↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/10

第2話 覚醒した狂気の勇者と聖女の憂鬱な足音

コメント評価ください

冒険者という稼業は、基本的に割に合わないと俺は常々思っている。

命を懸けて魔物と戦い、薄暗いダンジョンを這いずり回り、それでも得られる報酬はスライムの粘液やゴブリンの欠けた牙から抽出されるわずかな銀貨や銅貨。

割に合わないどころか、ブラックという言葉すら生ぬるい、血の臭いにまみれた使い捨ての駒だ。

だからこそ、俺はこの世界で生き残るために「絶対に無理をしない」という鋼の意志を貫いている。

万年Cランク。

それは無能の証ではなく、俺が命の危険を冒さずに安定した日銭を稼げる限界のラインなのだ。

今日も俺は、王都近郊の森で「ただ薬草を摘むだけ」という、新人でもやれるような低リスククエストをこなし、無事にギルドへの帰還を果たしていた。


「ねえ、アル。聞いた?」


ギルドのカウンターに薬草の束を置くや否や、幼馴染の受付嬢ミーアが身を乗り出してきた。

彼女の目は、新しいゴシップを仕入れた町娘のようにキラキラと輝いている。


「聞いてないし、聞きたくない」


俺は即座に防衛線を張った。

彼女がこのトーンで話しかけてくるときは、大抵、俺の平穏な日常には一切関係のない、しかし世界を揺るがすような大事件の話だからだ。


「つれないわねえ。絶対びっくりするから聞きなさいよ」


ミーアは俺の拒絶を風のようにスルーし、羊皮紙で口元を隠しながら声を潜めた。


「あのね、勇者パーティーの話なんだけど」


「ああ、この前過労で死にそうになってた奴か」


俺の脳裏に、数日前に俺の安アパートで安物の絨毯に涙と鼻水をなすりつけていた、あの情けない歴代最強の姿が蘇る。


「勇者レオン様よ!……なんとね、昨日、たった一人で魔王軍の幹部を討ち取ったらしいの!」


「へえ、すごいな。さすが勇者」


俺は本日の報酬である銀貨一枚と銅貨数枚を受け取りながら、棒読みで称賛した。

まあ、勇者なんだからそれくらいはするだろう。

過労で泣き言を言っていたが、結局は気合で乗り切ったらしい。

立派なことだ。俺には絶対に真似できない。


「すごいなんてもんじゃないわよ!問題はその『倒し方』なの!」


ミーアは興奮気味にカウンターをバンバンと叩いた。


「討伐の報告に来たパーティーメンバーの魔法使いの子、顔面蒼白で震えてたわ。『あれは勇者の戦い方じゃない』って」


「勇者の戦い方じゃない?」


「そう!なんでも、幹部の圧倒的な魔法攻撃を前に、勇者様は聖剣を放り出して泥水をすすりながら地面を這いずり回って逃げたらしいの!」


「……は?」


「で、幹部が『勇者ともあろう者が無様だ!』って油断して大笑いした瞬間、死んだふりをしてた勇者様が背後から泥まみれの手で幹部の目を潰して、そのまま急所に短剣を突き立てて倒したんだって!」


「……」


「歴代最強の光の勇者が、泥に塗れて、闇討ちで、しかも泣き叫びながら敵を倒すなんて……!ギルド中が大騒ぎよ!」


俺は言葉を失った。

いや、待て。

ちょっと待ってほしい。

俺は確かに数日前、彼に「死ななきゃ安い」「名誉なんて捨てて逃げ回れ」と言った。

だがそれは、「手に負えなくなったら撤退しろ」という意味であって、決して「泥水をすすって騙し討ちしろ」という意味ではない。


「勇者様、討伐後に血と泥にまみれた顔で笑いながらこう言ったらしいわ。『死ななきゃ、僕の勝ちだ……師匠の言う通りだ!』って」


「……」


「ねえアル、その『師匠』って誰のことだと思う?あんな狂気的な戦い方を教えるなんて、きっと裏社会の伝説的な暗殺者か何かに違いないわ!」


「……さ、さあな。世の中にはいろんな奴がいるからな」


俺は冷や汗をかきながら、そそくさとギルドを後にした。

関わってはいけない。

絶対に、あの狂気に満ちた勇者とこれ以上関わってはいけない。

俺の平穏な日常が、音を立てて崩れ去る気配がする。


* * *


その日の夜。

俺はアパートの鍵を二重に閉め、さらに扉の前につっかえ棒をして、万全の態勢で夕食の準備をしていた。

本日のメニューは、少し奮発して買ったソーセージの塩茹でだ。

これに安い麦酒を合わせれば、Cランク冒険者としては十分すぎるほどの贅沢である。


コンコンコンッ!


