№20 剛柔、順応、意地
観客席からはクインを賞賛する声が上がっている。
クインの名を呼び彼女を称える。
だがアナウンスが次の戦いの出場者の名を呼ぶと、観客の声はタイガとアシュリーに対して期待を込めた声援を送る。
下馬評はアシュリーが有利とみなされているが、力のウェイドと速さのサンタナという素人目にも実力者だと分かる二人を下したタイガは四つ耳にしては強いと思われている。
だがやはり純血獣人には勝てないだろうと予想されていた。
大会三連覇を成し遂げたクインの祖母の様な四つ耳の強者であるかもしれないと言う者もいたが、そんな傑物はそうそう簡単に現れるものではないという見方が殆どだ。
だがしかし、三連覇を成し遂げた傑物が金獅子族であったこともあり、そのファンだった者達や敢えて不利な方に賭けたがる者達はタイガに期待している。
闘技場にタイガとアシュリーが歩みを進め、向き合うと互いに不敵に笑う。
自分の敗北など考えもしないが油断なきアシュリ-と泰然としているタイガ。
そんな二人のうち最初に話し掛けたのはタイガの方だった。
「雇い主が随分とあっさり負けたな。どんな気分だ?」
「ふっ、ふははっ」
「何がそんなに可笑しいんだ?」
「結果が俺の望み通りになったからさ」
「ん? どういう事だ?」
「もし決勝で族長の馬鹿息子と当たった場合はわざと負ける決まりだったからな」
「よくあんたみたいなのが、その条件を呑んだな」
「人にはそれぞれ事情がある。だろう?」
「そうだな。っと」
実は彼等はのんびりと会話を楽しんでいる訳ではない。
会話の途中で審判の掛け声は既に掛かっており、試合は始められていた。
二人は、会話をしながらも一進一退の攻防を繰り広げていたのである。
タイガの得意なフェイクを絡ませた攻撃に対して、その技の高度な技術に驚きはしたが素振りも見せず引っ掛かる気配すらなく丁寧にしっかりと防御してみせるアシュリー。
対するタイガもアシュリーの巨体と腕力を生かした豪快で強力な攻撃を少ない動きで確実に回避している。
「雷神流闘法は正面から受けてなんぼだと思うが?」
「そんなもんは悪しき伝統だろ」
アシュリーが軽口を叩き、タイガも同じ様に返す。
タイガはアシュリーの攻撃を躱していて、その全てを受けずにきている。
それは一つの戦法であり、責められる謂れはないのだが、混血獣人を四つ耳と蔑称し自身の種族的優位性を疑わないタイプの純血獣人からすれば恰好の責め所だった。
尻馬に乗った観客達の中のそういうタイプの連中がタイガに技を受けろとヤジを飛ばす。
「ああ言っている観客もいるが?」
「あんな見ず知らずの奴らの言葉に耳を傾ける必要は感じないな。だけど」
「だけど?」
「あんたが驚く顔は見てみたい」
「できるかな?」
「試してみればいい」
「調子に乗るなよ」
アシュリーの豪腕が唸りタイガの頭を殴り飛ばしてしまいそうな横殴りの変形の雷拳が放たれる。
それは勿論ただの雷拳ではなく、闘気を纏い強化された肉体から繰り出された強烈な一撃だ。
だが、アシュリーの拳打を頭の横に腕を上げて受けるタイガは微動だにしない。
タイガは首刈巨猿の王級種並みの衝撃を感じたので実は余裕では無かったが、根性で何事も無かったかの様に表情を保っていた。
「四つ耳の癖にやるじゃないか」
「あんたの驚く顔を見せて貰ったよ。隠したって遅いぜ」
アシュリーは実際に驚いたが、その顔を瞬時に隠して余裕を持った態度で言ったのだが、タイガには見抜かれていた。
そう、アシュリーにとってタイガが自分の一撃を受け止めたのは驚愕ですらあった。
獣化一段階目とはいえ、練りに練った闘気を纏った渾身の一撃である。
その一撃は防御の腕をものともせずにタイガを殴り飛ばすとはいかないまでも、彼に少なくないダメージを与えるはずであった。
