第6話 胸に残るもの
数日後。
朝景は朝廷で机に向かっていた。
目の前には書き付けがいくつも並んでいる。今回の怪異事件を受け、陰陽寮との連携について具体案をまとめているところだった。
「怪異が現れた場合は、まず陰陽寮へ知らせること。現場に向かう者については……」
朝景は考えながら、紙に書き出していく。
どういう意図でこの組織が設立されたのか、朝景には分からない。だが、どうせやらなければいけないのなら、きちんと機能するようにしたいという思いがあった。
たとえ怪異と直接戦えずとも、聞き込みや、近辺で起きた殺人事件との関連、遺体の処理など、できることは多い。
その時、陰陽寮と迅速に連携し、情報を共有できる仕組みが必要だった。
「朝景様」
重成が茶を持ってやってきた。
「ああ、そこに置いてくれ」
「朝景様……」
朝景が顔を上げると、少し怒りを湛えた重成の顔があった。
どうやら茶よりも、話の方が本題だったようだ。
朝景はため息をひとつ吐いて、筆を置いた。
「どうした?」
「どうしたじゃありませんよ。……どうして私を連れていってくださらなかったのですか」
「……」
重成の言い分はもっともだった。皇族が護衛を連れずに出歩くなんて、本来ならありえないことだった。朝景もそのことは、よく理解していた。
「分かっている、重成」
朝景は紙に視線を戻すと、再び筆を走らせた。
「なら、今度から私を連れていってください」
「……保証はできん。急を要すれば、わざわざお前を呼びに行くのは手間だ」
「朝景様! 本当に危険なこともあるんですよ!」
重成の咎める声が部屋に響く。
「分かってるさ、重成」
「なら!」
「それでも、自由にさせてくれ。……こうしていられるのも、あと僅かなのだから」
「……」
悲しみとも諦めともいえる感情が、朝景の横顔には滲んでいた。それを見た重成は、もう朝景の行動を咎めることができなかった。
第二皇子にも関わらず、長年地方に飛ばされていたぐらい、朝景の立場は不安定なものだった。
第一皇子に後継者としての話が出始めれば、朝景も今のように自由に過ごすことはできなくなるだろう。
……もしかしたら、殺される可能性だってあった。
「……そうなれば、朝景様を背負ってでも逃げますから」
重成が決意を口にすると、朝景は楽しそうに笑った。
「ああ。頼りにしているさ」
「……」
朝景は軽口を叩くことで、少しでも重成の気を和らげようとしていた。
それが分かっているからこそ、重成は余計に虚しさを感じ、口を閉ざすしかなかった。
しばらく黙々と作業をしていた朝景は、やっと筆を置いた。
「組織内の官人に渡しておいてくれ」
朝景は書き終わった書類を重成に託した。
重成は軽く息を吐いて気持ちを切り替えると、書類を受け取った。
「かしこまりました」
重成が出ていったあと、冷めた茶を飲んで一息ついた。
外から虫の鳴き声が聞こえる中、あの事件のことを思い返した。
暴力を振るわれて殺された末に、怪異になった男。
父親からも大切にされず、冷たい言葉を吐きかけられ、最後は晴明によって祓われ、この世から消え去った。
朝景の胸の内には、何とも言えないわだかまりが残っていた。あのような終わり方しかなかったのだろうかと。きっと自分だったら……。あんな終わり方では、悔しさが残る気がした。
朝景は机の上を片付けると、部屋を出た。
廊下を歩いていたところで、前から久しぶりに会う男が歩いてきた。
「やあ、朝景」
腹違いの兄であり、第一皇子の朝良だった。
顔は幼い頃に見た姿とほとんど変わらず、口元には穏やかな笑みを浮かべている。
「久しぶりだね」
「……お久しぶりです」
朝景は深く頭を下げた。
「元気そうで何よりだ」
「兄上も……、お元気そうで」
朝景は当たり障りのないことを話した。
朝景は昔から、この兄に苦手意識を感じていた。
虐められるといったことはなかった。だが、朝良は昔から、朝景を憐憫を含んだ目で見ていた。朝景は朝良の内心が理解できず、気持ち悪さと落ち着かなさを感じていた。
「うん。……そういえば、朝景は今からどこかに行くの?」
「はい、少し用事で……。それでは、失礼します」
朝景は晴明のことを教える気にはならなかった。手短に答えると、足早に立ち去った。
しかし、角を曲がるまで朝良の視線が背中から離れず、背中に嫌な汗が流れた。
朝景はその足で陰陽寮に向かった。
「……すみません。晴明殿はもう帰られました」
空を見上げると、月が出ていた。
どうやら遅くまで書類をまとめていたことに気づかなかったようだ。
「ああ、すまない」
朝景は軽く謝罪をすると、晴明の屋敷を訪ねた。
晴明はあの日と同じように庭先に座り、月を見ながら煙管を吹かしていた。
「今度は何用ですか?」
晴明は呆れたように告げた後、朝景の顔を見て片眉を器用に上げた。
「なにかありましたか?」
「いや……」
朝景は現在の自分の胸の内を、適切な言葉で表すことはできなかった。
勝則のことは考えればもやもやするし、第一皇子に会ったことは不快だった。
様々な感情が心の中を渦巻いていた。
「とりあえず、座ってください」
朝景は言われるまま腰を下ろした。
「お菊」
晴明が呼ぶと、あの式神の女官がやってきた。
「酒と酒器を持ってきてくれ」
「かしこまりました」
すぐに、女官が言われた通り、酒と酒器を持ってくる。
晴明は酒を注ぐと、一つを朝景の前に置いた。
「……何かありましたか?」
「……」
朝景は少し黙ったあと、酒を一気に呷って口を開いた。
「……あの男を、助ける方法はなかったのか?」
ぽつりと漏らされた言葉に、晴明は一瞬動きを止めた。再びお猪口を手に取ると、味わうように口に含む。
「現状、私たち陰陽師にはあれ以上のことはできません。人の命を守るためには、怪異を祓うしかないのです」
「……」
朝景はぐっと押し黙った。
晴明はお猪口で口元を隠しながら苦笑いした。あまりにも優しい心根を持つこの男が、あの魑魅魍魎が巣くう朝廷で無事でいられるのか心配になった。
「後の世になれば、怪異となった人の魂を救う手立てが見つかるかもしれません。……私はそれを願い、楽しみに待っているのです」
そう話を締めくくると、朝景の強張っていた肩の力が抜けた。
「……そうか」
晴明も全く同じとは言わなくても、何も感じないわけではないのだ。朝景はそれが分かっただけでも、十分だと思った。
「お前はよく酒を飲むが、好きなのか?」
「……これも魔除けの一種になりますから」
「……」
晴明は目を伏せ、静かに酒を飲んだ。
朝景も同じように酒を飲みながら、思った。晴明の行動は、怪異を祓うことに全て繋がっていた。
「お前は陰陽師でいることが、しんどくなったりしないのか?」
「いいえ」
晴明の返事は早かった。
一瞬も考えなかったことに、朝景は驚いていた。
「なぜだ?」
月明かりの中、晴明は今まで見たことがないほど晴れやかに笑った。
「私が安倍晴明だからです」
「……」
それはどういう意味なのか、朝景には理解することができなかった。




