3話
少年が来てから数日が経過した。少年の搬送の為に出した手紙も一通目には半信半疑な返答しかなかったが、より少年が書き込んでいた二通目はきっと上手くいくだろう。
家の主ながら、家唯一のベッドの半分を少年に貸し出しているため、最近の寝床である椅子で眠りについた。
真夜中に不審な物音で目が覚める。
玄関のドアが勝手に開けられ、不審者が侵入してくる。
最初は泥棒でも入ったかと思ったが、その行動があまりにも素人のそれであり、自ら持参した灯りのせいでこちらからは犯人の顔が照らされてありありとわかる。
犯人を知って安堵と不安の両方が心の中に沸き起こる。
犯行の理由はだいたい予想が付く。どんなに友人たちに箝口令を敷いてもいつかは漏れ出す。それが予想以上に早く、そして最悪の所まで伝わってしまったわけだ。
犯人はそろそろと静かな足取りのままベッドに近づく。
持ってきた灯りでそこに寝ているのが少年だと確認した後、ナイフを持った手を振り上げた。
そこでようやく彼女の後ろにたどり着き、その手首を掴んで凶行を阻止できた。
「やめてください。こんな事をしても何にもなりません」
「でも、ここに、敵が、主人を殺した奴が」
イザベラは半ば狂乱して、俺の手を振りほどいてナイフを少年に突き立てようともがくが、女性の力で振りほどかれるほどやわではない。
「落ち着いてください。こいつが直接あいつを殺したわけじゃ無い事ぐらい理解しているでしょう」
「それでも、私の主人は、こいつらに」
「あなたの気持ちも痛いほどよくわかります。俺だってあの侵略軍は憎い。ですがそこにいるのはただの少年です。
侵略軍に居たとしても、その戦いももう終わっているんです」
徐々に抵抗する力が弱くなる。彼女も一時的な感情の爆発でこんな事をしただけなのだろう。
ベッドのすぐ近くでそう騒いでいたため、いつの間にかに少年も妻も目を覚ましていた。
妻は驚きながらも事態を汲んで、身を乗り出して少年を守ろうとする。
少年はイザベラと俺の顔を交互に見て、そして口論の内容から大体の事を察したようだ。
少年は体を起こして、イザベラの方をまっすぐ見て真剣な表情で話し始めた。
「夫人の旦那さんについては、本当に残念に思います。
私の家は代々、国王に忠誠を誓いその剣となる事を誉としてきました。ですから、国王の決断に異論を覚える事すら考えたことがありませんでした。
しかし、今回この村の方々の優しさに触れて、蛮族の成敗という国王の意思に対して初めて違和感を覚えました。
私が軍に戻ったら今までの愚直な剣を改め、思慮ある剣として振舞い、このような事が二度と起こらないように国王に諫言していきたいと思います。
そして、もし許してくれるのであれば、私の最大級の哀悼の意を伝える為に、あなたの旦那さんの葬儀に参列させて欲しいと願っています」
少年だとしても貴族の一員らしく、堂々として相手への敬意を込めた言葉。
まだまだ考えに幼い所もあるが、その真剣な態度と言葉は彼女から最後の抵抗力を奪うのには十分だった。
彼女の手から落ちたナイフが音を立てて床に落ちる。俺はそっと手を離した。
彼女は涙をこぼしながら何とか気丈に振舞った。
「葬儀への参列は遠慮させてもらいます。どうぞお早くこの村から出て行って下さい」
それだけ言うと彼女は出て行った。
残された俺達は無言でその姿を見送った。
それから数日が経過し、そろそろ二通目の返信やら迎えの馬車やらが来ても良い頃合いとなった。
あの夜以来、イザベラとは顔を合わせてはいない。きっと少年を保護した俺に対しても強い恨みを持ったままなのだろう。
こればかりはどうしようもなく、時間が解決してくれる事を期待するしかなかった。
その日も連絡がないと諦めかけていた夕暮れ過ぎ。
辺りは既に暗くなり、その闇の中を灯りも付けずに一台の馬車が村の中に入ってきた。真っすぐに俺の家へと向かって来て玄関先に止められた。
乱暴なノックの後、こちらが返事をするより早く扉が開けられる。
なだれ込んできた数人のうち、リーダーと思われる先頭がこちらに武器を突きつけながら低く端的な声で告げる。
「この家に敵国の将校をかくまっているな」
部屋の隅の暖炉に照らされ彼らの服装が分かる。彼らは俺たちが待ち望んだ少年の居た軍の者ではなく、首都陥落と同時に散り散りに逃げたと噂されていたこの国の国王軍の生き残りたちだった。
家の中の空気が一瞬で張り詰める。
ちょうど妻が外出中で助かった。少なくとも妻に被害は出ないだろう。
自分自身も無抵抗を示すため両手をあげる。
「かくまったつもりはない。ただ戦場に生き残りが居たから連れ帰っただけだ。それがたまたま侵略軍だっただけだ」