だがタイガは無傷であり、しかも不敵な笑みすら浮かべているのだ。
戦慄ですらあった。
だがそれはアシュリーに対するタイガの強がりであって、やせ我慢に他ならない。
アシュリーは遅れてそれに気付くと、戦慄を払拭しながらも、急いで更なる攻撃を加えようと試みる。
身を固めるタイガの防御の上から、お構いなしに剛腕を振るうアシュリー。
様々な角度から雷拳をタイガに当て続けているアシュリーだったが、暫くすると違和感を覚える。
何かがおかしい。
だがそれが何かは分からない。
アシュリーは嫌な予感が止まらないが、それを払拭するようにタイガに対する攻撃に集中する。
雷拳を間断なく連ならせるアシュリーだったが、突然と違和感の原因に気付く。
先程までタイガは確実にダメージを受けていた。
確かな手応えが自分の拳にあった。
その手応えが今は明らかに弱い。
違和感は手応えが徐々に失われていく様を感じていたのだ。
「ちっ」
アシュリーは攻撃をやめるとタイガから距離をとり、舌打ちする。
タイガは防御していた腕を下ろし、アシュリーと目が合うとニヤリと笑う。
アシュリーは背中に嫌な汗が流れるのを感じたが、不敵に笑い返す。
勿論、心中は穏やかではない。
どういう仕掛けだ? アシュリーはタイガから手応えが無くなっていった理由を考える。
理由をいくつか思いつくも、もしそれが事実だとするなら、そのどれもが、どの様に対応すべきか悩まざるをえない。
「どうした? 休憩か?」
タイガからの挑発にアシュリーは獅子獣人の矜持を刺激されるが、その挑発には乗らない。
得体の知れないタイガの能力を見極めないまま自分から攻撃するのは迂闊だと考えたからだ。
だが、アシュリーに長考するほどの余裕は無い。
タイガが間合いを詰め攻撃を仕掛けてくる。
その攻撃は、最初の攻防時よりも、切れが増しているようにアシュリーは感じる。
それは正に正解であり、タイガの攻撃回数が増えていき、アシュリーは劣勢に回る事になる。
「くそがっ!」
アシュリーは獣化段階を一つ上げる。
身体能力と闘気及び獣気が強化され、タイガの攻撃を捌けるようになり、返す技は力強くなり、劣勢を挽回する。
優勢だったタイガは劣勢に回り、その攻防は観客の盛り上がりを誘う。
だがアシュリーは自分が優勢でいられるのは今のうちだけだろうと予想していた。
願わくばそうならないで欲しいが、それは本当に願望でしかない。
そしてその願望はやはり叶わない。
予想していた通りに次第に手応えが薄れていく。
圧倒的な力量差があるのかもしれない疑念がアシュリーの頭の中を支配し、それはやがて恐怖に変化しようとする。
だがアシュリ-はその恐怖をねじ伏せ叫ぶ。
「お前が強者であることは認める! だが、負けぬ!」
アシュリーの叫びは自身に落ち着きを齎し、圧倒的な力量差などはないという結論を出す。
タイガの得体の知れない強さに対しても、一応の答えを出した。
それは順応力、あるいは適応力といったもの。
反応しきれない攻撃や耐え切れない攻撃などを受けたとしても、じきに慣れると次第に反応できるように耐え切れるようになってしまう。
タイガはそういった力を持っているとアシュリーは理解した。
だが攻略方法が無い訳ではない。
タイガがこちらに対応しきれないうちに倒すという方法だ。
方法は見出したが、どうするかアシュリーは少し迷う。
手札は二つ、獣化の三段階目と四段階目である完全獣人化だ。
やり方としては一気に完全獣人化するか、一段階ずつ上げるかだ。
だが、アシュリーは敢えてそのどちらでもない方法をとる事にする。
現在獣化は二段階目だが、アシュリーはそのままタイガと戦闘している。
タイガの動きは徐々に切れを増し技は冴え渡るが、アシュリーはそのことごとくを耐える。
