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一話 滅びゆくソーラコア王国と白骨の魔法使い

「第二防衛線であるファラリアル城塞が陥落したとのことにございます」


 秘書役の男にこう言われて、大陸アスファイヤにあるソーラコア王国の王――テューマー・バーストは机の上に組んだ手に目を落とした。


「……そうか。いつのことじゃ?」

「このことを伝えに来た兵が馬を走らせはじめたのが城塞の落ちる直前であったとのことで、それが六日前であるとのことにございます」

「兵の被害は?」

「城塞に詰めていた者たちのおおよそ三分の一ほどということにございます。すでに彼らは撤退しているでしょうからそれからはさほど倒れた者はいないと思われます。そして、同様に城塞へと詰めていた部隊長の二人ですが、これは生きておったそうです」

「そうか。……」


 二人が話しているのは王都にある城の執務室であった。今は夜だから、部屋の中はその四隅に置かれた燭台の火があってもやや暗いが、三方の壁を埋める隙間なく本の納められた巨大な本棚や金糸によって模様の描かれた赤い絨毯からくるこの執務室の豪壮かつ厳とした感じはよくわかる。しかし、執務室の中央に置かれた机に座る王は他ならぬこの部屋に圧縮されているかのごとく小さく、また不安げに見えた。


「ところで」

 と無表情な顔を上げたテューマー王は、

「エスパミア族、アイディール族、ニューサンス族に要請していた同盟の件は如何様に進展した?」

 と、それでもやや身を乗り出して縋りつくように言った。


「その件は……その件の結果ははっきり申せば芳しくありませぬ。再三となく要請し、譲歩もまた二度三度と行っておりますが、それでもきゃつら首を縦に振りませぬ。やはりきゃつら、三者三様一心を徹してそのつもりがないと考えざるを得ませぬ」

「そうか。……奴らめ、我が国の危難を傍目にこれ幸いと我らを嘲笑しておるか? もし我らが滅びれば次は自分たちの番だと解らぬか!」


 テューマー王は初めて表情を崩して歯ぎしりをした。それをなだめるように秘書役の男は、


「いえ違いまする陛下。きゃつら、我らを恐れ、また我らの敵をも恐れ、どう動けばいいのか判断がつかなくなっておるのでございましょう。それでも我ら、そんなきゃつらを引き込まんと思案を重ねておりまする。きっときゃつらに同盟を結ばせるための妙案を考えてみせまする」


 と言った。その後、一分ほどの沈黙ののち、平静を取り戻したらしいテューマー王は再び無表情に戻った顔で、


「そうか。よし、その件については頼んだぞ。もういい、下がりおれ」


 と静かに告げた。テューマー王にこう言われて秘書役の男は一礼して部屋を退出した。机の正面にある扉がゆっくりと閉まり、それから一切の音がなくなった部屋にテューマー王自身もまたしばらく彫像のように微動だにしなかった。そして、ようやく動き出した彼は何をするかと思えば、机に両肘をついて真っ赤な髪をした頭を抱え、


「まさか、大陸アスファイヤ第一の国家である我がソーラコアがここまでの苦難に立たされようとはな……」

 と弱音を吐いた。


 薄暗い部屋の中、頭を抱える姿はまるで石牢に容れられたばかりの囚人のようで、これがまさか一国の王だとは見えない惨憺さだが、しかし彼はたしかに一国の、しかも彼が言うように大陸一の大国家の王であることに間違いなかった。


 大陸最大の人間国家ソーラコアは建国から二六〇年あまりの歴史をもつ国である。その起こりは一五〇年ほど続いた多くの勢力が出現し、そして滅びるという乱刃乱魔乱世の時代に存在したソーラコアの前身たるマキュラ王国が、人の土地も人の物ではない土地も取り込んでついにほぼ全ての人の土地――大陸の二分の一を掌握したときにソーラコアと名前を変えたものである。

 それからのソーラコアは内戦や飢饉などの問題をしばしば経験しながら、それでも少しずつ経済は成長し、それに伴って国民の教育も徐々に進んでいくなど乱世の時代に比べ平和な国となった。それはテューマー王が即位した今から三十年前の当時も同じであった。

 だが、テューマー王の即位から十五年――彼の治世も無難で、やはり経済的にも安定し平和であったこの国に突如として大敵が現れた。人間世界最大の国家に対する敵なのだからこれは人間ではない。それは魔族と呼ばれる者たちであった。ただ、この魔族は空より降ったか地より湧いたか、というふうに突然この大陸に現れたわけではない。そもそもこの大陸にはもともと人間以外にも知性を持った人型の生命が何種類かいたのである。

