表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

東西冷戦に日本は、東西どちらに加わるのか?東側編

 まぁ、背景を設定していて思うのだが、エンターティメントとして考えた時に、日米対決が無い太平洋戦争というのは、実につまらない・・・読者の要望が無いような気がする。

 日本人のための第二次大戦での太平洋戦争は、アメリカと戦うことで、凄まじいまでに記憶される結果になったように思う。また、結果として、現在の日本社会そのものが、アメリカと戦った結果として構築されている。WWⅡで日本が負けるのは、良いか悪いかというのは、後述するとしても、個人的に好みではない国が出来上がるように思う。

 日独伊ソの四ヵ国同盟から発展して、日本は、国際同盟の中で常任理事国となった。日独伊ソ中の5ヶ国VS米英蘭仏印の五カ国を常任理事国とする国際連合が結成される。つまりは、東西冷戦は、国際同盟VS国際連合ということになる。正直言えば、巨大チート国家アメリカ+αVS日独伊ソ中の戦い。このぐらいでないと、アメリカと戦えないかなぁという感じである。

 日本の外交努力は、日独伊三国同盟にソ連を加えるべく動いた。独ソ不可侵条約と日ソ中立条約をなんとか一歩進めることに成功し、日独伊ソの四ヵ国同盟が成立することができた。ここが歴史ifの転回点となる。

 ドイツは、ソ連と共同でポーランド侵攻作戦を展開し、イギリスとフランスの宣戦布告により第二次世界大戦が始まる。正史通り、ポーランド侵攻からデンマーク、ノルウェー侵攻作戦を展開する。連合軍はノルウェーから撤退し、フランス国境での臨戦態勢を整える。ドイツ軍は、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ三国を突破し、フランス侵攻が開始される。フランス軍は、ドイツ軍の起動戦に翻弄されながら、パリを放棄し、北部と南部へと後退防御戦を展開する。英国は、北部に残されたイギリス海外派遣軍のダンケルク撤退を完遂する。

 南部では、イタリアからの侵攻軍をモナコ公国の協力を得て抑えながら、オルレアン等でドイツ軍に出血を強いながら、後退戦を展開し、クレルモン-リヨンで一時的にドイツ軍の侵攻阻止に成功する。首都をマルセイユに移す。中立国であるスペインを仲介し、アメリカはフランスへの支援を行い、西部戦線は、一時的に膠着状態に陥る。



 日本は、関東軍が中央からの指示を無視して西方へ侵略、ソ連極東軍が北方と西方から中国への侵略を開始する。資源確保とシーレーン防衛の必要性から、英国への宣戦布告と共に、フィリッピンの傀儡政権を支援して、フィリッピン独立政府を認め、アメリカ軍の撤退を通告すると共にフィリピンへの侵攻を開始する。結果的に、日米開戦となる。「リメンバーマニラ」が新聞に掲載される。フィリピン侵攻と共に南方へ侵攻作戦を展開し、南雲機動部隊とイギリス機動部隊がマレー沖海戦で激突、航空攻撃の結果として戦艦「プリンスオブウェールズ」「レパルス」が沈み、英国空母「インドミタブル」「ハーミズ」が沈没し、日本側は、加賀が大破するものの圧勝に終わる。

 フィリッピン独立作戦と共に、英領マレーシア、仏領インドシナの独立戦争が展開される。英領マレーシア侵攻が開始され、最終的にシンガポールが陥落する。インドネシア独立作戦と共に石油資源確保が進められる。トラックから南方ラバウルへ進出、ニューギニア戦線が形成される。

 アメリカ太平洋艦隊との激突は、ウェーキ島沖海戦を初戦とし、サンゴ海からソロモン沖を含め、太平洋を舞台とした島嶼戦が展開される。緒戦は、敵空母を沈める等の状況を生み出し、双方の空母が沈むこととなる。

 日本海軍は、伊号潜水艦による、アメリカ東海岸への砲撃や水上偵察機からの焼夷弾投下など、いくつかの陽動ではあるがアメリカ本土攻撃という要素を生み出す。これに対し、米軍太平洋艦隊は、空母に陸上機を搭載しての奇襲攻撃、東京空襲に成功し、被害は少なかったものの、戦意を回復する。



 別件であるが、日独伊ソ四ヵ国同盟から、日独連絡網は、シベリア鉄道や空路による技術提携が可能となる。



 圧倒的なチート国家アメリカによる、1943年以降は、南方戦線、中部太平洋戦線共に、厳しい状況に追い込まれる。



 長距離爆撃機B-29の開発による戦略空軍の成立、そしてマンハッタン計画から始まる、核兵器開発の成功をおさめることから、アメリカによる反抗作戦が展開される。トラック島およびラバウル島への原子爆弾の投下から、中部太平洋への侵攻が開始される。

 原爆投下後のトラック島への上陸から、残留放射線による大量の放射線障害者を出した



 原爆投下によって、日本は、主力空母4隻を含めた連合艦隊を失い、大きく撤退を余儀なくされる。また、ラバウル島への投下を含めて、熟練搭乗員を含めた人的資源についても壊滅的な打撃を受ける。