するとどうだろう。
獣化段階を上げていないにも拘らず、アシュリ-はタイガの動きを少しずつ上回っていく。
今度はタイガが劣勢になる。
アシュリーはここにいたってタイガの順応力すら身に付けようとしていた。
類い稀な才能。
アシュリーもまた天才であった。
だがアシュリーが逆転して優位に立っても、少しすればタイガも逆転する。
詰まるところ、どちらの順応力が高いかの勝負になってくる。
アシュリーはそう結論付けていた。
そうなると自分が不利かもしれないとアシュリーは考える。
なにせタイガには一日の長が有る。
タイガとの凌ぎ合いを続けつつ打開策を見出そうと頭をフル回転させるアシュリー。
だがどうにも上手くいかない。
光明があるとすれば、タイガの癖の様なものが分かってきた事だろうか。
そのお陰か技を読み易くなってきたアシュリーはタイガの攻撃を捌くのも多少は楽になってきている事を実感している。
それに加えてタイガが心なしか焦っているようにも見えたアシュリーは今が好機だと感じる。
タイガの体が少し沈む。
このタイミングで中段蹴りが仕掛けられる。
もはや機械的に中段の防御をしようと身体が勝手に反応する。
だが本能がそれを拒絶する。
このままでは危険だと感じたアシュリーは中段を防御しようとする肉体を強引に動かし、なんとか後方に飛び退る。
直後、アシュリーの眼前を鋭い切れと確かな威力を誇るタイガの上段蹴りが通過する。
アシュリーの背中に冷や汗が流れる。
技と技、力と力のぶつかり合いの高みにおいて、なお罠を仕掛けるタイガの悪戯心。
それはアシュリーにタイガとの実力差を薄っすらと意識させる。
だがアシュリーはそれを自分は強者であるという自負で無理に打ち消す。
アシュリーのその自負は持って生まれた才能に慢心する事無く鍛え上げた実力と数多の大会の優勝経験に裏打ちされた確かなものであった。
確かなものであったはずの自負だが、残念な事に今はそれに縋ってしまっている。
自分は強者であるのだからタイガの方が強いなんて有り得ないと思ってしまっている。
それは不確かなものであり、ただの願望に過ぎない。
つまりは事実ではない。
順応力によりタイガの攻撃に対応し反撃するアシュリー、タイガもまたそれに順応し対応するという順応合戦とでも表現すべきかの様相である。
だがタイガが、その順応速度を上げてきている。
攻防は傍目にはシーソーゲームではあるものの当人同士、特にアシュリーは違いをまざまざと感じてしまっていた。
そしてそれは焦りを生み、次第に精彩を欠いていく。
「どうした? もう終わりか?」
タイガの挑発によって頭に血が昇るのを感じたアシュリーだったが、必死で堪える。
その挑発に乗って獣化段階を上げて攻め込めばタイガの狙い通りだと感じているからだ。
不利な情況ながらも自分の出来る事を懸命に考えるアシュリー。
だが良い知恵が浮かばず、次第に追い込まれる。
アシュリーの剛腕を思わせる威力のありそうなタイガの拳撃がいつ直撃してもおかしくないのを見て取った観客達は、タイガの勝利に喜び歓声を上げる者や賭けに負けるのが見えて悲鳴を上げる者、様々である。
観客共が思う結果にはさせないと、懸命にタイガの攻撃を防御し回避するアシュリーだったが、とうとうクリーンヒットをこめかみに受けてダウンしてしまう。
観客の歓声や悲鳴が更に大きくなる。
アシュリーは闘技場に倒れながら、それを聞いている。
『こいつらが思っている様に俺はこのまま負けるのか?』
アシュリーは自分に問いかける。
指先を動かしてみると思い通りに動く。
『動けない訳じゃない』
そう、アシュリーの身体はまだ動く事ができる。
そして、心は折れておらず、闘う意欲もまだ有った。
アシュリーはゆっくりとではあるが起き上がろうとしていた。