 例えば魔族以外にも――、

 この大陸にどんな動物よりも早く誕生した、木の洞から樹液にまみれながら人間の赤ん坊のように頭から産まれてくる種族であるエスパミア族。これはみな深い森林におり、自分が生まれてきた木とその周囲の土地を魔法によって変形、拡張して家として住み、浅黒い滑らかな肌に赤茶けた髪、いつまでも童子のようにあどけない顔をした種族であった。そして食事はなんと足から水や酒を吸い上げて摂り、顔についている口に入れた食べ物は魔法を使うためのエネルギーとするという者たちだ。で、その性格はというと、あどけない顔つきに似合って温厚で朗らかではあるがほとんどの者たちが徹頭徹尾なにもしたくない、なにもしないことがかえって幸せだと年がら年中ぐーたらしているような連中であった。

 や――、

 煌々輝く金の髪、玲瓏と澄みきった白い美貌を持ち、身の内で練り上げられる魔法の力は人間を遥かに上回りながら、さらに肉体においても優れた能力を発揮し強靭で疲れを知らないという、これにみな例外のないアイディール族。このアイディール族だが、彼らは通常には産まれてこない。彼らはなんと他のあらゆる種族の生命体が何事か――学問、武芸、狩りのやりよう、羽の動かしよう、果ては色道でもなんでもいいが――とにかく何事かを修め、極め、極めつくして、自分の中が空白となったかのような心境になったとき、ある満月の夜に変身して生まれてくるという。そしてアイディール族に変身した者は、外と空間を隔てる結界の内部にあり幻のようにその場所を変える彼ら一族の都に夢遊病者のようにゆらゆらと向かうのだ。なんとも神仙めいた存在と言える。ただ、たしかに神秘的ではあるのだが、その実、仲間同士ですらめったに口を利かないし、壁を見詰め続けたりとそれぞれが静かに自分の世界に没頭しているようで、つまりはなにを考えているのかわからない、常人から見れば頭に霞がかかっているとも思える者たちではあった。

 や――、

 蓬々と伸びる髪や髭をそのまま伸ばしっぱなしにしてでも各々の創作欲を満たさんと木を切り、鉄を打って、常に何らかの物品を作り続けている巨大な体格をしたニューサンス族。巨大な体格をしているというニューサンス族だが、これは人間の範疇のものではなく、大木のように背の高いいわゆる巨人であった。そのような巨人だけに物を作るのには適しているが、代わりにあまり利口ではなく、何かを独自発明するというより他の動物や人間などが行っていることを自分の文化に取り入れることを得意としていた。

 ――が、いる。


 この中で魔族は、或いは大きな水ぶくれのような血の入った巨大な白い袋を全身のところどころにつけた真っ赤でつるりとした身体をした者や、或いは手の甲にそれぞれ脳味噌が半分ずつくっついていて、それが離れているときは毛むくじゃらの見た目通り理性なく、手かせをはめられたようにそれをくっつける形になると途端に瞑想的になる特徴をもった者、といずれもおぞましい外見とそれに似合う凶暴性をもっていたものの、知性は巨人のニューサンス族にも劣るしそれによって魔法も使えないので、もともと人間にとっては猛獣並みの脅威でしかなかった。


 が、一五年前をきっかけとしてそんな彼らが変わった。彼らの中に突然変異によって高い知性と闇の魔力を有する者が誕生したためだ。とはいえ、これはたかが一人のことであったからいくら凄絶比倫の力をもっていようと多勢を以って繁栄を誇る人間を脅かすことは本来できなかったはずである。しかし、この魔族の者はある能力を備えていた。その能力とは人間にとっては恐ろしいことこの上なく、同じ魔族の仲間にとってはこれ以上のない功徳をほどこすものだ。それは――全ての魔族たちに人間並みの知性とそれから闇のパワーを与えるというものであった。与えるとはいっても別に教鞭持って片端から躾けていったわけではない。まさに魔法的に、闇の波動を大陸全土に放つことで遠隔地にいる者であっても天恵のごとく知能と力を与えたのだ。


