本とパンが好き過ぎるお嬢様④
その後、アリシアは三日に渡ってパンを作り続け、段々と望む通りのパンを作れるようになっていった。
残念ながらミシェルの両親であるシュタイン公爵とエメラティ夫人は公爵領に滞在しているため、アリシアは会うことができなかったが、その代わりに長男のアレンが改めて正式な客人としてアリシアを歓迎してくれた。
両親から「うらやましい」「私達の分も残しておいて」「いっそこっちに来て」との手紙を立て続けに受け取る羽目になったアレンに少し申し訳なく思いつつも、ミシェルはアリシアのパンをほぼ独り占めしつづけている。
ポンコツになりかけていたジュリアスもアリシアになんとか慣れて、二人はよく話すようになった。場所は厨房、話題はパン。
流石と言うべきか、ジュリアスの知識と経験に基づいたアドバイスは的確であり、アリシアはスランプを脱却しつつある。ミシェルは日に日に完成度が上がっていくパンを思う存分堪能できる幸せに溺れ、ニコニコしていた。
…していたのだが。
「お嬢様…」
「ふ、太ったわ…」
四日目の朝、湯浴みを終えたミシェルはなんとなく体重を計る気分になった。結果何が起こったかは言葉の通りである。ミシェルは食べても太りにくい体質なのだが、今回は流石に食べ過ぎたらしい。
かつての義姉のようにorzの体勢で絶望するミシェル。当人よりもショックを受けて白目を剥きそうなメイドさん。朝からクライマックスを迎えつつあるミシェルの部屋へ、朝食の時間を知らせに来たガス。しかし彼は事情を聞いた後で優しい目でミシェルをそっと立ち上がらせると「大丈夫だすよ!」と明るい声をかけた。
「お嬢様はいつもと変わらずとても素敵だす。体重計は見た目まで計れないだすよ」
「お嬢様が………キロ……」
「で、でも…不摂生だって叱られたらどうしよう…パーティーでダンスを踊って痩せなさい、なんて言われたら…」
「……キロ………」
「心配いらんですだよ!ここに来た時みたいに、アリシアお嬢さんと一緒にお散歩すれば、すぐに痩せられますだ」
「…本当?」
「…………お嬢様………キロ………」
「メイドのお嬢さんも、しっかりするだすよ!おいらに比べたら、こんなの羽のように軽い重さだす!」
「ハッ……そ、そうですね、ありがとうございます、ガスさん」
涙目のミシェルとメイドさんを勇気づけるようにニコニコして、ガスは大きく頷いた。
気を取り直したミシェルは、食堂に向かいながら体重を元通りにするための計画を頭で考え始めた。
原因は摂取する栄養が消費する栄養を上回ってしまったこと。ならばパンを我慢するか、運動をするかだ。その二つなら迷う事はない。運動である。
そういえば、とミシェルは思い出した。
レイモンドは現在も自宅療養中なのだが、その治療を手伝っているリリアは週に何度か城へ行き、学者様の研究を手伝っているのだ。それに関して、空いている時間があれば、少し知恵を貸して欲しいと先週頼まれていた。
いつやるの?今でしょう。
ミシェルは頭の中でやることを整頓し、先程までの落ち込みが嘘のようにハキハキとガスに馬車の用意をするよう伝えた。
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朝食を食べ終えたミシェルはリリアの部屋へ向かった。
最近リリアとレイモンドは、二人きりで食事をとっている。婚約したてだから二人の世界にいたい、なんてロマンチックな理由ではなく、ストレスを少しでも減らすための対策だ。あれこれと気を散らしてしまうレイモンドは、落ち着いて生活をすることすら難しいようで、最近は出来る限り動き回らないようにと言われているそうだ。
正直なところ、ミシェルは自分の不甲斐なさを悔しく感じているのだ。こんな時に限って、頭の中の様々な知識は役に立ってくれなかった。何の為に本を読み漁っていたのかと自分を叱り続ける毎日だった。リリアが来てくれたから少しは気が楽になったが、大切な家族を助けられなかったことに変わりはない。
だからリリアとレイモンドの邪魔をするのは気が引けてしまうのだが、今は心強い理由がある。
ミシェルは思い切ってドアをノックし、レイモンドと談笑している義姉に声をかけた。
