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屋根裏

 屋根裏部屋に戻ったジンケは机に向かった。机の上に出してあった教科書とノートをぼんやりと見る。視線の対象はなんでも良かった。今ジンケの胸中を支配しているのは軽い絶望感。まただ。最近やけに多い。大人への階段を意識してしまうと、必ずこうなってしまう。大人は子どもを区別する。子どもは大人を区別する。これは一体どういうことなのだろう。この絶対的な線引き。暗い宇宙に独り放り出されたかのような虚無感。

 宿題はやめた。予習もやめた。明日の朝にでもやれば良い。何か雑誌でも読む、という気にもなれない。ジンケは席を立って、部屋の中をチェックすることにした。これも日々の日課だ。

「魔除け」

 カラーボックスの上段には、旅先で買い集めた魔除けの置物がある。神社のお守りに安物の自然石に陶器の土鈴。他にもブリキの鉛筆削り、木彫りの熊、兎の足のキーホルダー。それらをひとつひとつ持ち上げて、埃のたまった部分と、そうでない部分を照らし合わす。

「異常なし」

 ひとつずつ声に出して確認する。それが終わると次はロウソクに火をつける。きれいだ。しばし、ゆらめく炎に見惚れる。火を見ていると安心する。ぐっと眼球を近づけてみる。目玉がちりちりと熱くなる。みるみる乾いて行くのがわかる。瞼を閉じると、洗剤で洗ったかのように眼球が突っ張る。

 再び目を開けると、じわっと熱くなる。涙が滲む。眼球の中の水分が入れ替わったかのような新鮮さを感じる。視界が潤む。ほんの少し、視力が上がったような気がする。

 次のチェックを再開。部屋の隅へ移動してロウソクを置く。しばらく放置。ゆらめく炎が、必要以上に激しく揺れていないか確認する。すきま風はない。あらかじめ、風が入りそうなすきまには目張りをしてある。

「異常なし」

 ひとつ目の隅は問題ない。四隅全てをチェックして、部屋の中央、ベッドの上、最後にテレビの前へと移動する。

 すると、火が消える。ロウソクの芯が黒い煙を立てる。燃えさしの匂いが鼻腔に刺さる。

「待て」

 ジンケは再び着火する。炎が燃え立ち、激しく揺れる。もがき苦しんでいるようにも、狂気乱舞しているようにも見える。だが、もし大人の助言があるとすれば、すきま風で揺れているだけ、だと言うのだろう。

 やはり、火はすぐに消える。ロウソクを置き、テレビ周辺を調べる。今時珍しいブラウン管テレビだ。ダイヤル式のチャンネルは、取り外せば骨董品として売れるかもしれない。ただ、ブラウン管自体には価値はない。すでに汚染物質。処理するのにも手間がかかる。一つだけ、このテレビの良いところは、いつでもチャンネルを回せば砂嵐が見られる、ということだ。

 テレビのスイッチを入れる。ブウウンと起動音。電磁力のいざこざのようなノイズが耳の裏をくすぐる。画面の中央にコロナが灯る。それは次第に左右に伸びて、明けの明星のように画面いっぱいに照らす。

 ややあって砂嵐。どこを回してもサンド・アンド・ノイズ。

 いつも通り、「異常なし」と呟き、スイッチを消す。終わるのは嘘のように早い。先ほどまでの天地創造はどこへやら。のっぺりとした凸状のガラスが、少年の顔を映し出す。灰色の世界。誰か、僕の後ろに立っていたら怖いだろうな、と想像する。かすかに背筋が冷たくなる。だが、灰色のガラスは、少年以外には誰も映さない。

 その時、どきんと心臓が踊った。錆びた槍でひと突きされたかのような、痛みを伴う錯覚だった。ジンケは「異常」を確認した。ちょうど、テレビ画面の中央に、紅葉のような手形があった。

 テレビは何も言わない。ただ、灰色の画面に静電気の膜を張る。少年は手の平を画面に近づける。見えない膜はほんのりと温かく、手の平を押し返す。手形は、どう見ても、少年のものより小さい。その部分だけ、静電気の支配を受けておらず、埃がたまっていないのだ。

 途端に怖くなった。父の元に駆け下りたいという衝動と、禁忌めいた期待が同時に溢れた。それでも怖いには違いなく、背筋があからさまに震えた。

「異常事態発生」ジンケは呟いた。

 怖い時の癖だ。存在しない無線への報告。これは任務だ。自分は怪奇現象に遭遇したのではなく、あくまで、進んで調査しているのだ。

〈よし、落ち着いて対処せよ。プランBだ。ただちに応援を送る。無茶はするなよ。どうぞ〉

 架空の指揮官の指示に、ジンケは「ラジャー」と呟く。無茶をするなと言ったが、ここで無茶をするのが主人公だ。

 まだ確証がなかった。ひょっとしたら、これはやはり自分の手形なのかもしれない。きちんと、ぎりぎりまで重ねてみないと、確実な報告はできない。何かのはずみで、手の一部分のみが触れて、小さく跡を残した可能性もあるのだ。

 ジンケは更に手の平を押し付けた。静電気が指の間を押し広げた。

 だが、違った。明らかに小さかった。掌底の大きさが完全に違うのだ。これは子どもの手なのかもしれない。ジンケ少年にとっての子どもとは、三歳から九歳を意味する。そうでなければ発育の控えめな女子だ。少なくとも、自分でも、もちろん父の手でもない。完全に、違う。

「いるの?」ジンケは言った。「いつから? どうして? 僕に何か用があるの? いるのなら、教えて。何か合図をして。用があるのなら、わかるようにして。僕はきっと、答えられると思うから」

 当たり前のように反応はない。ネズミの足音。屋根の上のカラス。風できしむ窓枠。いつも聞こえている生活音すら、今はしない。これが最後だと自分に言い聞かせ、再びロウソクを灯す。炎はありきたりな形に燃え、酸素を旨そうに吸う。

「異常なし」

 少年は炎を吹き消す。ティッシュを二枚取り、テレビ画面を丹念に拭く。つるんとした灰色のガラスは、少年をほんの少しふくよかに映し出す。


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