突然、扉が控えめにノックされた。

俺は息を潜めた。

居留守だ。絶対に開けない。


「師匠……開けてください、僕です。レオンです」


扉の向こうから、聞き覚えのある美青年の声がした。

しかも「師匠」と呼ばれた気がする。

気のせいだと思いたい。


「師匠、美味しい霜降り肉をもらってきたんです。一緒に食べませんか?」


「……」


霜降り肉。

その魅惑的な響きに、俺の強固な決意は一瞬で打ち砕かれた。

俺は無言でつっかえ棒を外し、扉を開けた。


「こんばんは、師匠!」


そこには、泥と魔物の返り血でドロドロになった白銀の鎧を着たまま、最高級の牛肉が入った木箱を抱えて満面の笑みを浮かべる勇者の姿があった。


「お前、その格好で街を歩いてきたのか……?」


「はい!師匠の教えの通り、なりふり構わず泥臭く生き残ってきました!」


レオンは俺の部屋に上がり込むと、勝手に鍋を取り出して肉を焼き始めた。

高級肉の焼ける暴力的なまでに良い匂いが、家賃銀貨三枚のボロアパートに充満していく。


「あ、あのな、レオン。俺は別に、そんな戦い方をしろとは言ってないんだが……」


「いえ!師匠のあの一言がなければ、僕はあの幹部の攻撃を真っ向から受け止めて、名誉ある戦死を遂げていたでしょう」


レオンは肉をひっくり返しながら、熱を帯びた瞳で俺を見つめた。


「僕は悟ったんです。強大な敵を前にして、プライドなんてものは死を招く毒でしかないと。 生き残るためなら、死体の中に隠れてでも、泥をすすってでも、隙を突く。それが、真の強さなんですね!」


「いや、勇者としての誇りとかあるだろ……」


「誇りなんて、生き残ったら後でいくらでも捏造できます!」


爽やかな笑顔で、とんでもないことを言い切る歴代最強の勇者。

もう駄目だ。こいつの精神構造は完全に歪んでしまった。


「さあ師匠、焼けたので食べてください!僕の命の恩人であり、心の支えである師匠に、一番美味しいところを食べてほしくて!」


俺は差し出された霜降り肉を口に運んだ。

……美味い。信じられないほど美味い。

俺のこれまでの人生で食べてきた肉は何だったのかと思えるほどの絶品だ。

俺の小市民的な魂は、この肉の味の前にあっさりと白旗を揚げた。


「……まあ、お前が生き残れたなら、それが一番だ。これからも死なないように適当に頑張れよ」


「はい!師匠の教えを胸に、どんな卑怯な手を使ってでも魔王軍を殲滅してみせます!」


こうして、俺の平穏なアパートは、世界最強にして最凶となった勇者の、唯一の憩いの場(兼、餌やり場)として定着してしまったのである。


* * *


翌日。

霜降り肉の余韻に浸りながら、俺は再び王都近郊の森へ足を踏み入れていた。

今日の依頼も、もちろん低リスクの薬草採取だ。

俺の「危機察知能力」は、伊達ではない。

森に入ってわずか数分後、俺の背筋にゾクリとした悪寒が走った。


(……来る)


俺は即座に歩みを止め、息を殺して茂みの影に身を隠した。

普通の冒険者なら全く気付かないだろう、微かな風の乱れ。

そして、かすかに漂う獣の臭い.

