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浮遊

 相変わらず夜の散歩は快適だった。なぜ快適なのか。なぜ寒くて真っ暗で危険な夜道が快適だと言えるのか。答えは想像の外にある。そう、非常識の領域。寒さも暗さも関係ない。正しくは、散歩ですらない行為。言うなれば、散浮だ。少年は今、寝静まった夜の港町を、自由自在に浮いていた。

 夢だと言われてもいい。インチキだと思われても構わない。だけどこれは現実のことだ。僕は今、確かに抜け出ている。肉体は屋根裏に置いたまま、僕の本当の部分はここにある。ほら、12月の冷たい風も感じている。黄色く点滅し続ける信号機も、月を照り返す歩道の薄氷も見えている。僕は確かにここにいる。屋根裏部屋に置いてきたのは宇宙服だ。人間社会で生きるための高機能ボディスーツ。本当の僕はここにいる。屋根裏の外が僕の部屋だ。僕だけの本物の世界。

 少年は浮遊する。歩く者は誰もいない。たまに車は通る。ライトと音は雷によく似ている。浮遊する感覚は実に心地良い。格好は自由だ。直立の姿勢でも良いし、クロールでも平泳ぎでも何でも良い。宇宙飛行士のようにくるくる回転しても良い。ただ、動力は無尽蔵ではないようだ。やはり、水中や宇宙空間と同じで、掻いたり、蹴ったりしなくてはいけない。念じるだけでどこにでも、というわけにはいかない。

 少年は浮遊する。電柱や道路沿いの建物を支えにして、ピンボールのように反射する。とはいえ、その動作は蝶のように優雅。対象物にそっと触れながら、夜の道路を対角線状に行き来する。

 スグルの家に着いた。きっと、もう寝ている。覗いてみたい欲求が首をもたげる。しかし、それではフェアじゃない。誰だって勝手に覗かれるのは嫌なはずだ。それに、スグルは部屋に人を入れるのを徹底的に嫌う。彼の家で遊ぶ時は居間まで。それ以上の侵入は許されない。理由を聞くと、「散らかっているから」としか答えない。おそらく、弟が二人いるからだろう。三兄弟同じ部屋なのだ。よくわからないが、もし自分がそういう立場なら、やはり同じ気持ちになるのだろう。なんとなく、血の結界、とでも言えば良いのだろうか……。

 まだ欲求は治まらない。親しい仲だからこそ、越えてはいけない線がある。それを侵してしまえば取り返しのつかないことになる。心とは裏腹に、ジンケは玄関に手をかけた。その圧倒的な別次元の感触に、皮肉にも安堵する。

 やはりそうだ。考えても仕方がない。僕には、まだ無理なのだ。

 決して万能ではない。自宅をすり抜ける事はできても、他人の家に入ることはできない。学校や図書館などの公共施設。もしくは廃墟。無理をすれば漁船。これらに侵入可能なのは実証済みだ。おそらく、所有者の想いなのだろう。公共の場であったり、打ち捨てられた建物には想いが定着しない。漁船の場合はまた感覚が違う。きっと、人というよりも海が所有しているからなのだろう。そうジンケは理解している。それでも侵入するのは楽ではない。まさに身を切るような思いをしなければならない。重厚な鉄筋、朽ちかけたコンクリート、潮の染み付いた船体をすり抜ける瞬間、その隔たる壁を酸でドロドロに溶かして、無数の注射針で全身に注入されるかのような、おぞましい苦痛を強いられるのだ。

 少年は親友の家を後にした。深夜パトロールの再開だ。もう少しで町内を一周する。二週目にはもう少し高く浮いてみよう。屋根の高さまで上がれば、猫がいるかもしれない。

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