「リリアお義姉様、お兄様、少しよろしいですか?」
「はい、どうぞ中へ」
「失礼します。おはようございます、お義姉様。あの、今日のご予定をお聞きしたいのですが…」
「おはようございますミシェル様。今日ですか?そうですね…特に決めておりませんわ。何かご用事があるのならば、喜んでお聞きいたします」
「本当ですか!?実は先週仰られてた事について詳しくお聞きしたいのです。私とお城へ行っていただけませんか?」
「勿論ですわ!ミシェル様に来ていただけるなら先生にもご連絡しなくてはいけませんわね。レイモンド様、今日はお城へ行って参ります」
「承知した。だがミシェルが城に行くと言いだすなんて、驚いたな…。一体何の用事があるんだ?」
「とある学者様が発見なさった希少な文献が先週届いたのですが、解読が難しくて…ミシェル様のお知恵をお借りしたく思って、前からお願いしていたのです」
「はい。時間ができたので、お手伝いをしたいと思って」
少し不安げな表情のレイモンドだったが、リリアの説明を聞いて納得したようだ。文献となれば、ミシェルが食いつくのにも納得がいく。そしてそのおかげで、ミシェルは自分の真なる目的を見破られずに済んだ。
…いや、女心と言うものがサッパリな兄に、女性の深刻な悩みがわかるとは思えないが…。
とにかく許可を得たミシェルは、次に厨房へと足を運んだ。
そこにはもう見慣れた、ジュリアスとアリシアがあれこれと談議しながらパン種を作っている光景があった。
それになんとなく寂しさの様なものを感じたが、特に顔に出す事もなく二人に声をかける。
「アリシア、ジュス兄さま、おはようございます」
「おはようミシェル!良いニュースがあるわよ。今日はクリームパンを作るの」
「本当!?やったーー!!……じゃなかった、えっとね、二人がもし良ければ、一緒に城に行かないかなって思って、誘いに来たの」
「城に?ミシェルが登城に乗り気になるなんて珍しいな」
「今日はリリアお義姉様のお手伝いをしに行くんです。そのついでに、アリシアにお城の厨房を見せられたらと思って…ジュス兄さま、いいですか?」
「そういう事なら、他の料理長にも話して来よう。すまないアリシア、クルミの話はまた後ででもいいだろうか?」
「はい!それより、いいんですか?私みたいなただの村娘が、王城の厨房を見るなんて…」
「それは安心していい。アリシアの事は城のシェフ達も知っているからな。ミシェルはガスの馬車で行くんだろう?それなら俺は一足先に行って来よう。ついでに伝言があるか、兄さん達にも聞いてくるよ」
「ありがとうございますジュス兄さま!アリシア、早くパン!パンを食べてから行きましょう!」
「あははっ!ミシェルったらまた涎が垂れてる。…ジュリアス様、ありがとうございます」
深く頭を下げるアリシアに、ジュリアスは若干慌てていたが、咳払いでごまかして退散していった。
自分で名前を呼ぶのは大丈夫なのに、アリシアから名前を呼ばれると赤面してしまうのは何故なのか。ミシェルですら理解ができないとは、ある意味貴重な性格である。
+++
そんなこんなで馬車の中。
ミシェルはようやく二人に深刻な悩みを打ち明けた。
「私………太ってしまいました……」
「ええ!?」
「あらあら…」
目を丸くする二人に、ミシェルは朝の事を話した。
皆が大袈裟にびっくりするのは、ミシェルがとても太りにくい体質だと知っているからだ。
自分で運動するのが大の苦手なのに、結構食べる。いつも跳ね回って…走り回っているガスと体型が入れ替わっていてもおかしくないミシェルだが、これまで健康ギリギリの体重以上になった事がなかった。
そのミシェルが、太った。
原因はすぐに思い当たる。リリアとアリシアは思わず顔を見合わせてしまった。
「…パンを作るのに夢中で、全部ミシェルに食べてもらうってこと、忘れていたかも…」
「そんなことありませんわ。アリシア様のパンは、お食事とお茶以外でいただくことはなかったはずですから…」
「…私がやりました…。アリシアの試作パンを、厨房から、こっそり…」
「「えっ」」
