勢力図が変わるぞ!』
と叫び声を上げながら、光の尾を引いて森の奥深くへと散っていった。
最後まで残っていた火の妖精が、気遣わしげにラージェンを見上げる。
『……で、あんた自身はどうするんだよ!?』
「わしか? ふふ、それは内緒じゃよ。まあ、この重大な一件に片足を突っ込んでいることだけは確かじゃがな」
ラージェンは、どこか愉快そうに笑った。
「とにかく、精霊王様から『エーデルン国中の森という森に、この報せを届けよ』と頼まれておってな。あとはよろしく頼んだぞ」
そう言い残すと、ラージェンは現れた時と同じように、揺らめく歪みの中へと、その身を滑り込ませた。
空間が元通りに収束した時には、黒マントの男の気配は欠片も残されていなかった。
後に残されたのは――不穏な未来の訪れを予感し、ざわめき続ける森の木々だけであった。




