瀕死の転生
――いまは所縁のある家のもとでお世話になっているけれど、僕は三歳まで実の両親に育てられていた。
その頃のことはもうほとんど覚えていない。でも繰り返し脳裡によぎる一枚絵のような場面がある。
明るくて清潔な、広い、白っぽい部屋のこと。
ときどき帰ってきて、僕を軽々と担ぎ上げる笑顔の優しいお父さま。
そして、優しく微笑んでいるお母さま。
あのとき、ふたりは見つめ合いながら何を語り合っていたのだろう。
暖かいけれど、どこまでも遠い記憶。
いま、冷たい床に僕は伏している。
お母さま……姉さま……痛いよ……
お腹を刺された痛みと、次々と溢れてくる寂しさと無力感に飲みこまれるようにして、【僕】の意識は遠ざかっていった。
*
意識が戻ると激痛に顔も身体もよじれるようになる。少しでも身じろぎするとさらなる激痛が襲ってくる。硬直した状態のまま痛みをゆっくりと逃がすしかない。
薄く目を見開くと、ぼんやりと光を絞った魔石光にあわく照らされた薄暗い部屋が見えてきた。どうやら自室に運ばれて寝かされていたらしい。
意識を喪っていたのはほんの一瞬のような気がするが、まったく別の世界の夢を見ていたようで、それはとても一日二日で見終えるような内容とも思えなかった。
今更ながら襲撃された瞬間を思い出す。屋敷内に突然現れた賊に、あっという間に腹を刺されて、抵抗する間もなく倒されてしまった。
止めをうたれなかったのは、異変を察知して部屋に飛び込むやいなや猛然と敵にあたり、屋敷が応戦体制に入る時間を稼いだ凛のおかげだった。
「うっ……」
「お、坊ちゃん。意識が戻られましたか。すぐにお頭をお呼びしますんで! ちょっと待っててくださいよ!」
あれは……せっかち大助か。横にガタイの良いずんぐりとした男がけたたましくドアを激しく開け閉めして去っていく。
賽助と家付の治癒師がすぐにやってきた。家人たちを束ねる世話頭である賽助もまた大助と同じようにしっかりとした肉づきの男だ。腕組みしたまま切れ味鋭い目で俺の様子を観察している。隣に立っている治癒師が細身の常に体幹がゆらゆらしている男なので、妙にコントラストのある組み合わせだった。
「不律さま、あなたの受けた傷はかなり大きなものでした。しかも呪術的な仕掛けと植物毒が刀に込められていて、普通でしたら即死でした。刺されたまま抜かれなくて良かったですね。とりあえずそれで失血は免れました。そして……」
ベッドの傍の椅子に腰かけて俺の身体の様子を確認している治癒師が言うことに、黙って頷く。治癒師は枕元の小さな机に置かれた砕け散ったネックレスに目を向けて続けた。
「おそらく、あなたの持っていたこの首飾り、いまは色を失って砕けていますが、それが依り代となって助かったのだと思います。いやいや、見た目はいささか平凡ですが、呪術、魔術、毒物に対応した、王家の宝物クラスともいえるものだったようです」
そのネックレスは、別れの日に「実の母」が渡してくれたものとして、常日頃俺の首にかけられていたものだった。もとは鮮やかなエメラルド色だったはずだが、確かに白っぽい灰色に変化していた。俺の命がここで尽きなかったのは、当時の母の愛のおかげだったことに、なんともいえない気分になった。
「それにしても、さすが最高級のポーションです。外見的にはもう傷はふさがってますね。惜しげもなく使ったかいがあるというものです」
もとからにやついたような顔の治癒師は嬉しげに診察を続ける。
「ただ、身体の中まで治るまでにはもう少しかかりそうです。この体力回復のポーションを飲んでおいてください。ゆっくりですよ。明日には多少動けるようになることでしょう」
治癒師がぐいぐいと押し付けるポーションの入ったコップから一口、二口。めちゃくちゃ苦い。こいつ、飲みきれずに唇の端からあふれてしまうのもお構いなしだ。コップが俺の口から離れる合間を縫って、内心の焦りを押さえつつ俺は周囲に聞いた。
「何日寝てました?」
「二日たってます。さぁ。もう一口!」
治癒師はなおも俺の口元にコップを寄せつつ、質問には答えてくれる。
「凛姉さまは?」
「……凛さまは、もちろん元気、大丈夫ですよ」