ここまでされている以上、少年が居る事や少年の素性は知れているのだろう。下手にとぼけても後々苦しくなるだけと思い、素直に認める。
「では、こいつを連れて行っても問題は無いな」
見ればすでに少年は剣の切っ先に囲まれて、両手を挙げている。
わざわざそんな確認をするあたり、もしかしたら俺たちが侵略軍と交渉をしていた事も知っているのかもしれない。
ここで拒否したとしても何も事態は好転しないだろう。
「好きにするがいいさ」
なるべく感情を抑えて言い捨てて、言葉を続けた。
「ただし、この村の医者の見立てではその少年はかなりの重症だ。
あんた達が今この場でその少年を殺害しない所を見ると、何かしらの有効利用をしようと考えているんだろう。
だったらその少年を丁重に扱う事だ。死んでしまっては意味がないのだろう」
「・・・言われるまでも無い事だ」
そう言った男の表情は図星を言い当てられた様に動揺を見せていた。
かまをかけるつもりだったが、どうやら本当に彼らは少年を取引材料にしようとしているのかもしれない。
俺たちが行っていた交渉をそのまま横取りする形で、少年と金品を交換しようとしているのだろう。
彼らに引っ張られるようにして、少年は馬車の中に連れていかれた。
彼らの行為に対して俺は抵抗しようと思いはしたが、体は動いてくれなかった。少年を助けようとすれば乱闘になるのは避けられない。負傷して満足に歩く事すら出来ない俺が複数人の武装した若者に勝てる見込みはあるだろうか。
どう考えても乱闘の後、この場所に倒れこむのは自分だろう。奥歯を噛みしめて自分の不甲斐無さを呪う。
そんな自分に出来るせいぜいの事は、少年の身を案じるだけだった。
少年を含め他の男たちが馬車に乗り込み、最後の一人になった時に話しかけた。
「少年が重症なのはさっきも言った通りだ。もしできるならあんたらの所の医者に診せてやってほしい。
こんな辺鄙な村ではできなかった十分な治療が出来るかもしれない」
自分の口から出た言葉ながら、それはただの要望ではなく懇願に近いものになっていた。
「随分とあの敵兵に執心だな。情でも移ったか」
嘲るような男の言葉に若干の怒りを抱きながら、冷静に答える。
「あの日のあの戦場で少年を見つけ、今日までずっと看病してきた。情ぐらい移るさ」
「それも、あの敵兵を敵国に引き渡して褒美を貰うためだろう」
予想通り彼らはそこまで知っていたようだ。
「そうだとも。確かに目的はそこだったさ」
結果よりも、その過程に大切な部分を見つける事は良くある事。俺はただ単純に少年を死なせたくなかった。
そんな俺の考えなんかはつゆ知らずといった感じの男は、あらぬ方向に考えがたどり着いたようで、厭な顔でにやける。
「あー、なるほど。そういうことか。あんたは得られるかもしれなかったあぶく銭が未だに名残惜しいようだ。
だったら良い事を教えてやる。この敵兵の事を俺たちに通報してくれた愛国心に溢れるこの村の未亡人に、報奨金を渡してやった。
その女と醜く奪い合いでもするんだな」
一瞬後先を考えずに、この男を力の限り殴りつけたい欲求に駆られるが理性を総動員して、何とかその衝動を抑え込む。
俺の事を笑い物にするのも飽きたのか、男は馬車に乗り込んだ。
「本来であれば敵兵を隠匿した貴様は反逆罪で極刑相当だが、今回は特別に不問にする。
今後はその心を入れ替えて愛国心をもって我々に尽くすように」
最後だけ軍人らしい上からの物言いを言い残して、彼らの乗ってきた馬車は来た時同様に闇の中に消えていった。
彼らが去って少しした後、事の顛末を遠巻きに見ていた観衆の中から、恐る恐るといった感じで友人が訪ねて来る。
「おい、大丈夫だったか」
「ああ、特に問題は無い」
「そうか、しかしあいつら本当に評判通りだな。出て行く時に人をひきそうになってもスピードを落としすらしねえ」
「所詮軍人って言っても、中身はただの悪ガキ共だからな」
「あんな侵略軍の奴らに負ける、国王軍もたいがいだけどな」
話の感じから、どうやら友人は先ほどの馬車が侵略軍のものだと勘違いしているようだ。
この闇の暗さのなかで灯りも付けずに行動すれば、遠目からどこの所属かわからないのは無理もない事かもしれない。
だったらわざわざそれを訂正する必要は無いだろう。
「唐突に現れてあっという間に少年を馬車に連れ込んじまった。もう少し恩を売っておけば良かったかな」
わざとらしく大げさに呟く。それを聞いて友人は思い出したように聞いてくる。
「そう言えば褒美の方はどうなった」
「あー、それね」
視線を暖炉の方に移しながら答えた。
「感謝の礼状一枚だけ。腹立たしいから破って暖炉にくべた。数秒の暖かさにはなったんじゃないか」
「おいおい、あれだけやってやったのにたった紙っぺら一枚だけかよ」