俺の直感が告げている。この先には、俺のレベルでは絶対に勝てない「何か」がいると。


(ここは迂回だ。命あっての物種だからな)


俺は音を立てずに後ずさりし、本来のルートから大きく外れた遠回りの道を選んだ。

その数十分後、遠くの方で木々がなぎ倒される轟音が響き渡り、他のパーティーの冒険者たちの悲鳴が聞こえた気がしたが、俺は耳を塞いでひたすら薬草を探し続けた。

君子危うきに近寄らず。

後で知ったことだが、俺が迂回したルートには、本来この階層にいるはずのない高ランク魔物「ブラッドベア」が出現していたらしい。

俺の異常なまでのスルースキルとビビリっぷりが、今日も俺の命を救ったのだ。


「ふう、今日も平和な一日だった」


規定量の薬草を採取し終えた俺は、満足げに頷いてギルドへの帰路についた。


* * *


「アル、また薬草採取?あんた、本当に何年もそればっかりね」


ギルドに戻ると、ミーアが呆れたような顔で俺を迎えた。


「安定が一番だからな。それで、今日もまた何か面白い噂でもあるのか?」


俺が尋ねると、ミーアは待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。


「勇者様の快進撃が止まらないのよ。今度は魔王軍の補給拠点を、毒草と罠を駆使して単独で壊滅させたらしいわ。しかも、夜襲で」


「……勇者が夜襲で毒殺?」


「ええ。もう他のパーティーメンバーはドン引きしてて、誰も勇者様に口出しできないらしいの。でも、勇者様本人は『師匠の生存戦略を実践しているだけだ』って、すごく活き活きしてるんだって」


「……そ、そうか」


俺は引きつった笑いを浮かべるしかなかった。

まさか俺の「致命傷を避ける」「無理をしない」というモットーが、彼の中で「手段を選ばず敵を抹殺する」という方向に変換されて実践されているとは。


「それにしても、その『師匠』って一体誰なのかしらね。よっぽど冷酷で、戦いを知り尽くした達人に違いないわ。一説によると、かつて世界を救った伝説の暗殺者じゃないかって噂よ」


「……世の中、何が起きるか分からないな」


俺は適当に相槌を打ち、足早にギルドを逃げ出した。

これ以上ミーアの話を聞いていると、胃に穴が開きそうだった。


* * *


その夜。

今日は勇者レオンからの来訪の気配はない。

どうやら彼は現在、遠方の魔王軍の拠点を「泥臭く」壊滅させている最中らしい。

久しぶりに訪れた完全なる一人の夜。

俺は少し気分が良くなり、少しだけいい酒を買いに、王都の裏路地にある酒屋へと向かっていた。


薄暗い裏路地は、治安が良いとは言えない。

だが、長年の勘で危険な連中を避けるルートは熟知している。

俺は鼻歌交じりに路地を歩いていた。


「……ざっけんなよ、マジで」


ふと、暗がりから声が聞こえた。

ドスの効いた、地の底から響くような女性の声だ。

俺は即座に歩みを止め、気配を消した。


(ヤバい奴だ。関わらないに限る)


引き返そうとした俺の目に、月明かりに照らされたその人物の姿が映った。

路地裏の木箱の上にヤンキー座りをし、片手に安物のエールの瓶を持った女性。

身に纏っているのは、最高級の白絹で織られた、神聖な意匠が施された法衣。

そして、その顔は――王都の誰もが知っている、慈愛と純潔の象徴。


「やってらんねえっつの。なんだよ『聖女様、どうか私に祝福を』って。てめえの人生うまくいかねえのを神のせいにすんじゃねえよクソが。あー、酒が不味い」


世界中の民衆から崇められる完璧な聖女、マリア。

彼女が、裏路地でエールを煽りながら、目を血走らせて暴言を吐き捨てていた。


俺は息を呑んだ。

見てはいけないものを見てしまった。

王国の最高機密、いや、宗教的なタブーに触れてしまった気がする。


(逃げろ。今すぐ、音を立てずに逃げろ……!)


俺の生存本能が最大級のアラームを鳴らす。

しかし、俺が後ろに一歩下がろうとした瞬間、足元の小石がカチャリと音を立ててしまった。


「……あ?」


マリアの首が、ギギギ……と不気味な音を立ててこちらを向いた。

その目は、完全に据わっている。

天使のような美貌が、今は狂暴な野獣のように歪んでいた。


「おい、そこのお前。今、見てたろ」


「……いえ、何も。ただの通りすがりの、Cランクのゴミ虫です」


俺は両手を挙げ、最高の作り笑いを浮かべて降伏のポーズをとった。


「ちょうどいい。むしゃくしゃしてんだ。お前、いいサンドバッグになりそうだな?」


マリアはエールの瓶を握り潰し、ゆらりと立ち上がった。

その手には、神聖魔法の光ではなく、純粋な暴力のオーラが宿っている。


俺の平穏な日常は、またしても理不尽な形で脅かされようとしていた。


コメント評価ください

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。