 中共合作の失敗と、ソ連と共産党との停戦講和の実現により、国民党軍を壊滅させ中国大陸での休戦、大陸戦線の縮小を図ることに成功する。また、これにより、戦略爆撃機による九州方面からの攻撃が無くなる。原爆投下による影響から、連合艦隊は渡洋攻撃に制約が生まれ、ニューギニア、サンゴ海およびソロモン海からの撤退し、シンガポール、香港、マニラ、日本ルート確保と小笠原諸島を中心とした帝都防衛戦闘を強いられる。




 ドイツは、南フランスのマルセイユ陥落に成功し、ヴィシー政権樹立させたものの、ゲリラ活動に悩まされる。また、Battle of Britainの航空消耗戦では、なんとかかんとかイギリスが本土防衛にからくも成功する。ただ、フランス国内を含め、ゲリラ活動が激化し、レジスタンスやパルチザンの活動として、フランスやバルカン半島を中心に展開される。これは、WWⅡの戦後に生じる同盟国内でのソ連VSドイツ権力闘争の端緒ともなる。



 中近東では激戦が展開され、ドイツ南方軍集団に中央軍集団が加わってトルコからシリア、イラクへの侵攻作戦が展開される。ソ連軍はアフガニスタンからの南下とともに、イランへの侵攻が始まる。カスピ海沿岸でドイツ中央軍集団とソ連軍の間で偶発的な戦闘が生じ、ソ連との関係が悪化する。



 カイロでの市街戦やナイル川沿岸でドイツアフリカ軍団の侵攻阻止に成功し、エジプトを含め中近東を確保を図った。エジプトからトルコ、イラク、イラン、パキスタンが連合軍と同盟軍の激突地域となって戦線が膠着する。



 核兵器の量産はともかくとして、使用については、かなりの問題が生じていた。特にトラック島は、爆撃後占領部隊を展開するために、トラック島に占領するために環礁内に突入していた輸送艦隊や随伴の護衛艦隊にまで被害が及んでおり、直接的に1万を超える米兵にも被害が発生しました。

 また、上陸後、飛行場の建設等にあたって、「黒い雨」を含めた残留放射線にによる被害が生じたため、間接的にも3万人以上の米兵に被害が拡大した。原爆投下後3ヶ月ほどで、トラック島からの撤退したが、多くの米兵が後遺症の影響を受けたため、情報がアメリカ議会に提出され、戦争継続に大きな影を落とすこととなった。

 日本の機動艦隊は、出撃準備中であった「赤城」「加賀」「蒼竜」「飛竜」を含めて、「金剛」「比叡」以下の連合艦隊主力が壊滅した上、米軍上陸部隊や艦隊にまで壊滅的な打撃を受けた。この事件は、原爆の被害範囲等の見積もりの甘さと、放射線被害に対する現場での理解不足から生じたものであったが、アメリカ本土への帰還兵によって、情報が議会へと提出される流れとなった。情報が伝わるにつれて、大統領は苦しい答弁を迫られることとなった。

 ラバウル島でも、飛行場を含めて壊滅的なダメージとなり、軍事基地としては機能せず、日本軍は南方戦線そのものを維持することが極めて困難な状況となった。


 結果的に米国は、日本の連合艦隊壊滅という非常に大きな戦果を得たものの、トラック島への原爆投下によるアメリカ軍への被害情報が、帰還した米兵から議会へとリークされ、原爆投下の責任者であるトルーマン大統領が1947年に議会での弾劾決議が下院で可決され、上院に上奏される前に、トルーマン大統領の辞任という流れとなった。



 結果的にアメリカ軍は、戦闘行為が一時的に停止され、太平洋方面では日米間で1946年から合意なき停戦状態が続くこととなった。



 同盟軍と連合軍による中近東戦線は、ナイル川周辺で激戦が続き、シリアからイラク、イラン、パキスタンと広大な地域で、激戦は続いているものの双方とも、継戦能力的には厳しい状況となっていた。



 1947年のトルーマン大統領の弾劾決議から、イギリスへ亡命していたオランダが仲介となって、同盟国側のドイツと日本に対して、イギリスとアメリカとの停戦交渉が始まった。対日強行派のバーンズ大統領に代わったため、日米間の停戦交渉そのものは難航したが、戦闘状況そのものについては、停滞ムードから停戦の合意なき停戦状態が生じていた。

 日英間では、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、ビルマ、インドネシア、ベトナム、マレーシア、バングラデッシュ、セイロン、インドといった国々の独立と、シンガポールの委任統治権を日本が獲得することで、一応の合意が得られた。

 欧州戦線については、親独政権の承認から、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの非武装化と永世中立宣言がだされ、事実上のドイツによる欧州の覇権が確立した。オランダで国際同盟会議が開催され、新規で独立した国々を含めて、国際平和宣言が提唱された。

 連合国は、南米諸国を含め、中立であるオランダ、ベルギー等の国々を含めて、国際連合会議が設立され、アメリカで世界平和宣言が提唱された。



 中近東での戦争継続、フィリピンでのクーデーターの発生など、両陣営からの様々な国での独立支援やゲリラ活動といったことから、1947年に行われた両宣言が、事実上の冷戦開始宣言になったと言われる。

 東西冷戦、東側編です。

 史実と大きく異なるのは、日独伊三国ではなく、ソ連を加えた四ヵ国同盟であることですね。日独伊ソは、微妙に反目しつつ、アメリカというチート国家に挑むこととあります。

 日独伊ソ中を中心とした国際同盟VSチート国家アメリカ+αの冷戦が開始されます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