 ともかく、この者の登場によってこれまで獰猛を以って知られ、同族とすら共生しようとせず、あげく時に相争い、その際相手が死ぬまで容赦しないという魔族たちが社会性というものを身に付けた。それは王を頂点としつつそれぞれの土地にいる権力者にその地を任せるという封建的なソーラコアよりも例の魔族の者の権力が強い、絶対君主的なものであった。で、自分が与えた知性によって崇められ、ただしく魔王となったこの者がそのような社会を形成して何をし始めたか――それこそが人間社会への侵攻となる。知性を得てもこれだけは変わらぬ凶暴性と、知性を得たからこそ湧きおこる大陸支配の向上心ゆえであった。


 そのためにまず、魔王は地形が険しく人間の手のろくに入っていないアスファイヤの北端へと大陸中の魔族たちをひそかに結集させた。そして一年後のある日の夜、闇から生まれたような顔をした魔族たちは大陸北方の国――これはソーラコアではない――にある最北で一番大きな町に対して闇にまぎれて夜討ちをかけた。いきなり人間たちの横っ面を張り倒す行動に出た魔族たちは結果としてその町を瞬く間に壊滅させてしまったのである。


 翌早朝、いくつも立ちのぼる人や家の焼ける異臭のある煙を吸って朝なのに赤く腫れ上がったような空の下、町の様子を遠望する人々ははじめ悲嘆し、次第に憤慨し、すぐに逆襲の兵を出した。その戦いの中で人々は驚愕した。魔族たちがこれまでにない知恵とパワーを持っていることにこのとき気がついたのだ。


 その両面を活かし逆襲の兵たちを退けた魔王は気炎を上げ、今度は自分たちから進軍を開始し、また次々と各所を攻め滅ぼしていった。その勢い土石流の如し。魔族たちの数を増やすことも忘れずどんどんと軍勢を大きくしていった魔王は北方の三国を滅亡の憂き目に合わせ、とうとう大陸の中央から南部にかけてを治めるソーラコアと相対した。最初の戦いからわずか四年ほどのことであった。


 しかし、怒涛の快進撃を成しえたさしもの魔族勢も、世界の半分を手にするソーラコア王国にはさすがにその勢いを緩めざるを得なかった。とはいえ、その実力けっして負けず劣らず、魔族たちはすでに腹いっぱいの人間がそれでも勿体ないと食事を続けるように少しずつソーラコアの領地を侵食していった。――


 と、まあ、やや長くなったがこういうわけで、

「ま、魔王め……」

 と、今現在テューマー王が頭を抱える事態と相成ったわけである。


 ある種しかたがないとはいえ、一代にして二六〇年続いた国家をこのような危難に陥れたことを悩んでいたのか、頭を抱えるテューマー王はしばらくそうしていたが、ふと、何か思い立ったようにバッと顔を上げて執務室を出ていった。


 この城全体が基本、オレンジ色と白色のレンガを組み合わせて築かれているため、所々に灯の掛けられていることも相まって温暖な感じとなっている背景にそぐわず、俯きがちで沈思とした様子のテューマー王は最上階から一階まで降りて、ある部屋の戸を叩いた。だが返事はない。返事はないが、この城すべてそっくり自分のものだという自負の下、彼はもともと鍵のかかっていなかったらしい扉を遠慮なく開いた。

 中は、机の上に置かれた魔法による小さな光の灯ったひし形のランプがぼうと照らすだけの暗い部屋であった。その弱々しい光に先ほどの執務室以上の数あるだろう本が浮かび上がっている。ただそれらは床に机に積み上げられて部屋はとてつもない散乱ぶりであった。部屋に入って扉を閉めたテューマー王は本を踏まないようにゆっくりと踊るがごとく足を踏み出していった。そして彼は部屋の隅に置かれていたベッドの側に立った。ベッドには誰かが寝ているような――それにしても薄く小さな膨らみがあった。が、毛布を頭まで被っていてどんな人物が寝ているのかはわからない。そこにテューマー王が、


「起きよ、ジルマ。テューマーだ。テューマーが来たぞ」


 と話しかけた。


 ベッドの人物は起きる気配がない。テューマー王はその後なんどか呼びかけたがやはり微動だにしない。それどころかよくよく見てみれば、呼吸の起伏もないように見える。

 テューマー王はベッドにかかった毛布をめくった。


「……おお!」


 と、テューマー王はうめきを上げた。ベッドにはたしかに何者かが横たわっていた。――しかし、それは白骨体であった!