さりげなく返す治癒師の背後で、大助の目が泳ぐ。本当に嘘のつけないヤツだ。
鋭く差し込む痛みで叫ぶに叫べない。俺はいますぐ跳ね起き身体を動かしたい衝動をこらえて、「嘘でしょ。それ」とだけ言った。
賽助は、「え、えっ」とせわしなく身体を動かしている大助の頭を軽くはたき、俺に向かって低い声で「怪我人は自分のことをまず考えてください」と言う。
しかし、これだけは今すぐに言っておかねばならない。一息一息音を出す困難さを押してなんとか口にする
「賽助……。うっ……聞いてくれ。俺……奴らのやりとりを聞いちゃったんだ」
部屋の空気が激変したのを感じ取った。
*
「倒れてる間。奴らが喋っていたんだ。凛姉さまを近くの隠し屋敷に運び込んで、隷属の呪紋を施し、女奴隷に仕立てると……」
どさくさに紛れて、これまで屋敷で「僕」と呼んでいた自称も俺に切り替えた。正直、痛みで前世の俺とこれまでの「僕」とを場面で使い分ける自信はない。どの道、もう俺も僕もミックスされている。この焦りは僕のもので、俺のものだ。
賽助、大助らは一瞬「こいつ誰だ?」と怪訝な顔をしたが、すぐに話の内容に頭が戻ったようだ。いま屋敷はそれどころではない。なにせこの屋敷は何者かに俺の許嫁である嫡女、当主後継者を奪われている状態なのだから。
「本当か? 刺されての妄想なんじゃないか?」
「あぁ。本当だ」
実際には聞いていないが、妄想ではない。ここは俺が賊から耳にした話として押し通す。
「隠し屋敷か……」
「それも聞こえた……教会前の大通りにある居酒屋の地下室だそうだ」
「えぇ、そんなことまで!?」
「増援で土地勘のない仲間がいた……みた……い」
俺の身体の限界が近い。
「俺はもう死んでると思い込んでいたみたいで………、はっ………いちいち俺の身体の上で確認しあってくれていたよ」
貴族の屋敷を闇打ちしてくるような賊らが、そんな手抜かりなことをするものだろうか――疑わしそうな目で見られているが、どうせ俺たちにはほかに何も手がかりはない。俺の言葉を無視することはできないだろう。信じてなくとも、きっとしっかり調べてくれるはず。
賽助らは「ご当主さまにお伝えしてくる」と言い残し急いで出ていった。苦いポーションを飲ませるのに満足したらしい治癒師も「何かあったら呼んでください」と言って席を立った。
呼べるほどの声など出せない。トイレはどうするのだと思っていたら、代わりにメイドが入ってきて部屋の隅に静かに控えた。
「あの……、水を……」
「いまご用意いたします」
俺は焦る心を押さえつけて、少しでも回復を早めるために目を瞑る。
治癒の術は得意ではないが、前世の庶民レベルの医療知識も総動員して、造血と腹の内部の修復を目指す。本当は栄養をとるためになにか腹に入れたいものだが、その腹を刺されているからいかんともしがたい。
魔力を空気中――この世界から体内に得られないものかとふんばってみる。当然できはしない。しかしできそうな予感だけはするので、焦る気持ちをこの技の習得に振り向けて、必死に身体を寝床に縛り付けた。
いまはこの痛みと混乱のなか、俺にとって、俺たちにとって少しでもマシな道を探り当てなければならないのだ。
「クソっ。痛え……こんなの、聞いてねぇ……」
瀕死の重傷を負ったことで、前世の俺の記憶と意識がこの世界に生きる「僕」にリンクした。
といって、全部思い出したわけじゃあない。前世の名前とか、どんな人間であったとか。いまは思い出せない。人族以外に言葉を操る動植物のいない世界。魔術や呪術はなく、代わりに科学の発達した社会。そのどこかの街の片隅で生まれ、生活し、やがて命を終えた存在だった。いまはそれで良い。
重要なのは、俺が、前世で読んだことのある『勇者に――』……なんだったか。よくあるネット小説だった気がするが、とにかくその小説とかなり類似している世界の主人公のようであることに気が付いたことだ。
異世界チート? ハーレム? それともまさかの乙女ゲーム? いやいや。その小説は、「寝取られ」「NTR」というジャンルのクソだったのだ。
お読みくださり有難うございました。