「まあ後はあの少年が故郷に戻った後に、改めて何かしらの感謝の気持ちを送ってくれるのを待つしかないな」
「期待してるのか」
「・・・まさか。貴族サマとはいえあんな子供だ。どうこうする権利も持ってないだろうし、どうせ俺たちの事なんかすぐに忘れちまうだろうさ」
「まあ、そんなもんか」
「そんなもんだ。結局そう簡単に楽して稼げないって事だ」
「やだね。そうやってすぐに現実に引き戻す」
友人と二人で笑いあう。これでいいんだ、と心の中で呟く。目的は達成したわけだし、後は秘密を墓まで持っていくだけ。
少年を守れなかった罪悪感で心がボロボロだが、とりあえず今は笑っておいた。
彼が用意してくれたベッドは、私が普段使っていたベッドと相対的に比べれば酷いものだった。
とても質素で正直あれだけの疲れと痛みがなかったら、寝られていたかどうかわからない。
それでも、現在の寝床とも呼びたくない場所と比べれば、十分に快適だった事が今更ながら理解できた。
石で出来た床と壁。そこに掛けるものも敷くものも無く、ただ横になって寝るだけの寝床。
馬車に乗せられてすぐに付けられた手枷はこすれて、手首には跡がついている。
鉄格子の向こうには私をここまで連れてきた数名の男達。
彼らの会話を聞いている限り、侵攻軍が首都を陥落し残党が散り散りに逃げたという、村で聞いていた噂は事実のようだ。
彼らもそんな逃げた残党の一派であり、他の残党との連絡も付かず、現状が孤立しているだけなのか既に他の残党が壊滅しているのかすら見当が付いていない状況らしい。
森の中に孤立してある軍事施設の跡地であるこの場所は、見つかりづらいが、かと言って攻勢に出られるほど良い場所ではない。
彼らのリーダーの考えにより、捨て鉢に死を急ぐよりも散り散りとなった仲間を再集結させるべきとの方針で彼らは行動しているようだ。
そのための資金源として私は捕らえられたままとなっていた。
彼らはあの村の人々のように謙虚ではなく、強欲に身代金として多額の金品と捕えられている仲間の開放を要求した。
交渉は難航してなかなか折り合いを見せないようだ。
それだけ日数を要して、それだけ彼らと同じ飯を食べる事になる。村でふるまってもらった負傷者でも食べやすく温かい食事を恋しく思う。
幸いな事に私を殺害するという選択肢は今のところ考えていないようだ。殺害してしまえば交渉は破綻するし、侵攻軍からの最初の交渉時の通達として「そのようなことになれば大規模な山狩りを行い直ちに君たちを抹殺する」と本気とも脅とも取れかねない一文を彼らは気にしていた。
仲間との連絡は通れないし侵攻軍との交渉も進まず、何も進展しない状態は彼らの意識も弛緩させた。
元軍事施設のため、私が入れられている牢は頑丈で何も持っていない私が簡単に脱出をはかる事は出来そうに無い。
唯一牢の扉が開くのが給仕の時のみ。毎日時間通りに食事を運び込んでくれる。
彼らには当初のような緊張感が無くなり、おざなりに無駄口を交わしながら牢を開けて中に入ってきた。
一瞬の隙をついて、入ってきた男に飛び掛かり腰に吊るしたナイフを奪う。
手枷があるとはいえ、振り上げて振り下ろす事は可能だ。完全に虚をつかれた不幸な男の胸にナイフを突き立てる。
そのまま牢の外に出ようと顔を上げた時には既に、複数の切っ先がこちらを向いていた。
1人2人ぐらいなら倒せるかもしれないが、ナイフ一本で戦うには敵が多すぎる。
こちらが躊躇しているうちに、敵のリーダーが号令を発する。
「いいか、殺すなよ。生け捕りにしろ」
そう言って私を囲む各人に盾が渡されそれを前面に突き出し、徐々に近づいてくる。
こうなってしまっては1人すら倒せる見込みが無い。
私は手に持ったナイフを自らの首にあてがった。
今ここで自ら命を絶てば、彼らの交渉は水泡に帰す。
侵攻軍は無駄な出費をする必要が無くなり、更には山狩りの口実も手に入れられる。
名家たる私の家も名前に傷が付く事無く、若き子息は戦場で勇敢に戦い戦場に果てたと美談を作り上げることができる。
これほどの好機はないかもしれない。
そう思ったが、頭に浮かんだのは彼の笑顔と村の人たちだった。
戦場で死にかけていた私を村まで連れてきてくれて、応急処置と温かい食べ物を提供してくれた彼ら。
彼らは今ここで私が利他の為に命を落とす事をどう思うであろうか。
喜んでくれるだろうか、いや、彼はきっと喜ばない。
そうだ。私にはまだやらなければならない事がある。彼らにちゃんとお礼を言いに行かなければ。
そして、顔も知らないあの人の葬儀に参列をしなければ。
首元に当てていたナイフを落とす。同時に数人の男がのしかかるようにして私の動きを制限し、その場に引き倒した。
私は私自身の欲の為に、利己的に生き残る事を決断した。