 ただの薄暗い私室としか思われぬ部屋に横たわる白骨体、なんとも不気味で不可解である。にもかかわらず、のけぞってそれを見ていたテューマー王は何を思ってのことかその白骨体を揺さぶって再び、


「起きよ、ジルマ。起きよ起きよ」


 と言い出した。


 すると、白骨体に不思議なことが起こり始めた。その無限の洞穴のような眼窩にうっすらと水晶玉に似た透き通った何かが浮かび上がり始めたのである。のみならず、後に続いてその頬、その胸、その足、つまりは全身にもクラゲの肉とでも言うべき透き通った物体が浮かび上がり始めたのだ。その上、それが部位ごとに段々と色づいていく。

 テューマー王は揺さぶる手を離して血管や内臓に間違いないものが浮かび上がるその様子をじっと見下ろしていた。見下ろされているほうは未だ色濃くなりながら、薄墨を一滴たらした水晶玉のような目をギョロギョロと動かした。そしてテューマー王に目が合うと、


「……おお、これは陛下。何か御用でござりまするか?」


 といかにも寝起きのかすれ声を出した。


「うむ。お前に聞きたいことがある。悪いが起きてくれ」

「ははっ。……」


 ジルマは今ようやく目蓋ができたことによって、眠たげに細められた目を見開いた。


 問答の間にジルマは肉付けも完了して完全な人間の姿となっていた。薄手のローブのような灰色で丈の長い寝間着も着ていた。だが、ジルマは肉がついても骨に白い紙を張ったように痩せた老爺であった。はたしていくつなのだろう? そのように肉付きの薄いしわだらけの顔や縮みこんだような小さな体、背まで伸ばしっぱなしになった白髪からはたいへんな年寄りと受け取れるが、目ばかりはギラギラと若々しく光っていてあまり老人らしいとも言えない。それに全身から妖気ともいうべき生臭いような気配を発していた。


 彼はベッドの上でむくと上体を起こした。


「陛下。失礼ながらしばらくこうさせておって下され。年食うと目が覚めて立ちあがるのにもよっこいしょと一苦労でしてな」


 ベットの上で頭を垂れるジルマはこう言った。


「おお、よいぞ。どうせ頭が回らなくては話もままなるまい」


 ジルマもまた自身の配下であるだろうが、老人を夜に起こすということに気おくれを感じたのか、急かすことなくこう返答したテューマー王は、しかし手持無沙汰も嫌であったのか、

「ところで、先ほどの白骨となる魔法には驚いたぞ。何のためにあんなことをしておったのだ?」

 と続けた。


「ああ、あれにございますか。あれは快眠のための魔法でございます。人は寝るときにも寝返りを打ち、いびきをかき、汗をかいて体力を消耗するものでしてな。特に年を取ってくるとそのためにむしろ寝て疲れるということが多々あります。そこで疲れなく快眠するために先ほどのような魔法を使うというわけで」

「なるほどの。しかし、何もあのような魔法を使わずともよいではないか」

 と、テューマー王は苦笑して言った。


「これまで三十ほどの快眠法を考案して参りましたが、これがいちばん具合がよろしいので。よろしければ陛下もご習得なされますか? 大人になると、子供のころと違って休息のはずの快眠すら為し難くなって参りますでしょう。明日を憂う心労のせいでございます。この魔法ならば、そのような心労に囚われず快眠を約束いたしますが」


 ジルマの提案にテューマー王は顔の前で手を振った。


「いや、万が一あのような寝相を見せてそのまま埋められてしまっては困る」

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉ、それもそうですな。さて――」


 話しているうちに起き上る気力が湧いたのか、そのような掛け声を小さく上げたジルマは、すっくとベッドの上に立ちあがった。


「もう少々お待ちくださいませ、陛下。いま椅子をご用意いたしますゆえ」


 こう言ったジルマはそのままベッドの枠外へと水平に進むよう足を踏み出した。その真下には老人には危ういことに積み上げられた本がある。いや、そもそも床と高低差のあるベッドからこうまで無造作に足を踏み出すことは年齢にかかわりなく危険なことと思われた。

 だが、ジルマは本にも床にも足をつけることはなかった。驚くべきことに、彼は空中を柔らかなベッドを歩くようにふらふらと進んでいたのである。むろん、魔法によるものだ。床に散乱した本の数々をものともしないジルマは机に近寄ると、その上に乗ったひし形のランプに足の裏を向けた。足の裏とはこれ単なる不精だろうが、何にせよまた彼の魔法によってそのランプの中の光は大きなものとなった。薄暗い部屋から一転、明るくなった室内で、彼は机の側の椅子を持ち上げて空中をとってかえした。


「では、こちらへお座りを。ただ、あいにくわしの部屋には椅子が一脚しかありませんでな。かといってわしが座るもののためにここの本を材料に椅子を作るのも馬鹿らしいので、わしはこうさせていただく」