ミシェルは顔を真っ赤にして俯いた。ものすごく可愛い。でもアリシアもリリアも、今は惑わされる事なくホーラスの妖精をガン見していた。だってなんだか聞き捨てならない事を聞いてしまったんだもの。
「ミシェル…流石に、流石にそれはダメよ…。凄いお嬢様がつまみ食いで太るなんて、ちょっと…これは…」
「ミシェル様、どのくらい食べたのですか?」
「…籠の中の半分くらいを…五、六回…」
「まあ…それは確かに、多いですわね」
「リリア様、そうじゃないですよ!いや、量もですけど、つまみ食いはダメです!」
アリシアの方がまだ正気なのは、実はこれが数回目だからである。村にいた時も、ミシェルはつまみ食いをしてアリシアから怒られているのだ。
けれど流石に毎日やらかすとは夢にも思っていなかったので、混乱状態で何をどうすればいいのかまではわからない。
ようやくアリシアとリリアが落ち着き、ミシェルの告白を呑み込む頃には、すでにお城は目と鼻の先。この件に関しては帰る時にまた話す事となった。
この国の王城はかなりオープンな事で有名だ。
古い城を建て直す際、隠し部屋やら秘密の実験室やらがたくさん発見され、それを活用する為に沢山の人々に場所を提供しているのだ。主に学者が施設を利用している為、城の近くには「学びの道」と呼ばれる学者専用のアパートや寮が並んだ通りがあり、毎日多くの学者や研究者が行き来している。
名物の「頭が良くなる飴」は人気のお土産で、学びの道の近くの店で売られている。おひとつ如何だろうか。
閑話休題。
ミシェルは堂々と城の門へ向かい、顔パスで中に入った。入城の際は色々とチェックがあるのだが、ミシェルは有名人なのもあってそれらをほぼ飛ばしている。城の司書から引き摺り込むように言われているのは…本人も知っているので言及はしない。
王城の門をくぐれば、絵画の如く美しい広場が三人を出迎えてくれる。整えられた自然に囲まれた道、中央の大きな噴水には美しい天使や女神の彫像が浮かんでいる。庭園へと続く道には仲睦まじい様子の男女二人組が歩いており、城の中へ続く大階段は特徴的な服装の人々が多数見受けられる。その他の道…王立図書館や研究所、学舎へ向かう道は人で溢れかえっており、たいへん元気の良い声が飛び交っていた。
アリシアは目を輝かせてそれらを見回し、ミシェルは懐かしいなあと遠くを見る目でそれらを見た。
「うわーー!大きい!綺麗!あと人がたくさん!」
「ここは…相変わらず賑やかですね…」
「最近は特に、ですわ。先日お話しした学者様が、沢山の本を持ち帰ったのですが、それによって新しい発見があったそうなのです。確か、古代遺跡の施設の用途が判明したとか…」
「ええと、それって凄い発見…なんですか?」
「そのように聞いているのですけど…わたくしにはよくわからなくて…」
アリシアとリリアの目線がつつつとミシェルに移る。
「詳しく言えば、古代遺跡の施設の中に、療養所が発見されたんです。これまで古代人類は病気に対する知識が無かったとされていたんですが、この発見でそれが覆されました。それに加えて当時しかなかったとされる病、今まで残っている病の他に、未知の病の記述もあったので、歴史学者や古代学者、あと医学者も大騒ぎしています。間違いなく凄い発見ですよ」
「病が!?だ、大丈夫なの!?」
「大丈夫よ。その病というのは、まさに今リリアお義姉様が調べている『不眠症』だから」
アリシアが思わずリリアを凝視する。リリアは「実はそうなのです」とおっとり微笑んでいるが、どうやら自分がとんでもない偉業を成そうとしている自覚はないようだ。
ミシェルはアリシアをそっと引っ張ると、こそこそと囁く。
「これ、レイモンドお兄様には内緒にしてね」
「え、なんで?」
「この事を知ったら、お兄様はきっとリリアお義姉様を心配してしまうわ。それで病気が悪くなったら…」
「言われてみればそうだね。わかった、内緒にするわ」
「ありがとうリーシャ」
美少女達のこの優しい内緒ばなしを、リリアは微笑ましく見守っていた。ついでに言うが、リリア本人もレイモンドに伝えるつもりはない。心配云々ではなく、よくわかっていないからだが。
お久しぶりです、お元気でしょうか?
ちまちま修正をしつつ完結まで走り抜けますので、どうぞ今後もよろしくお願いします!