 ジルマは空中にあぐらをかいて坐り込んだ。


 そうしているといよいよ仙人みたいだ。その正面に腰かけているテューマー王は脇のベッドをちらりと見て、

「ベッドに座ってもよいぞ」

 と言った。


「いや、これも水の上に坐り込むようで尻の心地は悪くないので。――さて、それで、何かお聞きになりたいことがあるということでござりましたが」

「おお、そうじゃ。聞きたいことがあって来た。……聞きたいことというのはずばり例の計画、救国物召喚の儀のことじゃ」

「ああ。……」

「はたしてあれはどうなっておる。そのための魔法が完成してからもう四ヶ月は経つが……」


 ジルマは顎をしごきながら宙を見上げた。


「はっきり申せば、わしに仰せられましても、というのが正直のところで。たしかにあれのための魔法を考え、形とし、本にして渡したのはわしですが――何せそれを唱え実行するのは聖女様でございますからなぁ。……。ほお、しかし、魔力だけならわしなど遥か及ばぬ人類無比の聖女様でも未だ習得できませぬか。それも然り、考えておいて何ですがあれはわしでは決して使うことができぬほどの魔法ですからな」

 顎をしごきながら無責任と言えば無責任、他人事みたいなことを言うジルマにテューマー王はややむっとして、

「何か指導などはできぬのか?」

 と言った。


「わしの考え及ぶところはすでに本に書いておりますからなぁ。それにそもそも聞きますまい。いや、聞けますまい」


 王たる者がむっとしていることは察しているだろうにどこ吹く風で恬とこう口にしたジルマだが、その言葉に何か納得するところがあるのか、テューマー王は二の句を継ぐことはなかった。


 二人の間にしばし沈黙がおりた。ジルマはふと宙から目を落とし、王を見て、

「まあ、それでももう四ヶ月、聖女様ならば間もなく習得なさるでしょう。あの方は天才と言っても足りぬ神童、いやそれも及ばぬ神がかりでございますからな」

 と言った。


 それにテューマー王もうむ、と頷いた。そのことは王としても大いに同意するところであるらしい。ただ魔法の発明者であるというジルマの口からそのことが聞けて彼はほっとしたようだ。


「では陛下もお疲れでございましょう。今日はもう御就寝なさいませ。寝て明日をお待ちなされ。今日は何もなくとも、明日ならば習得なさり物事は進むかもかもしれませぬ」

 と言われてテューマー王は、

「そうだな。ただしまだ眠れぬ。やることはまだあるのだ。その前にお前の話を聞けてよかった」

 と、少し和やかな顔で部屋を出ていった。


 部屋を出ていく王を空中にて腰を上げて立ち上がり、扉を開けて見送ったジルマはまたベッドに戻りごろりと寝ころんだ。


 そして、

「さて……」

 と言った彼に不思議な現象が起こり始めた。先ほどの逆――全身の肌が透け、見えた内臓や血管もまたゆっくりと色を失って透き通り始めるという現象が起こり始めたのだ。

 そんな不気味な物体に変わりながらジルマは何事か呟きはじめた。


「……しかし、名の通り、危難にあるこの国を救う何がしかを時や空間、世界を超えて召喚する救国物召喚の魔法。この魔法についての本を渡す際、何がしかとは何がしかに過ぎず呼び出す側すら何が来るかはわからぬと説明してなおそれでもよいと返されたときにも思うたが……そんな不確実なものに頼りあまつさえ急かしに来られるとは王はよほどこのままではこの国が大難、いやついには破滅に陥ると予想しておいでなのだろうかなぉ」

 言葉の内容だけ取れば国を案じているようにも思えるが、目蓋がなくなりぎょろりとなった目でギラギラとかがやく瞳光を天井にそそいでいる彼が本当にそんなことを思っているのかといえばちょっと疑問ではある。しかもその根拠を示すように彼はあやしく、「くくっ」と含み笑いをした。


「何にしても、この国を救う物が呼び出されることは絶対の召喚魔法じゃ。使えさえすれば必ずこの国を救うものが来る。では呼び出されてくる救国物は一体何か? 技術の記された本か? 物か? 人か? いずれにせよそれは御し切れるものなのか? 何よりもそれを見るのが楽しみじゃて」


 ここまで言ったジルマは急に押し黙った。彼が完全な白骨となってしまったためである。様子だけ見れば死んでしまったようだが、やはりこれは眠っているのであろう。

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